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デザイン事例から考える生活価値観とウェルビーイング

デザイン事例から考える生活価値観とウェルビーイング

23本の記事
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今、社会的に注目される「ウェルビーイング」に焦点を当て、その漠然とした概念を「デザイン」の観点から解き明かしていきます。
篠﨑 美絵のアイコン
篠﨑 美絵
トリニティ株式会社 執行役員 Creative Director
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今、社会的に注目される「ウェルビーイング」に焦点を当て、その漠然とした概念を「デザイン」の観点から解き明かしていきます。
創業者の思いが込められる「ロゴマーク」のデザイン考察
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最近、メディアを賑わせたことで目にする機会が激増したOpenAIのロゴマーク。そのお家騒動の行方に人々の関心が集まる中、わたしはこのお花のように見えるロゴマークのことが気になってしまった。どういう意味なのか、さっそくネットで調べてみたが、残念ながら公式に発表されていないようで正確な情報は得られなかった。 そこで、ChatGPTに聞いてみた。 とのこと。お花ではなく「脳」がモチーフだった。 OpenAIのサイトの ”About” のページには、 OpenAI is an AI research and deployment company. Our mission is to ensure that artificial general intelligence benefits all of humanity. OpenAIはAIの研究・開発企業です。私たちの使命は、人工汎用知能が全人類に利益をもたらすようにすることです。 とあるので、ChatGPTの回答が正しければ、このロゴマークは企業理念を表していることになる。 思いを図案化するロゴマーク 企業のロゴマークには、そのように創業者の思いが込められたものがある。近年は、企業が独自の強みを活かし、製品やサービスを通して「社会」にどのような価値を提供するか、何のために事業を行うのか、その目的「パーパス」が経営において重視されている。 パーパスについては、米国のアウトドアブランド・パタゴニアの「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」が、例としてよく採り上げられている。社会的存在意義とその志を示すもので、最近になって制定する企業が増えているが、松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助氏が1978年出版の著書「実践経営哲学」で語られた「企業は社会の公器」の名言は、今のパーパスを総括したメッセージだったのではないかと振り返って思う。 クロネコヤマトのヤマト運輸のロゴマークは、親猫が子猫をくわえている姿がデザインされている。公式サイト情報によると、1957年に業務提携を結んだ米国のアライド・ヴァン・ラインズ社が当時使用していた親子猫のイラストが基になっているそうだ。ヤマト運輸の創業者が、その甘噛みして子猫を運ぶ絵に込められた「Careful handling」(丁寧な荷扱い)の意味に共感し、使用許諾を得てクロネコのマークが実現したそう。同社はパーパスを明文化していないが、このロゴマークに込めた思い=パーパスと解釈しても良さそうだ。 左が基となったアライド・ヴァン・ラインズ社のイラスト。右がヤマト運輸創業時のロゴマーク。 同じく運送会社であるアメリカのFedExのロゴは、「隠しデザイン」で有名である。 1994年にLandor Associatesがデザインしたこのロゴマークには、白い「矢印」が隠されている。Eとxの間の余白のところだ。物流スピードを表したFedExと丁寧な荷扱い示したヤマト運輸。同じ業種でもロゴマークに込めた意味から企業が大切にしていることの違いがわかる。 普段何気なく目にしているロゴマークも調べてみるとこのように含蓄があるので面白い。また、近年は、ロゴが表示される媒体の中心がスマホの小さな画面になり、さらにロゴマークがアプリのアイコンとして機能するようになったことで、デザインにも変化が起きている。今回はそうした企業の志や時代性を反映するロゴマークについて考察してみた。以下の3つの観点からお話しさせていただく。 ① パーパスやヴィジョンを表すロゴデザイン ② スマホアプリのアイコンを前提とした新サービスのロゴデザイン ③ カラーでのイメージ表現 ① パーパスやヴィジョンを表すロゴデザイン
【日本の美意識】かわいいもの好き考察|デザイン編
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キャラクター天国である日本特有の「かわいいもの好き」は、一体どこから来ているのか? 前回の「価値観編」では、その理由を書籍も参考に様々な角度から考察してみた。 【前回の価値観考察のポイント】 冒頭から余談だが、かわいいもの好きの筆者が最近かわいい!と心の中で叫んでしまったものに「ミスドポケモンドーナツ」のコダックがある。 ポケモンスリープで主役のカビゴンの方が再現しやすいだろうに敢えて難易度の高いコダックにチャレンジし(しかも横顔)、その結果、本物を超えるゆるキャラになっているところに心惹かれた。明治のアポロチョコが発売されたのが1969年であることからして、食べ物にまでかわいさを追求してしまうのは、もはや日本の伝統文化と言えよう。 ハイエンド領域にも及ぶ、日本人デザイナーのかわいさ表現 日本人クリエーターが創り出すかわいいものは、キャラクターだけではない。ハイエンドなファッションブランドの服飾表現にも「かわいい」はある。 以前書いた「常識を覆す発想でまだ見ぬ価値を作り出す『アート思考のデザイン』とは?|後編」で採り上げたコムデギャルソンは、その名の通り(フランス語で少年のように)「少年性や少女性」があることもデザインの大きな特徴である。 高級感やボディラインの美しさ、性的な魅力、伝統美といった欧州の価値観を基準にしたファッション界の常識とは真逆の美意識である。少年少女性によって、性的な魅力を排除しているようにも見える。 前回、比較文化学者の四方田犬彦氏が著書「かわいい」論の中で、欧米では未熟さを成熟への発展途上として貶下する一方、日本はそれを肯定的に賞味する伝統があると述べられていることに触れた。コムデギャルソンは、その見解を裏付ける好事例とも言えそうだ。 HUMAN MADE、A BATHING APEの創設者であるNIGO氏が、2021年からアーティスティック・ディレクターを務める「KENZO」のデザインもかわいい印象である。ご自身が日本のポップカルチャーを牽引し、世界に発信してきたことが、その表現にも反映されている。 かわいいもの好きが高じてか、或いはDNAに深く刻まれているのか、お菓子からハイエンドファッションまで無限の範囲でかわいいデザインが繰り広げられている日本独自の創造文化。 今回は、この「かわいいデザイン」の表現ついて、造形的な観点から具体例を挙げ考察してみる。 ① 小さい、小さくした ② 丸い、柔らかそう、ゆるい ③ 懐かしい、拙い ① 小さい、小さくした(縮みの文化)
