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対ナチス戦勝記念日リポート

年にたった一度、ロシアが「一つになれる」日

2015/5/31
ビジネスパーソンなら一度は憧れる海外駐在ポスト。彼らに帯同する妻も、女性から羨望の眼差しで見られがちだ。だが、その内実は? 本連載では、日本からではうかがい知ることの出来ない「駐妻」の世界を現役の駐在員妻たちが明かしていく。今回は「ロシア駐在員妻」編です。

例年より盛り上がった70周年

日本のニュースでも大きく取り上げられていたので、ご存じの方も多いと思うが、先日の5月9日は、ロシア(ソ連)の対ナチス戦勝記念日であり、モスクワでもその式典が行われた。

70周年という節目の今年、軍事パレードを含むその式典が、盛大なものになるであろうことは、誰もが想像しただろう。しかし、戦勝記念日に向けて盛り上がっていくモスクワの様子は予想以上であり、それを目の当たりにすると少し怖いほどでもあった。

具体的には、まず盛り上がり始めるタイミングがいつもよりも早かった。

戦勝記念日が近づくと、例年街中にはロシア人にとって栄光のシンボルであるオレンジと黒のゲオルギー・リボンを身につける人が増え、それをモチーフにしたデザインがあふれだす。

いつもであれば、早くてもせいぜい1カ月くらい前から、といったところだが、今年は2カ月以上前からそのリボンを身につける人が目立った。

これはもちろん、ちょうどその頃に迎えたクリミア併合1周年とも無関係ではない。モスクワの高揚は戦勝記念日に向けて徐々に増していった。

さらに、今年は、70周年の大イベントそのものへの関心と、政治的な関心のおかげか、国内外からの見物人の数も例年以上に多かったように思う。記念日の数日前から、中心地はまるでテーマパークのようなにぎわいで、外国人の姿も目立った。

これまで、それほど意識してこなかった(できなかった)ナショナリズムの高まりと、今年の式典に対する多くの人の関心を実感しながら迎えた戦勝記念日だった。

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一般市民参加型の行進「不滅の連隊」参加者は40万人以上

当日の赤の広場での式典は、一般市民はテレビで見るほかない。

一般の人は、式典のハイライトでもある、赤の広場に向かっていく戦闘機の隊列飛行や、式典を終えて基地に帰っていく戦車、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの戦闘車両を沿道から見物する。空も陸も、毎年そのルートは同じだ。

しかし今年は、空のルートは若干ずれ、隊列飛行はかなりの低空で行われたので、いつものルートで見える場所で待機していたら、おそらく見えなかったか、見えにくかっただろう。

また、陸のルートに関しては、一番の目抜き通りの沿道が完全に封鎖されたことから、見物人は締め出され、住人たちは身動きが取れない状態になっていた。 通りに面したアパートに住む友達は、朝からゲートが閉められ、一日中家から出られなかったそうだ。

恐らくなんの予告通知もなく、なされたことなのだろう。少なくとも、私の周りには事前にその情報を知る人はいなかったし、ニュースの記事でも見当たらなかった。この国ではありがちなことだ。

戦車を見ようと楽しみにしていた人たちが暴れるんじゃないか……そんなふうに思いながら、少し遠目から群衆の様子を見ていたが、しかし、そんな心配はまったく杞憂(きゆう)だった。

今年は軍事パレードの後に、「不滅の連隊」と名付けられた、戦争犠牲者の家族を中心とした一般市民参加型の行進が行われた。参加者は40万人以上。手に戦争で亡くした家族の遺影を持って目抜き通りを赤の広場に向かって行進した。

行進に参加したことによって得られた一体感や高揚感は、戦車を間近に見られなかったことによる失望を中和するのに十分であったはずだ。

行進の参加者の圧倒的な多さが、改めて、この国にとって先の戦争が犠牲者2000万人を超えた最大級のものだったことを思い起こさせる。きっと、誰もが誰かを失っている。

戦勝記念日をどう受け止めるべきか

思えば、私が初めてロシアで戦勝記念日を迎えたとき、そのお祝いのムードに恐怖さえ覚えた。それは、日本生まれの私が“敗戦国”出身だということを生まれて初めて強烈に意識させられた体験だったからかもしれない。

たとえ戦争の終結自体が喜ばしいことだったとしても、戦争の記念日をずっと祈るものとして迎えてきた私にとっては、戦争の記念日を祝うことに今でも違和感がある。

そんな感想を、以前ロシア人の友達に漏らしたことがある。

「確かにそうかもしれない。でも、これは私たちにとって必要なことでもあるの。戦勝記念日は、多民族国家である私たちが一つになれる唯一の機会なんだから」

なるほど。これも、あまり民族というものを意識せずに済む国の人間としては、思い至りにくい。

ソ連が崩壊して、たくさんの周辺国が独立していったとはいえ、ロシア国内にはスラブ人を中心として、たくさんの民族が住んでいる。さらに、スラブ人にはベラルーシ人や、ウクライナ人も含まれる。

ウクライナでは、昨年からこの日を“祝う”ことをやめた。

ウクライナを含むソ連の、ナチス打倒の栄光のシンボルのはずのゲオルギー・リボンは、今や親露の装いや、ロシアへの愛国の象徴などといった新たな意味合いを帯びてきている。

「不滅の連隊」に参加した老若男女は、時折「ウラー(万歳)!」と叫びながら、誇らしげに歩いていた。

ナチスを撃退し、ロシアを今の姿に導いた戦争犠牲者への感謝を表明したプレートを持つ者もいた。その犠牲者の中にはまた、多くのウクライナ人が含まれている。そして、今のロシアにもたくさんのウクライナ人が住み、たくさんの人がウクライナに家族や親戚をもっている。 

複雑な思いを抱えて参加した人も多かったのではないかと想像する。

ひとつだけ言えるのは、ここにいる誰もが、もう二度と戦争によって大切な誰かを失いたくないと思っているということだ。赤の広場では、プーチン大統領も亡き父の遺影を持って「不滅の連隊」の行進に参加した。

祝う記念日も、祈る記念日も、戦争に関わるどんな記念日も、もう増えてほしくないと願う日だった。

【本文執筆】りり
ドイツでの3年を経て、現在駐在生活10年目。モスクワ在住のブロガー。おそロシアで、おもロシア。究極のツンデレ国を素人目線でご紹介します。

※本連載は、「サウジアラビア」「インドネシア」「ロシア」「ロサンゼルス」のリレーエッセイで、毎週日曜日に掲載する予定です。