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望月重良インタビュー 第1回

経営素人の元選手が、なぜJクラブを生み出せたのか?

2015/5/27

設立からわずか6年で、J3(Jリーグ3部)に参入したクラブがある。SC相模原だ。

神奈川県相模原市を本拠地とするクラブで、率いるのは元Jリーガー、元日本代表の望月重良氏。元Jリーガーがゼロからクラブを立ち上げ、それがJクラブにまでなったのは初めてのことだ。

2008年の設立当初、望月氏は財務諸表も読めない状態だった。どうやって経営の素人が立ち上げたクラブが、地域に認められる存在になったのか。

望月重良(もちづき・しげよし) 1973年静岡県出身。筑波大学卒業後、名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)に入団。1997年に日本代表に初選出され、2000年のアジアカップ決勝のサウジアラビア戦でゴールを決めて優勝に貢献した。現役引退の2年後となる2008年、SC相模原を設立してクラブ代表に就任。2014年創立のJ3への参入権を得て、SC相模原は「元Jリーガーがゼロから立ち上げた初のJクラブ」となった。(写真:福田俊介)

望月重良(もちづき・しげよし)
1973年静岡県出身。筑波大学卒業後、名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)に入団。1997年に日本代表に初選出され、2000年のアジアカップ決勝のサウジアラビア戦でゴールを決めて優勝に貢献した。現役引退の2年後となる2008年、SC相模原を設立してクラブ代表に就任。2014年創立のJ3への参入権を得て、SC相模原は「元Jリーガーがゼロから立ち上げた初のJクラブ」となった。(写真:福田俊介)

きっかけは小料理屋の会話から

──SC相模原は元Jリーガーがつくった初めてのJクラブになりました。クラブ設立のきっかけを教えてください。

望月:たまたま相模原に知人がいて、「相模原駅に美味しいお店があるから一度食べにおいで」と言われて行ったんです。その頃の僕は、現役を引退して指導者や解説をやっていたのですが、お店の大将が大のサッカー好きで、僕を知っていてくれて話が弾んだんです。

ひょんなことから「望月さん、相模原にサッカーチームをつくってくれませんか」と言われました。最初は酒のうえでの軽い話のつもりだったのですが、僕もだんだんそういう気持ちになっていきました。なので、僕が引退していなければ、そのお店に行かなれけば、今のSC相模原はなかったのです。

本当に、運命というか、必然というか、縁というか。

──クラブを買収ではなく、何もないところからの立ち上げですよね。

まったくのゼロからのスタートでした。それから6年経って今はJリーグクラブになったのですが、最初は本当に何もありませんでした。

──将来を考えると不安ではありませんでしたか。

正直、不安な気持ちはありました。自分はJリーガーだっただけに、Jクラブの大変さを経験しています。草サッカーチームを立ち上げるのとはワケが違う。指導者という道もある。そうした葛藤もあって、実際は数日間悩みました。

「まるで『リアル・サカつく』でした」

──そして2008年2月にクラブが誕生します。株式会社スポーツクラブ相模原の設立です。最初の資本金はどう工面しましたか。

最初の資本金は900万円で、100%僕が株主でした。今はJリーグの意向もあって、0.0数パーセントですが他の出資者もいます。現在の資本金は1900万円です。

──Jリーグの意向とは。

Jリーグへ加盟するクラブには、リーグから説明会があります。その際、J2、J1へ上がるために、複数の出資者を徐々に集めていったほうがいいと説明を受けました。

実際に100%オーナーでやっているのは、楽天の三木谷浩史さん(ヴィッセル神戸)とLEOCの小野寺裕司さん(横浜FC)くらいでしょうか。そんな資本は僕にはありません。要はJリーグとしてはつぶれてもらっては困るということです。