【日本の美意識】かわいいもの好き考察|価値観編
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SHBUYA 109 lab.トレンド大賞2023が発表された。 15~24歳の女性510名を対象に行なった調査の結果だ。今年も調べないとわからないものが幾つかある中、わたしは自分も密かに面白いと感じている「んぽちゃむ」がコンテンツ部門の3位に入賞していることに目が留まった。 んぽちゃむは、若い女性たちに人気を博した「おぱんちゅううさぎ」の作者、可哀想に!さんが昨年からSNSで発信しているギャグアニメである。 んぽちゃむ 主人公のんぽちゃむ(右)は、計画性がなく失敗ばかりするドジなヨーグルトの妖精。仲良しのきみまろ(左)は常に冷静で、んぽちゃむの失敗に呆れつつも必ず助けてくれるナイスガイ。 おぱんちゅううさぎ 悲哀が共感を呼ぶ、頑張り屋だけど報われないおぱんちゅううさぎ。 昨年は、今も継続して大人気のSPY×FAMILYとちいかわが1位と2位に選ばれた。 SPY×FAMILY ちいかわ キャラクターのコラボカフェももはや当たり前のことになっている。子供向けというわけではないことも日本独自のカルチャー。経済効果も絶大。 んぽちゃむなどは見た目の印象だけではなく、キャラ設定などのコンテンツありきの可愛さなのだが、いずれにしても女性を中心とした日本人の「かわいいもの好き」が代々受け継がれていることを証明する事象である。 かわいいもの好きは、女性に限らない。街を歩くと、若い男性がキャラクターのマスコットをバッグに付けているのを見掛ける。多様化社会の恩恵か、老若男女問わずかわいいもの好きを公言できるムードになったことは、同じくかわいいもの好きの筆者にとっても嬉しい限りだ。 「未熟なもの」を愛おしく思う日本独自の感性 比較文化学者の四方田犬彦氏は、2006年の著書「かわいい」論で次のように述べられている。
常識を覆す発想でまだ見ぬ価値を作り出す「アート思考のデザイン」とは?|後編
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昨今注目される「アート思考」についてデザインの視点で考えてみた。 この思考法は、既成概念に囚われない閃きを歓迎し、事実の観察や洞察からはなかなか生じ得ない発想の飛躍があることも特徴である。それ故に、イノベーティブなアイデアを生み出す可能性がある。 作り手があったらいいと思うものが実現された、昔のプロダクトアウト(⇔マーケットイン)型の製品開発も今思えばアート思考だった。顧客ニーズや市場性を発想起点とするのが主流となった2000年以降は、客観性が重んじられ主観的な思いつきは封印された感もある。だが、近年のヒット商品の中にも開発者の気づきや思いから誕生したアート思考のデザインは存在する。 前回の前編(↑)では、 の2つの方向性を挙げ、お話しした。 一般的には、前者の「芸術家の思考プロセスをアート以外のことに応用すること」と定義されている。従って後者は、筆者の勝手な解釈によるものである。だが、芸術家の気づきには未来予測の側面もあることから、「芸術作品に着想する」という思考法もアート思考に含まれても良いのではないかと考えた。 今回の後編では、アート思考のデザインを「発想の切り口」から見てみる。自分の頭の整理も兼ねて、表を作ってみた。 横のマスがこれからご説明させていただく、以下の3つの発想の切り口。 ① それまでの常識に逆らう、裏をかく ② 掛け離れた要素を融合する ③ 逆説的に発想する 同じタイプの発想法でもアウトプット(製品)は、実用的なものとよりアートに近いものに分かれると考え、前編で挙げたアート思考の2つの方向性(上記の2つ)に連動する以下の2つの提供価値を縦のマスに配した。 ・これまでにない体験価値を提供 (前者の作者の気づきや思いからの発想 ⇒ 本来のアート思考) ・ものを通してメッセージを発信 (後者の芸術作品のようにメッセージ性のある表現 ⇒ アート思考の拡大解釈) マスで区切るとそれぞれが明確に分かれてしまうが、実際には領域が曖昧で、見る角度でも変わってくるのでその辺はご容赦いただきたい。ただ、採り上げる事例をわかりやすくするためにこの表に基づいてご説明したいと思う。(説明するほど分かりにくくなってすみません…) ① それまでの常識に逆らう、裏をかく 今年3月に発売され、好評につき販売エリアを拡大した明治の「Dear Milk」は、食品添加物はもとより、卵も使わず「乳製品のみ」で作られたアイスクリーム。乳を生業とする同社が作りたいと思って実現させた製品だ。 エッセルスーパーカップをはじめ、今店頭で売られているアイスのほとんどが乳製品に砂糖や植物油脂などの素材を足して味づくりを行っている。そんな中、「ミルクのおいしさを最大限生かすため、乳製品しか使っていないアイスを作りたいと思った」と吉岡氏はDear Milk開発のきっかけを話す。開発のもう一つの背景にあったのが、日本人の牛乳離れによる生乳の廃棄問題。「酪農家への応援も含めて、チャレンジしたいと思った」と吉岡氏。 市販のアイスは様々な素材を加えて作るものという従来の常識を破り、今までになかった新しい体験価値を創造した製品アイデアである。商品サイト情報によると、生乳中の水分を凍らせて取り除く氷点濃縮仕立て製法を用いて、生乳本来の香りと豊かなコクを引き出したそう。コンビニで見掛けないので筆者はまだ体験できていないが、開発者の思いが込められているのを知ると余計に食べてみたくなる。
常識を覆す発想でまだ見ぬ価値を作り出す「アート思考のデザイン」とは?|前編
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「デザイン思考」の思考法があらゆる分野に行き渡り、最近では「アート思考」が創作活動において注目されている。前者が顧客のニーズを起点に解決策(答え)を導き出すのに対し、後者は既成概念に囚われず、自分が主体となり「問い」を立てるところから始まる提案型の発想法である。 ChatGPTなどの生成AIの急速な発展も影響していそうだ。人間が答えを出す必要が少なくなる可能性がある一方で、「問う力」が求められている。精度の高い回答を引き出せるかは、プロンプト次第だからだ。 また、先の予測が困難なVUCAの時代(不確実な時代)と言われ、パンデミックでそれを実感した今、現状のニーズ起点の発想だけでは万全でなくなったことも関係がある。そうした背景も要因となり、アート思考の「既成概念に囚われない発想」の必要性が認められ始めている。 昔の製品開発は、アート思考で行われていた デザインの仕事に就いている立場からすると、デザイン=デザイン思考、アート=アート思考と認識されることに違和感を覚える。何故なら、クリエイティブ職の人たちは元々アート思考をしているからだ。 一昔前は、マーケットイン(顧客ニーズ起点)、プロダクトアウト(企業/作り手発信)という言葉が使われていた。デザイン思考とアート思考は、その発展形ではないだろうか。 マーケティングの考えがデザインにも採り入れられるようになった2000年代以前は、大半がプロダクトアウトだった気がする。作り手が「あったらいい」と思うものが具現化されたので、イノベーティブなものも多かった。ソニーのウォークマン然り、アート思考の説明に過去の事例が挙げられるのはそのためだと思う。 前編の目次 ・最近の人気商品に見るアート思考のデザイン ・現代アート作品の考えに相通じるデザインアプローチもある ・未来動向を予言する側面もある現代アート ・前編のまとめ|筆者が考えるアート思考の2つの方向性 最近の人気商品に見るアート思考のデザイン
