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「目の前にニンジン作戦」の効果

ご褒美で子どもを釣ってもいいのですか?

2015/5/30
今日、さまざまな教育論があふれているが、その多くは個人の経験に基づいたものであり、科学的な論拠に乏しい。では、教育には確たるエビデンスはないのか。そのひとつのヒントを与えてくれるのが、教育と経済を融合させた「教育経済学」だ。教育経済学の専門家である、プロピッカーの中室牧子・慶應義塾大学准教授が、データを駆使した科学的根拠に基づく独自の教育論を、全5回の連載でお届けする。
第1回:ゲームは子どもに悪い影響を与えるのですか?

ご褒美に関する大規模な実験

2014年11月、鹿児島県伊佐市が鹿児島県立大口高校の生徒に対して、東大や京大、九州大などの国立大学や、慶應義塾や早稲田など難関私立大に受かったら100万円を支給するという方針を打ち出しました。ニュースなどを見る限り、「おカネ」という究極の「ご褒美」を教育の現場で用いることに嫌悪感をもった人も少なくなかったようです。

しかし、現実には「目の前にニンジン作戦」を、多かれ少なかれ使ったことがある家庭は少なくないのではないでしょうか。たとえば、「1時間勉強したら、勉強が終わった後にお小遣いをあげるよ」「テストでいい点をとったら、お誕生日に好きなものを買ってあげるよ」といったやり方です。

ご褒美で釣ったら子どもの成績は本当によくなるのか──。これは多くの親が気にしていることだと思います。

ご褒美が子どもの出席や学力にどのような因果効果をもつかについての研究を精力的に行っているのが、ジョン・ベイツ・クラーク賞の受賞者でもあるハーバード大学のローランド・フライヤー教授です。

米国のシカゴ、ダラス、ヒューストン、ニューヨーク、ワシントンD.C.の5都市で、ご褒美が子どもの教育にどのような影響をもたらすのかについて、大規模な実験を行っています。

大事なのは「インプット」か「アウトプット」か

教育経済学では、子どもの学力を上げることを考えるとき、「教育生産関数」というフレームワークを用います。これは別名「インプット・アウトプットアプローチ」とも言われています。授業時間や宿題などの教育上の「インプット」が、学力などの「アウトプット」にどのくらい影響しているかを明らかにしようとするものです。

フライヤー教授が実施した実験は、大きく分けると2種類ありました。

1つは、ニューヨークやシカゴで行われたもので、教育生産関数でいうところの「アウトプット」、すなわち学力テストや通知表の成績などが良くなることにご褒美を与えるというものです。「テストでよい点を取れば2500円のご褒美をあげます」というような設定です。

もう1つはダラス、ワシントンD.C.、ヒューストンで行われた教育生産関数についての「インプット」、すなわち「本を読む」「宿題を終える」「学校にちゃんと出席する」「制服を着る」ということにご褒美を与えるものです。「本を1冊読んだら、200円のご褒美をあげます」というような設定です。

この2種類の実験のうち、どちらが子どもの学力向上に効果的だったのでしょうか?

ご褒美は「インプット」に対して与えるべき理由

「インプット」にご褒美を与えると、子どもは本を読んだり、宿題をしたりするようになるでしょうが、必ずしも成績が上がるとは限りません。一方、「アウトプット」にご褒美を与えることは、直接的に成績をよくすることを目標にしています。ですから、直感的には、「アウトプット」にご褒美を与えるほうがうまくいきそうに思えます。

しかし、実際は逆でした。学力テストの結果が良くなったのは、「インプット」にご褒美を与えられた子どもたちだったのです。なぜ、このような結果になったのでしょうか。

カギは子どもたちが「ご褒美」にどう反応し、行動したかということにあります。「インプット」にご褒美が与えられた場合、子どもにとって、何をすべきかは明確です。本を読み、宿題を終えればいいのです。

しかし、「アウトプット」にご褒美が与えられる場合、何をすべきか、具体的な方法は示されません。ご褒美は欲しい、やる気もある。しかし、どうすれば自身の学力を上げられるのかが、子ども自身にわからないのです。

ここから得られる極めて重要な教訓は、ご褒美は「テストの点数」などの「アウトプット」ではなく、「本を読む」「宿題をする」などの「インプット」に対して与えるべきだということです。

フライヤー教授が、実験の後に行ったアンケート調査は、「アウトプット」にご褒美を与えることがうまくいかなかった理由をはっきりと示していました。

「アウトプット」にご褒美を与えられた子どもたちは「今後もっとたくさんのご褒美を得るためには何をしたらよいと思うか」という問いに対し、ほとんど全員が「しっかり問題文を読む」「解答を見直す」などのように、テストを受ける際のテクニックに関する答えに終始しており、「わからないところを先生に質問する」「授業をしっかり聞く」など、本質的に学力の改善に結びつくと考えられるような方法にはまったく考えが及んでいなかったことがわかります。

「内的インセンティブ」を締め出さないご褒美

しかし、ご褒美については、まだまだ考えなければならない問題があります。

ご褒美のことを経済学の用語で「外的インセンティブ」と言います。教育者は、こうした外的なインセンティブを教育の現場で用いると、短期間は子どもを勉強に向かわせることができます。

ただし、その代わりに、「一生懸命勉強するのが楽しい」というような、好奇心や関心によってもたらされる「内的インセンティブ」を失わせてしまうのではないかという懸念があります。

実際に、「外的インセンティブ」が「内的インセンティブ」を締め出してしまった例は存在します。

たとえば、献血をする人に対しておカネを支払うようにした途端、献血をする人が減ってしまったという研究があります。これはおカネという「外的インセンティブ」が持ち込まれた途端、献血を通じて少しでも社会に貢献したいという「内的インセンティブ」が失われてしまったのです。

同じように、勉強の際に子どもにご褒美を与えることによって「一生懸命勉強するのが楽しい」という子どもたちの気持ちを失わせてしまうなら本末転倒です。

この点についても、フライヤー教授は検証を行っています。実験の後に行ったアンケート調査の中で、心理学の手法を用いて「内的インセンティブ」を計測したところ、ご褒美の対象となった子どもたちと、対象にならなかった子どもたちの間には統計的に有意な差が観察されませんでした。

すなわちご褒美は、子どもの「一生懸命勉強するのが楽しい」という気持ちを失わせることはなかったのです。

これまでの研究蓄積を鑑みれば、私は、ご褒美で子どもを釣る「目の前にニンジン作戦」に反対ではありません。「ご褒美」の設計を正しく行えば、「一生懸命勉強するのが楽しい」という気持ちを失わせることなく、子どもの学力を向上させることができるはずだからです。

(構成:長山清子)

※来週土曜日掲載の第3回目は「キラキラネームはダメなのですか?」という相談に答えます。
 著書プロフ_中室牧子

『「学力」の経済学』を6月18日ディスカヴァー・トゥエンティワンより発売予定。