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予防医療は人生のリターンを高めるのか?
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弁護士を国家資格とすることには反対ですが、国家の横暴に対し敢然と闘う一部の弁護士には大いに敬意を抱きます。立派な弁護士をめざす志ある若者が国家の制度いじりに翻弄されるのはほんとうに気の毒です。
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以前も法科大学院の充足率が100%以上だったのは、たったの4校(北海道大、一橋大、大阪大、同志社大)と報道されていましたので、現状では仕方ない判断かと。やはりまずは弁護士の供給ではなく、需要を増やす事が先に必要という事ですね。なぜ需要が増えなかったのは是非、検証してほしい。伊藤記者指摘のインハウスロイヤーはもっと増えても良いと感覚的に思いますし。
「法科大学院、15年春の入学また最低2201人で倍率2倍切る」
https://newspicks.com/news/959705
無責任な制度改革や度重なるお約束違反で法曹志願者が激減しています。
制度に翻弄された多くの人々が気の毒でなりません。
予備試験が主流になっているなら、いっそ昔のように誰もが受験できる交平な司法試験に戻してはいかがでしょう。
きっとしないでしょうね~失敗を認めたくない輩が多すぎますから。

追記)らくてんぱんだ好きさんから、専門化や企業での雇用のご質問がありました。
企業内弁護士は昔から相当数いて、勤務先企業の専門性を身に付けています。
今は・・・残念ながら企業に雇ってもらえない弁護士がたくさんいる状態なのです。
ちなみに、月5万円近くの高額な弁護士会費が支払えないため、法曹資格があっても弁護士登録できない人たちがたくさんいるそうです(これは伝聞)。

そもそも、海外に比べても、将来のニーズから見ても法曹人口が足りないということからこういう話になっていたはずだが、需要見込みが誤っていたのか、何か前提が狂ったのか、どうなんでしょう。
全くの素人的な発想ですが、企業においては本当に司法資格を持っている必要ってそこまでなくて、「そこそこ分かっている」「何を弁護士に頼むべきか切り分けられる」くらいの人が求められる気がして、そういう人向けのライトな資格を作っていけばいいのでは、という気はします。取る側もさすがに司法受かるってのは相当覚悟がいるし、結果的に学歴ピカピカプライド高い、みたいな人ばかりになって企業でなく事務所に勤めたがるし、企業側も敬遠する、って感じになっている気がします
当初の政府案で算数ができてなかっただけだと思っている。増加数だけを見ると全貌が掴めない。もともとの母数が重要。

2002年の弁護士数が18000人。そっから13年で弁護士数はおよそ倍増した(2015年時点約35000人)。

もし3000人を維持したら、2800人くらいは、弁護士になるはずなんで、減少加味しても、4年で10000人以上ずつ増える。

天下の愚策。
ロースクール生としての視点からすれば、合格後の就職を気にする子がやっぱり圧倒的ですね。
上位校の子たちは、司法試験に受かったことを前提にいかにして有名な事務所へ行くかを気にしますが、そういった上位マイノリティを無視すれば、事務所へ就職できるかどうかを心配する声がほとんどです。
ロースクールでの授業料に加え、司法修習中も無収入で、それで就職できないということへの不満があったりも。

とはいえ、僕は個人的には法曹三者(裁判官、検事、弁護士)に限られず、たくさんの方面でリーガルマインドを持った方が活躍することは好ましいことだと思うので、ロースクール生も「法曹三者」という視点だけではなく、それ以外の視野も持ってほしいと感じます。(僕もロースクール生なので、偉そうに言えたことではないのですが)
弁護士も特別な職業でないことが認知されてきたってことですかね
私は、法曹人口がもっと増えればいいと思ったいたのだけど…非常に残念…

数は力になる。
日本だけではなくて、日本で抱えきれなかった法曹人口がアジアに広がって、日本の紛争解決制度そのものをアジアに輸出できればいいと思ったのだけれど。
今、国際的な紛争解決のルールは基本的には英米法だし、アジアの紛争解決センターはシンガポールのSIACというのが実情だと思う。日本と韓国の契約だって、紛争解決条項はシンガポール、何か起こると日本企業はシンガポールまで行って仲裁というのが現実。

かつて、英米法の弁護士たちが紛争解決の仕組みを世界に輸出したように、日本の法曹関係者が日本の紛争解決の仕組みをアジアに輸出して、日本がアジアの紛争解決センターになればいいと思っていたのだけれど。
これは公認会計士試験にも言えると思うが、そもそも法曹人口を増やす事でリーガルサービスの拡充を図ることを目的としていたことと、法律事務所への就職可能性の話は別だと思う。
法曹を志す者が一定の試験をパスすると、自身の力でサービス提供先を見つけるくらいの強い思いが必要で、社会が就職先を確保することを問題視して、合格者数を決めるのは、本末転倒ではないかと感じる。
士業は、ライセンスをもった自己責任を伴うプロフェッショナルであるべきでは?
即戦力としての力量とビジネス常識が要求される企業内弁護士職務を侮ってもらっては困る。新任弁護士の保育所ではない。ついでに、配転ができない特殊な職務となるので、報酬は高くできない。
この類の記事を見るたびに思うのが、「そもそも何のための司法制度改革だったのか?」という原点がないのではないかということ。司法制度改革の理念や哲学がない、あるいは曖昧だからこそ、場当たり的に制度がコロコロ変わる。これでは当事者はいい迷惑だろう。

そもそも、司法制度改革には、刑事・民事ともに敷居が高い裁判所ではなく、開かれた裁判所を目指すとか、裁判の迅速化とか、知財戦略の強化だとか、そうした方向性があったはずで、法科大学院や新司法試験はそうした目的に対する「手段」の一つであるはずだが…。