『「アート」を知れば「世界」が読める』シリーズ③紛争、環境破壊…現在の人類の傲慢さを問うブリューゲル
2023年1月にウィーンの美術史美術館を訪れたときのこと。私はブリューゲルの『バベルの塔』を見ているうちに、作品の前にあるソファに座り込んでしまいました。
かつて人々は一つの言語を話していましたが、やがて神を畏れず「天にも届け」と高い塔をつくり始めます。それに怒った神は、人々を異なる言語で分断して交流できないようにし、塔は完成しなかった――旧約聖書の「創世記」に出てくるバベルの塔の物語は、よく知られています。
ブリューゲルはそれを描いているのですが、人類の傲慢さの批判は、今を生きる自分にも突きつけられていると私には思えたのでした。
ピーテル・ブリューゲルが『バベルの塔』を描いたのは1563年。日本でいうと織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いから3年後の戦国時代です。それほど昔のものなのに、今日的なテーマとも言えます。
この原稿を書いている時点での世界一高いビルは、828メートルあるドバイのブルジュハリファで、上海タワーが後に続きます。サウジアラビアが「記録更新!」とばかりに1006メートル予定のジッタタワーを建設中です。
“高い塔”は比喩であり、技術革新と考えることもできます。人類は科学技術の発展によって、神に近い力をもつようになりました。“神なき地球の君主”として動植物の生存を侵し、自然環境を破壊し続けています。コロナ禍や地球温暖化という問題に直面しながらも、懲りることなく、まだなお“高い塔”をつくろうとしています。
資本主義の限界が語られ、民族の分断が深刻になるなか、いまだテクノロジーは「より高く、より早く、より多く」の追求であっていいのだろうか。神から見れば、懲罰に値する傲慢ぶりではないのか?
16世紀のネーデルランドらしい精緻で美しいブリューゲルの筆致は、貴族らしき人々や周りの風景、崩れゆく塔の様子がとてもリアルです。途中までは豪華な塔なのに、足元は瓦礫、それを見つめる人々――その皮肉さをぼんやりと眺めながら、絵の前にあったソファであれこれ考えているうちに、気がつけば20分も経っていました。
仮にこれが「テクノロジーの発展と環境破壊の関係を考えましょう」という言葉による標語だけだったら素どおりしていたはずで、アートの底力を改めて思い知らされました。