ピケティが読めないのは、数学のせいではない

2015/5/18
知の巨人として、外交、経済、社会、文学などあらゆる事象を鋭く分析する作家の佐藤優氏。池上彰氏との共著『希望の資本論』(朝日新聞出版)では、マルクス、ピケティなどの書を紐解きつつ「資本主義の矛盾や限界にどう向き合うべきか」を指南している。同書の発売を記念して開催された講演「格差と反知性主義」の内容をお届けする。

ピケティが読めないのは国語力のせい

ピケティの『21世紀の資本』を読めないという人が多くいます。しかし、ピケティの『21世紀の資本』で使われている数学は、実は小学生レベルです。等号と不等号しか使っていない。ということは、小学校6年生の算数の知識があれば、読める構成になっていて、他の主流派経済学のいろんな書物のように、数学がネックになって読めないということはないわけです。
となると、何が『21世紀の資本』を読むうえでのネックになっているのか。端的に言いましょう。現代文がネックになっているんです。
ピケティのあの本は英語もしっかりしているし、山形浩生さんたちのチームの翻訳も非常に優れている。それにもかかわらず、なぜあの本を読めない人が多いのかというと、長文を読むことに慣れていない人が多いからです。
普段私たちが触れることが多い新聞記者や週刊誌記者の文章は、極力短くなるよう書いているもの。接続詞や指示代名詞を極力使わずに書いた文章です。
となると、もし『21世紀の資本』が読めないようであれば、「急がば回れ」で現代文の高校の教科書を買ってきて読んでみることです。あるいはちょっと古い書籍では、筑波大学で教べんを執っていた小西甚一教授の名著、『国文法ちかみち』(洛陽社)を読むのもいいです。
もう少し手っ取り早く長文を読む力をつけたいというのであれば、出口汪さんの一連の現代文の受験参考書がおすすめです。受験サプリの現代文でも大丈夫です。受験対策本のポイントは、指示代名詞が何を指しているか、長文の中で重要なことを書くときには、どういうふうに書くか、反語法はどういうふうに書くかなどを学べることです。
ここに来られている皆さんでしたら、仕事があって忙しいということがあっても、土曜日と日曜日にそれぞれ3時間ずつで、合計12時間で消化できる勉強量だと思います。今、挙げたような現代文の高校レベルの参考書をやると、「あれ?」ってびっくりするぐらい、長文が読めるようになります。

国語力をつけるには、擬古文を読め

戦前の文章を読むことも効果的です。実は、2015年5月から月1回京都に行って、同志社大学神学部の仕事を手伝っているんですが、「受験者数を増やさなければ、弱小学部だからつぶされる」ということで、学生たちの就職率を上げて、受験生を増やそうとしています。学生たちが大学院にきちんと入るようにして、10年後に大学の教師に残る人材をたくさん輩出しようとしています。
そのために「本の読み方を厳しく教えないといけない」ということになり、岩波書店から出ている『新島襄 教育宗教論集』『新島襄自伝』『新島襄の手紙』の新島襄3部作を読ませる講義を始めているんですが、それが学生たちにとっては結構、ショック療法のようです。講義のたびにある小テストについても、「お前、なんで日本史のテストで2点しか取れないの?」っていうふうに、陰険に始めています。
新島襄の書簡集を英文から日本語に訳したものはみんな読める。ところが新島襄の書いた日本語の論考は読めない。これは、彼の書く文章が、江戸時代の後期以降のスタイルの文章である擬古文だからです。擬古文の読み方がわからないと、新島襄のものは読めないんですよ。
この擬古文の参考書は、京都大学が入学試験で出題していたので、2007〜2008年ぐらいまでは結構ありました。そのちょっと前までは東京大学でも出題していたのですが、今入試で擬古文を出すのは早稲田大学の文学部系の学部や一橋大学、上智大学の経済学部くらいです。
なぜこれらの学校が擬古文を出題するのかというと、時間との戦いである入試期間中、このような科目をあえてつくることで、「うちの大学を受けるために特別な勉強をしないといけない」という構図をつくりたいからです。だから上智にしても、一橋にしても、早稲田にしても、それなりにユニークな人材を確保することはできるわけです。
そんな擬古文ですが、『 近代文語文問題演習』(駿台文庫)という学習参考書が出ているので、それ1冊を10時間ほどやれば、新島襄の明治期に書いたものや、本居宣長の『玉勝間』(岩波書店)が読めるようになります。あらゆる科目にすごくコストパフォーマンスがいい参考書がたくさんあるので、学習参考書に域を伸ばしていくっていうのは、非常に教養にプラスなんですよ。
ですから、ピケティが分厚くて、買ったけれど全然読めてない人や、そんな話を聞くから買うのをおじけづいている人は、現代文の参考書を読んでからピケティを読んでみると、すごくよく読めるようになります。

ピケティの言っていることは、『貧乏物語』がすでに言っていた

『21世紀の資本』は高いということであれば、代わりに岩波書店から出ている河上肇の『貧乏物語』がおすすめです。
実は河上肇の『貧乏物語』とピケティの『21世紀の資本』は、主張していることがほとんど一緒です。たとえば、『貧乏物語』の38ページには、当時、最も富裕な2%の人がアメリカでは58%の富、英国では73%の富をもっていた、とある。
つまり、どんな国でも上位わずか2%に6割から7割ぐらいの富が集まっていたのが、1900年代の資本主義の実態だったわけです。となると、これをほおっておけば、今の時代の格差につながることは昔からわかっていた。
『貧乏物語』では、日本の富の分配の実態を箱で表しています。65%と言ったら、こんな小さいマッチ箱みたいなのしかもってない、と。そして、「日本では稼ぐに追いつく貧乏なしである」「今までは、貧乏にしておかないと、人間は怠け者だから働かなくなるといわれていたが、今起きているのはそういう格差ではない」と河上肇は主張しています。
「今までの貧乏と違って、外国渡来の貧困がやってきた」と。「これは構造的な問題だから、個人の力じゃ絶対解決できないんだ」ということは河上肇がもうすでに説いていたんです。
そこで、河上肇は、金持ちが料亭に行って散財しているが、そのおカネを貧民層に回し、教育に充てることで平等を担保していく、という解決策を考えました。「社会が自覚をもつことによって再分配をしていきましょう」ということを主張したんです。
それに対して、ピケティは社会ではなくて国家が再分配をすべき、と主張しています。「国家が税金を取り立てて、それを再分配していきましょう」と。池上彰さんと私が対談した『希望の資本論』は、それ以外に何ができるのかを考えています。併せてぜひ読んでもらいたい。
(構成:ケイヒル・エミ)