デザイン視点で見た「Japan Mobility Show 2023」
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東京ビックサイトで開催中のJapan Mobility Showを観てきた。 専門的なレビューはカージャーナリストの方々にお任せするとして、デザイン畑にいる筆者はデザインの観点から感想を綴ってみようと思う。(短時間で観たので、観察が甘々だったら出展企業の皆様すみません。。) モーターショーから「モビリティ」ショーへ 今年から名称が東京モーターショーからジャパンモビリティショーに変わった。 キャッチコピーは、「乗りたい未来を、探しにいこう!」。自動車に限らず「乗り物全般」を対象に、これからの「移動性」を提案するのだと解釈した。実際に、モビルスーツを実現させた巨大な搭乗操作型ロボット(ツバメインダストリ社のアーカックス)などのモビリティの新機軸を打ち出す斬新な製品も公開されていた。 多様な移動ニーズを網羅した「ホンダ」のブース 移動性の提案という点で見ると、大手自動車メーカーのメイン会場の中では、ホンダのブースが最もテーマに則っていたと思う。自家用車に加え、最近発表された自動運転タクシーの車両(Cruise Origin)や、箱型のボディにパーツを格納できるキュートな電動バイク(Motocompacto)、ハンズフリーで走行可能な電動車いす(UNI-ONE)など、多様な移動ニーズに呼応したプロダクトが展示されていた。 製品のカラーは、人型ロボットASIMO君を彷彿とさせる白で統一されているので、こうして一斉に並べた時に一体感が出ることも良いと感じた。 電動車いす「UNI-ONE」に楽しそうに試乗する子供の姿も見られた。ホンダのブースで掲げられていたキーワードは「夢」(HONDA DREAM LOOP)。それを形にすることを立証した展示であった。 そして、目玉はやはり、小型ジェット機「HondaJet Elite II」。 実物大のモック(模型)で乗り込み体験を提供。プライベートジェットと縁遠い筆者もせっかくの機会なので体験した。1組あたり制限時間1分と短く、優雅な気分をじっくり味わう前に時間終了になってしまったが、良い思い出になった。一般公開日は、長蛇の列になりそうだ。 「折り紙」のようなフォルムが目立った国産ラグジュアリーEV 筆者は、プレスイベント終了後の遅い時間帯に行ったため、会場は比較的空いていた。その中で人目を引いていたのが、ラグジュアリーな次世代コンセプトカー。日産のプレミアムEVミニバン「HYPER TOURER」やレクサスのスーパーカーの電動モデル「LF-Z Electrified」などに来場者が集まっていた。
省エネ・オフグリッド・電気不要、小さなことからコツコツと始める「節電デザイン」
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東京ミッドタウンで2009年に行われたDESIGN TOUCHの展覧会で、デザインファームIDEOが出展した「Change Lamp」は、面白いアイデアだった。 「より良い未来へ、小さな一歩」をテーマにIDEOのデザイナーたちが考えたプロダクトの一つで、お金を入れないと点灯しない節電プロダクトだった。電気の有り難みを感じ、大切に使うようになると同時に、お小遣いも貯まって一石二鳥だ。キャッシュレス決済が普及した今となっては、小銭の持ち合わせがなく使えないこともありそうだが、ダミーのコインで作動するようにしたら、子供の節電意識を高める知育用品にもなり得ると思う。 (ちなみに右の写真の小物は、節電とは関係ないが、貯金つながりで少しだけなら出せるようにした貯金箱。出せないとそのうちお金を入れなくなるありがちな習性を捉えた提案で、この展示ではそうした人々の心理や行為に着眼したコンセプトデザインの数々が披露されていた。) エネルギー問題が取り沙汰される今、小さいスケールでの節電デザインも重要に 電力需給の逼迫、電気代高騰、自然災害発生時の停電など、近年は生活を脅かす電気絡みの問題が多発している。一方で、電力を必要とするプロダクトやサービスは増えている。わたしたちの生活の大部分は電気に依存しており、それが使えなくなると、かなりのピンチだ。 世界の電力消費量(家庭・産業での消費量の総計)も年々増加傾向にある。省電力や創エネの技術開発も進められているが、生活者単位で節電を心掛けることも求められる時期に来ている。 筆者はエネルギー問題に詳しくないので、大きな話はできない。だが、生活者レベルの小さいスケールでの節電対策がされたデザイン事例をチェックしていたので、それについて語りたい。それで毎月の電気代が激減するわけではないが、取り組みが具体化していることに今後の可能性を感じている。 タイガーが創立100周年を記念して発売した、新聞紙で炊く炊飯器「魔法のかまどごはん」もそのうちの一つだ。炊き始めと炊き上げ時に付きっきりで火加減をしなければいけないのは大変そうだが、アウトドアでの使用も想定していることから、飯ごうで炊くようにそれも体験として楽しめるのかもしれない。それはさておき、電力で動かすのが当たり前になっている家電をアンプラグドにし、製品化したことが凄いと思う。気持ちが沈む非常時に本格的なかまどご飯が食べられるというのも贅沢だ。レジリエンス(回復力)を与えることも節電デザインの長所である。 昔のかまどの構造を応用し、温度差を作り対流を起こすことで、美味しく炊けるようにしたそう。 2021年には、環境意識も高いイタリアのデザイン会社FORMAFANTASMAが、CO2削減を目的に自社のウェブサイトをリニューアルしている。情報表示を簡素化することで、サイトの読み込み時に消費するエネルギーを削減。ただ情報量を少なくするだけではなく、ウィキペディアのサイトを参考にしているところにデザイナーの遊び心が感じられて面白い。フォントもArialなどのシステムフォントにすることで、不要なHTTPリクエストも回避。また、画像にカーソルを当てるとデータのサイズが表示されるようにしている。 実験的な取り組みだが、日々当たり前に行っているデジタル画面の閲覧時にも多くの電力が消費されていることに改めて気づかせてくれる。家電の非電化という新機軸を見出した先のかまどごはん然り、節電を目的とした近年の尖ったアイデアから学べることがたくさんあると思う。 今回はそうした、小さいスケールだが意義があると筆者が感じるデザイン事例を採り上げる。以下の3つの切り口で分類してまとめてみた。 ① 自前で発電 ② 熱源を二次利用 ③ 電気を使わない
"デザインの敗北" から考えてみる「ユーザーフレンドリーなデザイン」
