「勉強しないエンジニアは生き残れない」は嘘。
「エンジニアは勉強しないと生き残れない」というような強迫観念がある。これは冷静に考えれば嘘だと言える。
他の職種に比べたらむしろ逆で、全くそんなこと無いんじゃないかとすら思っている。
そもそも、世界的にエンジニアは不足している。日本国内では労働人口の減少もあいまって、圧倒的な供給不足だ。
そうは言っても、学生がデータサイエンスをやるようになったり、人気の職業にエンジニアが入ってきたりと、供給も増加している。これまでは医者になっていたような優れた知能も、同時に稼げるんじゃないかと思って高学歴ではない人も含めて、どんどんとエンジニア職になろうとしている。増えてくるのは間違いない。
それでも、今のところ需要の増加スピードの方が高い。こんな業種は他にないので、少なくとも短期的に生きていけることは間違いない。少子化で若いライバルもあまりやってこない。
数十年前のCOBOLのエンジニアが、未だにシステム移行などでニーズがあるのを見ると、過去の技術に精通していたという資産だけでも食べられるだけの日銭は稼げるんじゃないか。
生き残るかどうかみたいな恐怖と脅しによって勉強するのではなく、興味を持って楽しんでやれば良いんじゃないかと、自分に言い聞かせるようなものだがそう思う。
この状況が終わるのはいつだろうか。
おそらく問題は、ソフトウェア需要そのものの拡大がとまって、エンジニア供給が増加し始めたあと。
これはおそらく15年ぐらいのスパンでは起こりうる。ほとんどのコードが大規模モデルにより生成/リファクタリングされるようになってくると、エンジニア需要より供給が増えてくる。
最初は、GitHub Copilotみたいなものだが、だんだんと進化してくる形だろう。
たとえば、テストコードを書いたら実装が完成するなんて言うのは数年以内に来るだろう。簡単なアシスタントツールと対話したら、ソフトウェアが完成するというのは、10年スパンではくるかもしれない。
20〜30年ぐらいすると、エンジニアの仕事は大規模言語モデルへのプロンプトエンジニアリングと、ファインチューニングとかになっているんだろう。一方で、キーボード台ピングやエクセルが社会の必須スキルであるように、コンピューティング思考というのは社会の必須スキルの1つになっているだろう。
つまり、人間に仕事を指示する代わりにコンピュータに仕事を指示をする力が大事と言うこと。
こうなってくるといよいよエンジニアの需要は減ってくるかも知れない。そのときは勉強していたからとかいないからじゃなくて、もっと別の観点でのエンジニアリングが必要なってくるとは思う。
そんな社会がきたらわくわくしてもっとやってみたいことができるかもしれない。勉強だと思わずにわくわくできるように好奇心を失わずに生きていきたいところだ。
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