真に直すべきは考え方
【最終回】一般的な健康指南書に欠けている「本質」
2015/6/1
3月から始まった連載「体を正しく揺らすと健康になる」は、今回をもって最終回を迎える。10年以上にわたって売れ続けているロングセラー『朝3分の寝たまま操体法』(講談社+α新書)の著書、トレーナーの西本直が本連載を通じて伝えたかったこととは──。
健康指南書の問題点
この連載は、私が2つのテーマを与えられ、それに沿って書いた2冊の本の内容を、編集していただきながら記事にしていただいたものです。
私は常々万人にかなう健康法は存在しないと言っています。このことはどなたが考えてもわかると思うのですが、人間の体は一人ひとり違いますし、生活環境も考え方もみんなそれぞれです。
それはわかっていても、なんとか手軽に体を整えたり、痛みを軽減できる方法を欲してしまうのは仕方がないことかもしれません。
そういうニーズがあるからでしょうか、書店には健康指南書の類いが山のように積まれています。
もし本当に、誰にでも確実な効果がある方法が書かれているとしたら、その一冊が延々と読み継がれればいいだけのことです。
それがこれでもかというくらい、生まれては消えていくことを繰り返しているのが現実です。
どの方法にも、それなりの効果はあると思います。
ただそこに書かれたことが、人間の体の仕組みを正しく語り、現状どこに問題があるのか、またそれに対してどう対処することが必要なのかという、本質的な部分に踏み込んでいないことが、混乱の原因になっているのだと思います。
自分の体と対話する大切さ
扇情的なタイトルで期待感をあおり、どこかをどう操作すれば、すべてがこと足りる的な内容のほうが、営業的には売り上げを伸ばすことができるのでしょう。
購入する側にも、本当にそれだけですべてが改善できるほどの効果があるとは思っていないかもしれません。
高い買い物ではないし、少しでも良くなればという軽い気持ちかもしれません。
そういう意味ではお互いのニーズが合っているわけで、私がとやかく言う筋合いではないかもしれません。
むきになって、万人にかなう健康指南書など存在するはずがないのだから、私に書けるはずがないと言い切ってしまっては身もふたもないかもしれません。
今回の連載で私が伝えたかったことは、「自分の体を知る、そのために自分の体と対話する」ということ。連載をすべて読んでいない方には意味不明なテーマかもしれませんが、それが一番伝えたかったことなのです。
体は道具ではありません。一生付き合っていかなければならないパートナーです。というより自分の体は自分そのものです。
だからどう使おうと勝手じゃないか、思った通りに動いてくれている間は、そんな態度も許されるかもしれません。
それがひとたび不調や痛みを訴えてきたとき、なぜこんなことになってしまったのかと、まるで他人事のように文句を言い始めるのです。
私はそういう体がかわいそうでなりません。
真に直すべきは考え方
先日も初めて私の元を訪れた同年代の男性が、左の首から手先にかけてしびれや痛みがあって、医師の診断では頸椎(けいつい)のヘルニアだと言われていると、まるで他人事のように、誰かのせいだと言わんばかりの態度で私に説明してくれました。
2カ月近くその状態が続き、状況は改善されるどころか痛みが増しているというその方に、私が見立てた状態と改善方法を説明し、施術を受けていただいた後には、明らかに症状の改善が見られました。
私の見立ては正しかったようで、ならばあまり日にちを空けずに2回目の施術を受けていただいて、そこから状況を見ながら間隔を空けてと提案しました。
それに対して返ってきた言葉は、「おかげさまで楽になりました、これでしばらく無理ができます」というものでした。
私がやったことは本当にこの人のためになったのでしょうか。楽になったと思わせたことで、体はまたつらい思いをさせられ続けることになってしまったのですから。
こんな例はよくあることです。私が治してあげなければならないのは、痛みを訴えている体ではなく、体を道具のように使っているその人の考え方ではないのか、そんなことを考えてしまいます。
信念との狭間で
今回の連載のように、少しでも役に立てていただける内容を毎回工夫しなければならない状況の中で、私の信念との狭間で悩みつつの連載となりました。
実技に関しても、単なる方法論ではなく、なぜどうしての部分をわかっていただくための工夫はしてきたつもりです。
ありがたいことに、回を重ねるごとに私の真意をくみ取っていただける方が増え、そういうコメントも頂けるようになりました。
それでもやはり、お手軽な方法論を期待されているのがわかるコメントが多いことは変わりませんでしたが。
この連載を読んでいただいて、自分の体と向き合うきっかけにしていただくことができたなら、それで十分だと思います。
「からだとの対話」。それなくして健康法も何もありません。
お付き合いいただき、ありがとうございました。