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先日、「デザインの敗北」がX(旧Twitter)でバズっていた。 テプラ攻めにされたことが話題になったセブンイレブンのコーヒーメーカーを発端に、見た目を優先したがためにわかりづらくなってしまい残念な結果となるデザインに、このレッテルが貼られるようになってしまった。 これは、デザイナーにとって屈辱的だ。特に、補足のために貼り紙をされるのは、たとえデザインに非があるとしても気の毒に思う。 だが、デザイナーにとっての良い教訓になる。 自分たち(設計者)にはわかりにくいと思わないことが、他の人たちにはわかりにくいことがあるということに気づかせてくれるからだ。(そういうことは往々にしてある) 筆者もデザインの仕事に携わっているので、そちら側にいる人間なのだが、日々数々のデザインを目にする中で、何故これが最終案に残ったのか!?と疑問に思うものはある。 が、同業者なのでそれは伏せておくとして、この「デザインの敗北」を起点に、ユーザーにとってわかりやすい&使いやすい「ユーザーフレンドリーなデザイン」とはどのようなものなのか、改めて考えてみる。 まずは、ネット上でデザインの敗北とされているものを分類してみよう。 パッケージやサインなどの「情報伝達」 例:ローソンのPB商品パッケージや、商業施設のトイレなどの案内用サイン 群として見えるよう統一感を持たせ、うるさくならないよう穏やかな表現にしたことが仇となり、商品が判別しにくくなってしまったパッケージデザイン。パンや牛乳などのデイリーフーズは、英語表記を日本語よりも大きくしていたので混乱を招いた。特に納豆は、種類の見分けがつきにくかった。 商品が発売された翌年の2021年に、一部の商品のパッケージデザインを変更。納豆のラベルも日本語表記を目立たせ、イラストも写真に変更。優しいイメージそのままにわかりやすくなった。イラストが大きく入ったカップ麺のデザインなど、個人的には好意を持っているが、食品はやはり「シズル感」も大切なので、写真表示が得策なのだろう。 プロダクトの「ユーザーインターフェース」 例:R=Regular~普通サイズ、L=Large~大きいサイズの表示がわかりにくかったセブンイレブンのコーヒーメーカー 先ほどのローソンPBのパッケージ同様に、不特定多数の人が利用するものを英語表記にしたことも災いを招いてしまった。コンビニは、外国人観光客も利用するので英語表記も必要だが、ユーザーの大半は日本人なので、日本語表記は不可欠だった。(この押し間違い問題は、2018年にカップを置くと自動判別するタッチパネル式のマシンが導入されたことで無事に解決している) 筆者が前々回に書いた "やみつきになる触感で魅了する、デジタル時代の「物理的なUXデザイン" でも採り上げた、TOTOのウォシュレット用のエコリモコン。若干、英語表記が海外の人を混乱させそうではあるが、日本語表記がプロダクトの美観を損なうことなく、上手く収まっている。 わかりやすい例と言えるかは微妙だが、VOLVOのクルマの昔のエアコンスイッチは、座っている人の「ピクトグラム」で判別しやすくしていた。コーヒーメーカーのボタンも、文字ではなく絵にしたらわかりやすくなったのかもしれない。(VOLVOはタッチパネル導入後もこのピクトグラムを画面上で継続させている) プロダクトの「ユーザビリティ」 例:ダイソンのハンドドライヤー付き水栓金具 ハンドドライヤーを一体化したダイソンの水栓金具、Airblade Wash+Dry。手を洗ってすぐにその場で乾かせるようにした点でユーザーフレンドリーだったが、見たことのない形でそれが伝わらず、「風が出ます」と打ったテプラを貼られてしまうケースもあった模様。確かに、事前に知らされていないと水を出すためのレバーかと勘違いしてしまうかもしれない。 水と風のアイコンをエンボス加工で入れたら伝わっただろうか。形を見て使い勝手がすぐにわかるのが理想だが、このケースはどうすれば良いのか考えるが難しい。 ダイソンのコードレスステッククリーナー(掃除機)は、その点、よく考えられていた。 最新モデルでは、電源スイッチがボタン式になったが、それまでは「トリガースイッチ」を採用していた。銃の引き金のように引くと作動し、離すと止まる。この動作に持ち手を握る力を利用できるので理に適っていた。握力の弱い人のことを考慮してボタンに変えたのだろう。だが、自然に受け容れられるトリガースイッチの方が、ユーザーフレンドリーだったと筆者は考える。 概ねこんな感じだろうか。ユーザーに指摘される敗北要因は、「直感的にわからないこと」に集中している。ネットで取り沙汰される事例は、デザイン評価が高く著名なデザイナーや企業が手掛けたものが多い。それ故に、見た目の良さばかり気にして肝心の使い勝手がなっていないじゃないか!と言いたくなってしまう気持ちもわからないではない。が、デザインの意匠性と機能性は、必ずしもトレードオフの関係にあるわけではない。意匠性に優れ、直感でわかるデザインも存在する。 現在Niantic Labsでデザインアーキテクトを務めるスーザン・ケア氏が、Appleに在籍していた80年代前半にデザインした、Macintosh用のグラフィックアイコン。 パッと見て使い勝手がすぐにわかるようにしたピクセルデザインのアイコン。 1986年のOS更新で、削除したいファイルをゴミ箱にドラッグすると、ゴミ箱が膨らむようになった。(定かではないが、サードパーティのアイデアを採用してこのようにしたと何かで読んだ気がする) ゴミ箱に入れて捨てるという日常的な行為を引用していること、入れるとゴミ箱が膨らむというインタラクションがあること、このどうすればユーザーが説明なしでもすぐに理解できるかをシンプルに具体化したこの表現が、ユーザーフレンドリーなデザインのお手本ではないかと考える。 意匠性に優れ、直感でわかるユーザーフレンドリーの代表例を一つ挙げるとしたら、わたしはこれだが、他にも同じように優れたデザインはある。上記の3つの視点それぞれに呼応する事例というわけではないが、それらも念頭に置きつつ、以下の観点でまとめてみた。 ① 買ってから最も知りたい情報を見やすくしたパッケージ ② それが必要なユーザーの状況を考慮したパッケージやプロダクト ③ なおざりにされていた使いにくさを解消したプロダクト
"これでいい"がこれがいいになる、満ち足りた今に必要な「引き算のデザイン」
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使わない機能がたくさんあるスマホを利用している。読まない情報が商品にたくさん表示されている。作り手も使い手もそういうものとしてその状況を無意識に受け容れているが、そろそろ引き算の思考に頭を切り替えても良いのではないか。 引き算と言っても、無駄を極力省く禁欲的なものではない。ましてやミニマリズムやわびさびのわびのような不足の美学でもない。「それで十分」の十分な状態にすることである。最近は、環境意識の高まりも味方に付け、むしろ「これがいい」と思える「これでいい」表現が、現れてきている。 様々な可能性を秘めた、これでいいの「で」のデザイン フランスの高級ファッションブランド「メゾン・マルジェラ」が、だまし絵デザインのトートバッグを発売した。同ブランドのアイコンバッグ”5AC”をリネン製の本体に印刷し、取っ手のみ本物と同じ革製にして、写真とつながっているように見せた遊び心のあるデザインのバッグである。 左のだまし絵バッグは218,900円、モチーフになっている右の5ACバッグは488,400円なので、価格は半分以下だ。