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教員の給料安と親たちの教育熱心が絡み合う複雑な問題に

習い事から「強制補習」まで…ベトナム初等教育事情

2015/6/1
 「ベトナムの子供はみな忙しいんだよ、平日だとサッカーのクラスに人が集まらないんだ」。大好きなサッカーをやりたいと息子が言うので、どうせならベトナム人がやっているクラスがないかと色々探していると、返ってきたのはこんなツレない反応。ベトナムの子供はそんなに忙しくしているのだろうか?

博士でも太刀打ちできない!? 小学3年生の算数の宿題の背景は

東アジアの各国は一般的に両親が子供の教育に熱心だ。儒教の影響だともいわれる。東南アジアに位置し、国境を中国と接していて強く儒教の影響を受けているベトナムも例外ではない。

放課後の補習、習い事は日常茶飯事、ほぼ毎日何らかの学外学習を強いられている。ある研究によると、農村部で60%、都市部で85%の子供(12歳児が調査対象)が学校授業の他に何らかの補習・習い事をしているとのこと。都市部の数字はともかく、農村でもこれだけ高いのは驚きだ。そんな過熱状態が気になって、ベトナムの初等教育環境を調べてみた。

最近、ベトナム国外からも注目を集めたのが、「博士でもできない(!?)小学3年生の算数の宿題」だ。

ベトナム国内メディア「VN Express」の報道で火がつき、イギリス紙「ガーディアン」が取り上げ、日本語でもネットで紹介されている。件の設問はネットにあるので、皆様に挑戦して頂きたい。白状すると、筆者はあっさり降参した。

この宿題が出たラムドン省バオロク(Bảo Lộc)市は、ハノイやホーチミンのような大都会ではない。地方の小学校の宿題が世界を駆け巡るというのも非常に今日的であるが、田舎の小学校でこれほど難解な算数の宿題が出されているとは…。

「VN Express」 の記事に付いた3000近いコメントの中には、「小学生にこんなのやり過ぎ」「わかんねー」「先生の知識のひけらかしだ!」、果ては「これは次の公務員試験の問題にすべきだ」とあらぬ方向へ皮肉が飛んで、最も「イイね!」を集めた。

実は算数、というか数学はもともとベトナム人が得意とする分野で、2010年に世界の若き数学者に贈られる「フィールズ賞」の受賞者がベトナムから出ている。それにならってより高度な設問で才能を伸ばすという先生の熱意は良しとしても、この宿題を出される子供のことを思うと、外で遊ぶ時間は無いだろうなぁといたたまれない気になる。

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公園で遊ぶ子供たち。やっぱり子供は遊びが一番!

勉強させる親の側にも事情

可処分所得が増えてきた都会のベトナム人家庭では、子供の教育により多くの資金を費やすようになった。二人っ子政策が採られているので、両親の期待は数を制限された子供たちに集中的に注がれる。高学歴化が進む中、競争が低年齢化しつつあるところは他のアジア諸国とも似ている。

それに加え、共働きが当然のベトナムでは、習い事にはそのまま「保育延長」という意味合いもある。子供が学校を終えてそのまま帰宅しても、おじいちゃんおばあちゃんがいて面倒をみてくれる家庭以外では困ってしまう。夕方から各種の習い事、特に学校でそれが行われれば、そのまま子供を預かってもらうことにもなるのだ。

学校の授業がある時期は、補習授業(後述)や各種の習い事、特に学校の成績に直結する国語、算数、英語などが人気だ。6月から8月にかけて丸々3ヶ月間の休みとなる夏には、習い事は更に多様になり、絵、ダンス、各種スポーツなども加わる。

最近よく耳にするのは、「ライフスキル(kỹ năng sống)」クラスだ。随分大仰なタイトルに、ボーイスカウトのようなことをやるのかなあと思ったりもした。しかしやっていることは年齢やクラスによっても違うが、たとえば、路上でどうやってバイクを避けて道を渡るか、火事などの時にどうやって逃げたらいいか、料理の時に包丁はどう取り扱ったらいいか、なのだそうだ。

そこで教えられることは、日本では交通安全教育や防災教育、あるいは家庭科の授業など、学校教育の中で扱われていることがほとんど。ベトナムの学校ではそうしたことを教えてくれないので、習い事の一環として学ぶのである。

「強制補習授業」の複雑さ…先生側の事情

ただ、課外教育の過熱に一役買っているのは、親の熱意に加え、公教育の供給者である学校の先生自身の事情という側面もある。

多くの子供が受けることになる「Dạy thêm」と呼ばれる追加授業(補習)は、放課後学校で行われることもあれば、時には先生の自宅や、あるいは学校外の場所に生徒を集めて行われることもある。だがそうなると、当然無料ではない。既に学校に支払っている学費(ベトナムでは公立でも学費は有償)に加えて、補習料金を払わなければいけない。

ベトナムでは先生も公務員であり、地位は安定しているものの給与は非常に低い。若い教員では普通100~200ドル/月しかなく、これではハノイのような都会では到底生活できない。そこで先生は補習を多く行い、収入を補填しているのだ。特に学外で行う補習には、先生のアルバイト的な色彩が強い。

親も喜んで行かせている分には(子供がどう思っているかはともかく)まだ良いが、問題になるのがその補習が事実上必修になる、つまり「強制補習」となった場合だ。

もちろん補習は必修という規則は無い。だが、補習に子供を行かせない(=追加の学費を払わない)と、「昼間の授業でもうちの子が不当に取り扱われる」「補習で教わる試験問題へのヒントを聞き逃すことになる」などと親が不安がり、結局皆が補習に通う状況になってしまう。貧しい家庭でも工面して子供を補習授業に出さないといけなくなる。

これがベトナムの大きな社会問題になっている。教育訓練省は、補習授業を地方政府の許可制にし、また一週間当たりの総時間数に上限を設けるなどして、際限ない補習の氾濫を防ごうとしているが、現状はイタチごっこだ。学校の中には正規のカリキュラムを削ってその多くを補習授業に回し、組織的に学費を釣り上げようとする酷いケースもある。

ただ教員側にとっても、基本給がスズメの涙なわけで、補習は「生きるためにやむを得ずやっている」という擁護論も根強い。ベトナム国会の文化教育青少年問題委員会委員長も「給与レベルが改善されるまである程度は仕方がない」と、現状は黙認せざるを得ないという考えを示した。教育の問題が公務員制度全体の問題とも絡んでおり、その根は深い。

子供不在の教育がなされないために

教育熱心自体は素晴らしいことだ。ただそこに量ばかりではなく、如何に中身を盛り込み、子供たちが楽しく学べるかが問題となる。残念ながら現状を見ていると、毎日放課後も習い事に追われている子供も多く、可哀想だなぁと感じるケースも多い。

課外教育にとどまらず、親が子供に干渉し過ぎる弊害も紹介されるようになってきた。遊ぶ友人の是非まで事細かく指示されて、両親との関係が悪化し、家庭内で孤立してしまった子供の例が、最近も報道されていた。実際に筆者の知り合いでも20歳を過ぎても交友関係、門限など何もかもを管理されている人もいる。解決は簡単ではないが、それらが問題視され始めたことがまずは変化の兆しだ。

親の権威、先生の権威を前提に子供の教育が語られてきたこの国。ただ、多様な価値観にネットを通じて触れるこの時代に、子供の自発性と自立心に向かい合う教育が必要とされ始めているようだ。

※本連載は毎週月曜日に掲載する予定です。