──Jのカテゴリーが上がるにつれて増資していくわけですね。

増資をすることで、チームにいろんな人が関わりをもっていきます。ヨーロッパや中東の大金持ちのオーナーとは違うので、手広く出資者を集めなければならない。Jリーグの歴史には途中でなくなってしまったクラブもありますし、資本でもめているケースもあります。クラブを立ち上げる際、そこは慎重にやらなければという気持ちがありました。

──大変なプロセスだったと思いますが、今話している望月さんの表情はとても楽しそうです。

楽しいですよ、大変でしたけど。僕がやっていることは、まるで『リアル・サカつく』ですもんね。

SC相模原には、元日本代表の高原直泰が所属している。(写真:SC相模原)

SC相模原には、元日本代表の高原直泰が所属している。(写真:SC相模原)

最初のハードルは資本構成

──資本構成の部分をもう少し詳しく教えてください。

たとえば井戸を掘る段階から頑張っていたのに、Jリーグに上がったらおカネを持っている人が集まってきて、頑張った人がいなくなってしまう。これはダメな例です。今までいろんなケースを聞いてきましたが、資本構成の部分は、これからJクラブを立ち上げたい人に一番注意したいポイントです。

──サッカークラブをつくりたい人は結構いると思います。望月さんの歩みや取組みは、その人たちにとても参考となります。

先ほどの0.0数パーセントの出資者ですが、もともと立ち上げ当初から協力してくださったスポンサーさんで、少しだけ持ってもらうかたちとなりました。

出資も、赤字を埋める出資なのか、信用のところでの出資なのか、それだけでもおカネの集め方が全然違ってきます。

中には赤字を消すためにスポンサーを取りにいくクラブもあります。他からの出資で簡単に赤字を埋める方法です。Jリーグの説明会で「それだけは注意してください!」という警告がありました。麻薬と同じだと。どんどん赤字になって、どんどん出資者を募って、最後には取り返しのつかないことになるそうです。

説明会では、過去の失敗例がいくつも紹介されます。100年構想の一環として、Jリーグ側がいろいろと指導してくれます。

最速で参入できた秘密

──神奈川県の社会人リーグから始まり、たった6年でJ参入。達成できた理由は。

ひとつは、「勝つ集団」を意識して信念をもってつくったことです。選手の入れ替えもかなりやりましたが、シビアな部分は妥協しませんでした。

最初の頃は、仲間や友達など人づてで選手を集めました、一緒に志をもって、上を目指そうという話をしました。でも、やっていくにつれて当然選手も入れ替えなければならない。自分で呼んでおいて、自分で肩をたたく。そういう厳しさをもつ必要がありました。

上を目指すために、同情はいりません。ですので、友達ではなくなった人間も大勢います。

常に自分のなかで「何が目標だったのか」をハッキリと認識しなければならない。そのために何が必要で、何が必要でないのか。何ができて、何ができないのか。そこをちゃんと整理して考える。そして実行するときは、割り切って行動するのみです。

元Jリーガーという強みを最大限に発揮

──お話を伺っていて面白いのは、経営の素人だったにもかかわらず、経営者としての一面も持ち合わせている点です。

それはどうでしょう。Jリーグ入りを達成できた理由がもうひとつあるとすれば、自分のサッカー経験が生かされたのかなと思っています。それはチーム力の強化という面です。

具体的には各カテゴリで、このくらいの戦力、このくらいのチームをつくれば上にあがっていけるというソロバンをはじけるということ。やはり経験者の強みというのはありますね。

各地域にはJリーグを目指していたけど断念してしまったクラブ、あるいはなくなってしまったクラブがあります。

それらのクラブに足りなかったものは、「勝負に対して絶対勝利する」という姿勢だったと思います。

サッカーは番狂わせが多いスポーツです。それでも自分がやっていた経験上、この選手でこういうサッカーをすれば勝てるという自信がありました。

サッカーに絶対はないのですが、それを絶対にしなければならない。クラブに対して、そういった情熱を経営者はいつまでも持ち続けないといけないと思っています。すっごい生意気ですけど。

※本連載は毎週水曜日に掲載予定です。