それでも泣く子も黙るプライスだが、それはさておき商品として見て「これでいい!」と思ってしまった。 エルメスのようなオーセンティックなブランドではそういうわけには行かないだろう。だが、マルジェラのようなアバンギャルドなブランドのバッグなら、品質だけではなく「独創性」が大きな価値となるので全く問題なさそうだ。革製の本物を買えないからではなく、自分の意思でこれを選んでいるという説得力もあるので、これでよいのではないかと思った。 良品計画は、2002年に公表したブランドのヴィジョン「無印良品の未来」で、「これがいい」ではなく「これでいい」というメッセージを発信している。 無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。 しかしながら「で」にもレベルがあります。無印良品はこの「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目指します。「が」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「で」には抑制や譲歩を含んだ理性が働いています。一方で「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。従って「で」のレベルを上げるということは、このあきらめや小さな不満足を払拭していくことなのです。そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること。それが無印良品のヴィジョンです。 勝手な解釈だが、「良い意味での中庸」の追求でないかと感じた。 「理性的な満足感」というのも重要なポイントだ。無印良品はそれを指針とすることで、多様なライフスタイルに寄り添える「普遍性」を手に入れたと考える。 冒頭で触れたマルジェラのだまし絵バッグも抑制や譲歩を手法としている点で、無印良品と同じだが、そのある種の諦めをジョークとして見せ「感性的な満足感」につなげているところが異なる。いや、無印良品にしても敢えて「無印」にする点が既にアーティスティックだし、細部にまで気を配ったデザインの美しさも購入動機になっていることから、ユーザーの満足感が100%理性的というわけではないだろう。 見出しに書いた「で」のデザインは、無印良品の言葉の引用だが、この「で」というのは意外と奥深い。それに着目した同ブランドの視点も鋭いなと感心する。 筆者が「これがいい!」と思う無印良品の「これでいい」の商品(シリコーンキッチンツール)。最近は、料理番組でも使われている。 近年の「これでいいデザイン」をこれがいいと思える要因には、環境意識によってものの見え方が変わったこともある。最近では、高級ブランドもショッピングバッグの素材を再生紙に切り替えたりしていることもあり、かつて見劣りしていたものもお洒落に映るようになった。 2019年に日本国内の美容院で初めてBIO HOTEL JAPAN認証を取得した千葉県柏市のヘアサロン「THE ORIENTAL JOURNEY」では、古い新聞紙を使った手作りのショッピングバッグで商品を提供している。 今回は、その「これでいい」の「で」が、どのように説得力のある魅力的なものになっているかに着目する。デザインの創造力で、それがどのように表現されているのかを、以下の視点で考察する。 ①【空間】 期間限定という制約下、これでいいを美しく表現した「仮設のデザイン」 ②【パッケージ】 「情報過多、過剰包装へのアンチテーゼ」としてのこれでいい商品パッケージのデザイン ③【プロダクト】 「要らない機能やスペース」を省き、これでいいをポジティブな選択肢にした工業製品
やみつきになる触感で魅了する、デジタル時代の「物理的なUXデザイン」
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昔、「∞(無限)プチプチ」という商品があった。荷物の配送時に使う気泡緩衝材のプチプチを潰す快感を無限に味わえるようにした「触感玩具」だった。と、過去形で書いているが、調べてみたら何と2021年に「∞プチプチAIR」に進化を遂げていた。公式サイト情報によると、旧モデルは2007年の発売以降、累計260万個以上販売している大ヒット商品だったのだ。 バンダイが、東北大学+日立ハイテクによる脳科学カンパニーNeUと共同で、20~30代男女33名を対象に行なった実験では、∞プチプチAIRで遊んだ人の方が遊ばなかった人よりも課題正答率や脳活動が維持され、安静時に心拍が落ちつくことが認められたそう*¹。元々の緩衝材は、そのためにあの形にした訳ではないが、プチプチの効果、恐るべし!という感じだ。 「触感」には、情動を刺激する要素があるらしい。 ヤクルト広報室が発行する健康・科学情報誌「ヘルシスト」に掲載されている、京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部助教授の山本洋紀氏のお話によると、 ・触覚刺激は、自分の内側で生まれたパーソナルな感覚として捉えられる。 (⇔視覚や聴覚は、刺激を自分の外にあると感じる) ・触覚と視覚は互いに刺激し合う関係である。 とのこと。 この記事でも紹介されている「ラバーバンドの錯覚」(1998年に神経科学研究者のマシュー・ボトヴィニック氏らが発表)が、それを表していて興味深い。 自分の手をついたての向こうに置き、目の前にあるゴム手袋が筆で触られると、自分の手が筆に触られているように錯覚し、ゴム手袋を自分の手のように感じてしまうそう。 こういう状況は、普段の生活であまりなさそうだが、人が怪我をした時に自分も痛く感じるのも、もしかしたら同じ知覚作用なのかもしれない。 近年は、デジタル領域においても触感を人工的に再現しようとする試みが行われている。 Playstation 5のコントローラー「DUALSENSE」は、触感提示技術を搭載し、ゲーム上のプレイヤーが受ける衝撃や感触を手元で実際に感じられるようにしている。 振動を感じさせるハプティックフィードバックと、張力を体感できるアダプティブトリガー。画面上の動きから受けるバーチャルな感触にリアルな感触が加わると、臨場感や没入感は倍増しそうだ。 ソニーは昨年、建設中のGinza Sony Parkに隣接する実験スペースSony Park Miniで、「床は人を旅に連れて行ってくれるのか?」と称したハプティクス床面の展示を行っていた。 水たまり、うす氷、砂浜の触感を微細な振動による触覚提示技術で床面に再現。触覚に視覚と聴覚を組み合わせたクロスモーダル知覚(五感の相互作用)で、足元にリアルな感触を与えるというもの。子供の頃、冬の朝の登校時に表面が凍った水たまりを踏んで割るのを競った思い出がある。あの感触は、快感だった。このハプティクス床面をオフィスに導入したら、ワーカーのメンタルヘルスに一役買うかもしれない。 「ガチャガチャ」のハンドルを回す感触も快感だ。あれは故意に硬くしているのではないか。力を入れ回し切った時の手応え、ガチャッという音、そしてカプセルが転がり落ちる響きがセットになってある種の達成感が得られる。あれがタッチパネルになったら魅力が激減するだろう。 自分事として体感する物理的な触感UXは、究極のエモーショナルバリュー 様々なものがデジタル化し、タッチ操作や音声入力で物理的な要素が少なくなる現状においても、このように「手応え〜心地よい抵抗感」は、人々にささやかな幸福感をもたらしている。幼い頃からスマホが存在するZ世代にインスタントカメラ「チェキ」が人気なのも、ひょっとしたらあの撮影した感を体現する物理的な動きにあるのではないか。 UXデザイン(UX=User Experience)は、アプリなどの画面のUIデザインに限定して語られることが多いが、それだけではない。「物理的なUXデザイン」もある。むしろそのリアルな触感が、リラックス効果などの脳に良い刺激を与えることから、ウェルビーイングデザインとしての優位性もある。 プチプチやガチャにあるようなやみつきになる感触は、実用的なプロダクトにもみられる。そこで、筆者がこれは!と思うものをピックアップし、以下の視点で考察してみる。 ① クリックやスライドの感触が快感なプロダクト ② レトロな操作感を敢えて残して魅力とするデジタル製品 ③ あまり歓迎されない自然現象をエモーショナルな体験に変える生活用品
身近なバリアを取り除き、みんなをハッピーにする「インクルーシブデザイン」の新機軸
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身体的な障がいを持つ人たちをはじめとする特定の人々の障壁を取り除き、社会的不利を是正する設計思想がある。その考えは、バリアフリー(障壁の除去)に始まり、ユニバーサルデザイン(普遍的な設計)に広がり、インクルーシブデザイン(包摂的な設計)に発展している。この3つの言葉が共存しているため、どれが何だったのか筆者も時々混乱する。が、それぞれの意味は異なり、対象者や具体策も異なるので、前フリが少し長くなるが、本題に入る前にまずおさらいしてみる。 バリアフリー(障壁の除去) 障害のある人の社会参加を妨げている「建築上の障壁をなくすこと」。 バリアフリーの起源は、戦後の傷病者の増加にある。アメリカで戦争による傷病者の生活環境の改善の必要性から1968年に制定された「米国建築障壁法」を起点に生まれた概念である。わかりやすい例を挙げると、視覚障がい者に向け、安全交通試験研究センター初代理事長の三宅精一氏が1965年に発明した「点字ブロック」が該当する。 ユニバーサルデザイン(普遍的な設計) ノースカロライナ大学教授である建築家Ronald Mace氏が1985年に提唱したDesign for allの概念。建築物や製品は、「年齢や性別、能力の多寡に関わらず、設計の初期段階から最大限の努力を払ってデザインされなくてはいけない」と宣言している。対象物は建築からプロダクトに広がり、身体的な障がいに限らず、属性や能力による不利も考慮されるようになった。 歩行が困難な人のための「スロープ」は、バリアフリーの具体策である。だが、普通に歩ける人にも有効である。スーツケースを引いている時にはスロープがあると助かる。 このように特定の困難を抱える人に限らず、みんなが便利に使えるようにした設計が、ユニバーサルデザインなのである。 車椅子も通れるようにした「ワイド改札機」もユニバーサルデザインの好例である。筆者も大きな荷物を抱えている時に利用する。 インクルーシブデザイン(包摂的な設計) 英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アートの名誉教授であったロジャー・コールマン氏が、1994年に提唱した考えで、ユニバーサルデザイン同様に「みんながハッピーになる」ことを条件とする。「包摂する」という視点が重要で、様々な制約のある人たちを排除せず、仲間としてみんなが自然な形で受け容れる状態になることを目指す設計を指す。対象者の目線で、或いは彼らを交えて開発することもこの包摂の言葉の意味に含まれている。 多様な子供たちが共に学ぶ「インクルーシブ教育」を実践するイスラエル・テルアビブの小学校、Bikurim Inclusive School。障がい児が生徒の1/4を占めるこの学校では、自閉症の子供たちに負荷が掛からないように、天然木と優しい色味の家具で構成し、テーブルには車椅子用のスペースも設けている。障がいのない子供たちも点字や手話を学べる四方に文字や絵が刻まれたそろばん型の遊具(画像)も設置しており、障がいの有無を超え、学びを共有できるようにしている。 インクルーシブデザインで包摂される人たちの範囲は、ユニバーサルデザインよりもさらに広い。SDGsの影響もあり近年は、性的マイノリティや生活困窮者、宗教上の制約がある人などもその範疇にある。 以前投稿した、LGBTQ+に限らない!「ジェンダーレス」なデザインで採り上げた、オカモトヤの「オールジェンダートイレ」は、出入りの際に人と鉢合わせにならないように出入口を分けた設計にしていた。他人にじろじろ見られる心配があるトランスジェンダーの方々に配慮したと思われるこのデザインも、誰もが分け隔てなく利用できる点でインクルーシブデザインであると解釈する。 その先のインクルーシブデザイン ~ みんなが幸せな時間を共有する 図で表すとこんな感じではないか。障壁を取り除く対象者の範囲は広がり、その解決策もみんなが共有できるものに発展している。共存するこの3つの設計思想は、その範疇が異なるものの、基本的に困難を克服し「公平性」を実現させることを発想の起点としている点で共通する。 一人一人の違いが尊重される「多様性」の時代と言われる今、そしてこれからは、自分でもそれが障壁だと気付いていなかったことにもスポットが当てられるのではないかと筆者は考える。社会的不利と言うと大袈裟だが、例えば、敏感肌なので家族と同じシャンプーを使えないとか、猫舌なのでみんなでもんじゃ焼きを食べに行くとハンデがあるとか、そういう類の誰にもある身近な障壁である。 そして、その解決策によって「みんなが幸せな時間を共有できること」が、インクルーシブデザインの新機軸なのではないかとも考える。 最近ではそれを体現している事例が表れているので、以下の3つの障壁から考察してみた。 ① 飲酒の障壁 ② 食物の障壁 ③ 言語の障壁
中身は変えずに満足度を上げる!「健康的な食生活」を実現させるデザイン
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食器に微弱な電気を流すことで、飲食物の味覚を変える「電気味覚」の研究で、明治大学・宮下芳明教授と東京大学・中村裕美特任准教授が今年のイグノーベル賞の栄養学賞を受賞された。電気味覚とは、味を感知する舌のブツブツの味蕾に電気が伝わると起きる「味変」のことで、両者はその仕組みを工学的に活かし、減塩食の塩味を実際の1.5倍に感じさせる箸などを発明している。 イグノーベル賞のオンライン授賞式での受賞者の宮下氏と中村氏。宮下氏が手にしているのは、昨年、同氏の研究室(明治大学先端メディアサイエンス学科)とキリンホールディングスが共同開発した食器デバイス「エレキソルト」のお椀とスプーン。来年の商品化を目指しているそう。 高血圧などで塩分を控えなければいけない人にとって、この技術製品の発明は朗報だ。初期の箸型デバイスは有線だったので、それが食事の楽しみを減退させそうだと思ってしまった。だが、内蔵電源になり見た目もすっきりしたので、これなら食卓でも違和感なく使える。技術ありきの製品だが、やはりデザインは重要!スプーンは先端を外して食洗機で洗えるようにしている点も実用的で素晴らしい。 2016年には、中村裕美氏を含むメンバーで「NO SALT RESTAURANT」のプロジェクトも実施(企画:J.Walter Thompson Japan)。無塩でもちゃんと塩っぱく感じられるのはどんな感覚なのか実際に試してみたくなる。 イグノーベル賞は、「人々を笑わせつつ、考えさせる研究」に贈られる。面白くてちょっと変な研究のイメージが強いが、考えさせられる研究であることが重要なのだなと改めて思った。宮下氏と中村氏によるこの味変食器は、発想がユーモラスだが、健康ベースのウェルビーイングを体現する革新的なアイデアである。 実際の味とは異なる味覚を実現させることで、食の満足度を高めつつ、健康を損なわないのは理想的だ。飲食品自体を変えるのではなく、「脳の錯覚」を活かしている。電気味覚の技術自体がそうなのだが、NO SALT RESTAURANTでは、実験のために敢えて塩分が多く高カロリーなイメージの料理を選び、塩味を錯覚としても呼び起こすようにしたと、中村氏がNTT研究所の触感コンテンツ専門誌「ふるえ」上でのお話の中で語られている。電気味覚に加えて、「脳が記憶している塩味」も利用しているとのこと。 「脳の思い込み」を利用した健康的な食生活のアイデアは、実は「デザインの視覚効果」によっても実現している。と言うか、むしろデザインが得意とするところである。単純な「見た目の違い」で、食事の中身を変えることなく満足度を高める。そのデザインの効力を実証した2つの事例を以下にご紹介する。 ① 盛り付けの見栄え ② 食器のサイズや色
アテンションは控えめ、生活に溶け込む穏やかな情報通信技術「カームテクノロジー」
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2000年代後半にスマホが登場し、2010年代にはSNSが普及した。その後AIが実用化され、家電や自動車など様々なプロダクトもインターネットに繋がり、私たちの暮らしは常に情報に包囲されるようになった。 スマホの着信音から音響製品の「Bluetoothに接続しました」に至るまで、一日中何かしらの通知を聞かされている。「お風呂が沸きました~♪」や電子レンジのチンのように便利な呼び掛けであれば良い。究極は、緊急地震速報の警報音だ。安全のために必要不可欠なことは重々承知だが、あの不安を煽る音は本当に心臓に悪い。 四半世紀を経て、必要性が実感されるカームテクノロジー 「カームテクノロジー」という考えがある。ユビキタスコンピューティングの父とされるコンピューターサイエンティストのマーク・ワイザー氏とジョン・シーリー・ブラウン氏が提唱した設計思想だ。ユーザーの注意を最小限に抑えつつ情報を効果的に伝達し、人々の生活を向上させるためのテクノロジーと定義されている*¹。「生活に溶け込む穏やかなテクノロジー」とも称される。人と技術の関係性に焦点を当てていることから、UXデザインの設計思想の一つとも言えそうだ。 この考えが提唱されたのが、インターネットサービスが一般に普及し始めた1995年。それから四半世紀経ってようやくその意義が認識されるようになった背景にはやはり、過剰なアテンションエコノミーが人々を疲弊させている実態がある。 デジタル機器やサービスを健康や生活に支障を来さない形でバランスよく有効活用することを指す「デジタルウェルビーイング」も同義語だ。スマホ断ちなどのユーザーの意志に依存するデジタルデトックスとは対象的に、デジタル機器の方が存在を控えめにすることで、デジタルウェルビーイングを実現させるのが、カームテクノロジーである。 カームテクノロジーの重要性が唱えられる一方で、それを体現するプロダクトは少ない。そんな中、もはや代名詞のような存在になっているのが、この「muiボード」である。 フィルムタッチセンサーを主力製品とするNISSHAの社内ベンチャーから誕生したmui Labのこの木製インターフェースは、必要な時のみ情報が表示され、普段は木製ボードとしてインテリアの一部として静かに存在する。表示や通知の仕方も穏やかで、生活環境のノイズにならないように設計されている。通知攻撃に煩わされず、心の平穏を保てる上に、目にも優しい点でも健康的だ。昨年、スマートホームの世界標準規格Matterに対応し、IoTの住宅設備や電化製品の制御も行えるようになったそう。 Muiボードのようにカームテクノロジーをコンセプトにした製品は散見しないが、ひょっとしたらこれもカームテクノロジーの具体策なのではないかと思う事例はある。そこで、いくつか思い当たる事例をわたしなりに分析した以下の3つの視点で採り上げる。 ① 静かなアテンション ~「数値ではない伝達」 ② 忍者のように物陰に忍ぶ「ステルス家電」 ③ 待機中は人を和ませる「映像ディスプレイ」
幸せホルモンを分泌させる「雑談」を奨励するデザイン
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「喋ってないで仕事しろ(怒)!」 と、高校生時代に一回だけやった年賀状の仕分けバイトで叱られたことがある。同世代が集まるのでついつい話が盛り上がり、注意を受けてしまった(ちゃんと手は動かしていたのだが…)。 あれから云十年経った今、その「雑談」が脚光を浴びている。リモートワークの普及で、人とのコミュニケーション不足の問題が新たに浮上したことがその背景にある。画面上で話し掛けるタイミングを見計らえるバーチャルオフィスのサービスを導入する企業も増えているようだ。 2020年からサービス展開するoViceのバーチャルオフィスは、黒い円の範囲内の人にだけ声が聞こえる仕組み。 近年、雑談は、誰ともお喋りできない状況で孤独を感じたり、燃え尽きてしまうのを防ぐ目的で奨励されているのだが、雑談の効果はそれだけではない。それ以上に素晴らしいメリットがあるのだ! たかが雑談、されど雑談、実は「ウェルビーイング効果」が高かった! 東洋経済Onlineのコミュ力に関する記事によると、 「雑談」には実に多くのメリットがあります。まず、雑談や会話など、話をすることは、脳内ホルモンを分泌させ、脳や身体の活性化につながるとされます。気分のいい会話は、脳内に「ドーパミン」「オキシトシン」「エンドルフィン」といった刺激・快楽ホルモンを放出させ、健康や幸福感を高めてくれるからです。雑談にはまるで「万能薬」のように、人の苦しみや悩みを和らげる効果があります。 とのこと。 雑談によって分泌されるドーパミン、オキシトシン、エンドルフィンは、これにセロトニンを加えた4つで総称される「幸せホルモン」である。他の複数の文献を見ると、特に「愛情ホルモン」であるオキシトシンが会話によって多く分泌されるようだ。高揚感をもたらすエンドルフィンや、やる気を出すドーパミンは、話が盛り上がってきた時に確かに出ているような気がする。 また、雑談が「バイタリティ」を高める効果があることも調査で明らかにされている。電通が全国男女20~60代、合計10,000名の会社員個人を対象に2018年に行った「全国1万人会社員調査」では、①「睡眠」②「雑談」③「ちょっと幸せになれる習慣」の3つの要素が社員や組織のバイタリティを左右するあることが判明したそうだ。 「雑談」に関しては、「職場で雑談することがない」と答えた人のバイタリティの度合いを100とした場合に、あると答えた人のバイタリティの度合いは33%ほど高い数値となり、雑談がバイタリティの高さに関係していることが分かりました。業務効率化においては、不必要に思われがちな「雑談」が、バイタリティという視点においては、むしろ重要であるということが示唆されました。 雑談から思い掛けずナイスなアイデアが閃いたりすることもある。ウェルビーイングが重視される今となっては、私語は慎まなくても良いようだ。 バーチャルオフィス未体験のわたしが言うのも何だが、バーチャルオフィスにはきっと在宅勤務時のコミュニケーション不足を補う効果があるのだろう。だが、雑談の真髄はやはり「対面性」と「偶発性」にあるのではないか。道端に立ち止まり自然に勃発する長屋の井戸端会議のように物理的に場を共有することが大切なのではないだろうか。 ◆ 筆者が考える、理想的な雑談の条件 ◆ ・タイミングが合うこと (双方が互いに話し掛けられても良い状態で、お喋りしたい気分なこと) ・何となく自然に始まること (さぁ始めましょうではなく、すれ違った時などに何となく始まる方が盛り上がる?) 実際に、オフィス回帰の動きもあるので、出社要請する企業の責任者の中には、わたしと同じことを考えている人がいるのかもしれない… 雑談を奨励するオフィスの動向 だが、職場での雑談を奨励する動きは、既に2010年頃から始まっていた。Googleをはじめとするシリコンバレーの企業が、「クリエイティブオフィス」と称される遊びや交流の場を設けたオフィスを展開し、その様式がオフィスデザインのトレンドになったのだ。 脱構築主義の代表的な建築家、フランク・ゲーリー氏が設計したMeta(旧Facebook)の本社は、屋上に広大な公園を設け、部署間を横断した交流を図れるようにしている。(画像は、2018年に拡張した棟) 住まいやカフェのようなコンフォートな設えも、クリエイティブオフィスのデザインの大きな特徴。(画像は、Metaの東京オフィス) 偶発的な雑談を促す効果が見出され、表舞台に現れた「給湯室や階段」
幸せを呼ぶ「遊び心のあるデザイン」|後編:意外と便利なもの
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コロナ禍の巣ごもり生活から解き放たれ、街に活気が戻ってきた。パンデミック以前は、タピオカや爆買いで賑わっていたが、あの頃の熱気が、3年間の潜伏期間を経て炸裂している感じだ。 人々が明るい気分になり、行動的になってきたことで、デザインも心のゆとりを反映した愉快(楽しく気分をよくすること)なものが増えていくだろう。デザイナーも、そう言えばこのところ真面目過ぎやしないかと我に返るかもしれない。”Less is more*¹”も良いが、やはりデザインは、人を楽しませ、幸せな気分にさせるものであって欲しい。 筆者がデザインの醍醐味ではないかと考える「遊び心」の表現について、2回にわたってお話ししている。前編では、通称イースターエッグと呼ばれる「隠しデザイン」や、使う楽しみを作る「サプライズ表現」を採り上げた。近年、ビジネス的な価値観からロジカルに説明が付くデザインが歓迎される中、真っ先に却下される(或いは提案すらできない)「なくても困らないがあると嬉しいデザイン」だ。 一方で、遊び心の表現が、意外と便利に働いているケースもある。 一回目の投稿のテックデザインとウェルビーイングで、「ナッジ(nudge)」に言及した。 ナッジとは、2017年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者のリチャード・セイラー教授と法学者のキャス・サンスティーン教授が2008年に提唱した行動経済学で、「望ましい行動に人を自然に導く方法論」を指す。 清掃の負担を減らすために男性用便器に的の役割を果たす「蝿の絵」を付けたオランダのスキポール空港のトイレが、ナッジの代表的な表現例である。 ↑ これが、男性用小便器に描かれた蝿の絵。 考えてみれば、この問題解決のためのデザインも「遊び心」のある発想だ。それでありながら、ミース・ファン・デル・ローエの”Less is more”も体現しているところが凄い! 日本では、渋谷ハロウィン後のゴミ散乱問題の解決策として、2015年から東京都が「ジャック・オー・ランタン」の絵を印刷したオレンジ色のゴミ袋を配布している。 ゴミで膨らむとカボチャのジャック・オー・ランタンのようになる袋でゴミ拾いを促進。街の景観を損なわない利点もある。(本来の意味は悪霊の化身だが…) これらは、ナッジ理論を体現する楽しいデザインだが、意外と便利な遊び心の表現は他にも様々なタイプのものがある。今日はそれを以下の3つの視点でご紹介させていただく。 ① 安心安全につながるWOWエフェクト ② 子供の好奇心を掻き立て健康促進 ③ 映え(バエ)の表現が便利に機能
幸せを呼ぶ「遊び心のあるデザイン」|前編:なくても困らないがあると嬉しいもの
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このパンのデザインが、何を意味しているかわかるだろうか? スペインのデザイン系の大学Cardenal Herrera Universityの学生を対象に2009年に行われた、日々の気づきをパンで表現することを目的としたワークショップ「Our Daily Bread」の作品の一つである。スペイン語でもぐもぐを意味する「Ñam!」と命名されたこのバゲットには、たんこぶが付いている。 お使いを頼まれた子供が、帰り道で我慢できずに買ったパンをちょっと齧ってしまうあるあるな習性に着眼し、あらかじめ「つまみ食い用」のパーツを付けたのである。わたしはこのデザインが、甚く気に入っている。市場性や採算性がどうのといったビジネス起点ではない学生さんならではの素朴な発想に心洗われる思いがする。 別になくても機能的な支障はなく、ある意味「余計なこと」だが、あると嬉しい「遊び心」のあるデザイン。近年は、デザインにもマーケティング思考が求められ、デザイナーとの共通言語を持たない経営者や技術者らにも説明が付く、論理的で理性的な発想や表現が歓迎されるようになった。それと引き換えに、デザインの本来の持ち味である感性価値が疎かになりつつある。 失われつつあるその価値はつまり、人々の感情に訴える「面白み」のことである。理屈で考えると不要なことが、実際にはユーザーにとっては意味のあるものだったりする。 この「遊び心のあるデザイン」、実は日本人が得意とするところではないかと考える。頼まれていないことまでついつい手が滑ってやってしまう職人気質と言うか、「茶目っ気」みたいなものがあるような気がするからだ。歴史を遡ると、京都の西本願寺の「埋め木」のデザインが、まさにそうである。御影堂と阿弥陀堂の廊下の木の節や割れ目の修復時に用いる埋め木に職人がこっそり忍ばせた「遊び心」である。 富士山やなすびなどの縁起物をモチーフにした埋め木の造形。仕事上、感覚的なことを受け付けない職種の方々も、これを見たら思わずぐっと来てしまうのではないだろうか。「遊び心」のデザインは、必要な無駄である。それがわたしたちの心に潤いを与えてくれる点で、ウェルビーイングに欠かせない要素である。 今回は、この「遊び心のあるデザイン」について語りたい。2回に分けてお話しする。前編では、「なくても困らないがあると嬉しいもの」を採り上げる。以下の2つの切り口で、事例を挙げて考察する。 ① デザイナーのいたずら ② 使う喜びになるサプライズ

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