東南アジア実況中継_150511

ますます注目を浴びる、中国と日本のASEANとの関わり方

次のアジア発国際機関と目されるAMROとは

2015/5/11
シンガポール中心部の海に面したある高層ビルのテナントは金融機関が多いが、実はそこに日本と深い関わりをもつ国際機関が誕生しつつあるのだがまだそれほど注目されていない。機関の名はAMRO(アムロ)、正式には「ASEAN+3(日中韓)マクロ経済調査事務局」(ASEAN+3 Macroeconomic Research Office)という。その誕生の舞台裏にあるのは、中国が提唱したアジアインフラ投資銀行(AIIB)が世界の主要メディアで脚光を浴びているのとは見事に対照的なストーリーである。

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AMROでも日中が主導権をめぐって対立

AMROは2011年に発足した、地域経済の独立監視機関である。具体的には、経済レポートを作成し、リスクの早期発見に努め、危機発生時にはスワップ発動後のモニタリングも担当する。

今はシンガポールの国内法人という位置付けだが、昨年10月にメンバー国の間で国際機関にしていくことで同意した。今後、各国議会の承認を経て、「早ければ今年の年末にも」国際機関になる予定だと、関係者は語る。これまた奇しくも、AIIBの正式発足とほぼ同じ時期になりそうだ。

AMROとAIIBという2つの機関の発足は、どちらも大国間の政治的考慮に深く根ざしている。前者誕生の端緒は1997年にさかのぼる。同年、タイ・バーツの暴落を発端に起こったアジア通貨危機がタイやインドネシアなど諸国を直撃した。

この時、日本は国際通貨基金(IMF)を補完する機関として、豪、中、香港、インドネシア、日、韓、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイで構成されるアジア通貨基金(AMF)を立ち上げようとした。しかし、アメリカとIMFが反対にまわり、中国が消極的だったこともあって構想は頓挫した。

その代わりに、2国間通貨スワップのネットワークであるチェンマイ・イニシアティブ(CMI)が生まれ、その後、それが強化されてAMRO誕生へとつながった。これに対して、2013年に中国が提案したAIIBは、アメリカの反対や日本の消極的な姿勢にもかかわらず、イギリスやドイツといった先進国を巻き込んで間もなく正式発足するだろうことはすでに周知のとおりだ。

AMROの設立準備が進められていた2010年、主導権をめぐって日中が対立した。CMIの資金枠拡大に伴って生じた1200億ドルの負担額のうち、日本が32%の384億ドルを供出し、香港を含む中国も同額を負担することで同意。

また、中国メディアの報道によると、東南アジア諸国連合(ASEAN)が供出した20%はその大部分が日本の政府開発援助(ODA)で賄われたという。当然、日本側は日本人が同所長に選出されることを期待したが、中国がこの人事に反対した。

結局、中国国家外貨管理局で副局長を務めたことがある魏本華(ウェイ・ベンホワ)氏が1年限定で初代所長を務め、1期目の残り2年を日本の財務省出身で国際金融経験の豊富な根本洋一参事官が引き継ぐことで両国が合意。根本氏は2期目の今も続投中だ。

ちなみに、アジア開発銀行(ADB)ではこれまで日本人が9代連続で総裁を務めており、一方のAIIBは世界銀行で副執行理事を務めた経験を持ち、ADBでも副総裁だった金立群氏の総裁就任が見込まれている。国際機関の主導権をめぐる、日中のつばぜり合いはこの時すでに始まっていた。

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度重なる金融危機で固まった、AMROの設立背景

ここで、AMRO成立の過程を振り返ってみよう。アジア通貨危機後、2000年にASEAN+3の財相が通貨スワップネットワーク(CMI)の創設に合意した。

2008年にアメリカで起こった金融危機は、再びこの枠組を強化させるきっかけになった。2009年2月にASEAN+3財相会談で、(1)独立した地域経済の監視機関の設立、(2)CMIを多国間へ拡大させていくというマルチ化(CMIM)が決まった。翌年3月には16組の2国間通貨スワップ取り決めという単なる集合体から、1本の契約というかたちにまとまった。

この(1)を受けて、AMROが誕生したのである。当時はスタッフが4人しかいなかった。今ではASEAN+3でブルネイ以外のすべてのメンバー国出身の職員がおり、その数は約40人にまで増えている。そこで働く職員は、だんだん組織が育っていく様子を見ることができてエクサイティングだ、と言う。

さらに、欧州でギリシャの財政赤字隠蔽(いんぺい)を震源とするソブリン危機が起こり、アジア金融当局のリスク防止意識が高まった。2014年7月には資金枠が2400億ドルへ倍増、IMF融資とリンクなしに発動できるスワップ枠が30%にまで引き上げられた。その一方で、AMROを地域限定の機関から国際組織にすることになったのである。

AMRO、ADB、AIIBという3機関にいかに関わるか

こうして逐次形成されてきた「CMIM+AMRO」体制は、かつて日本が構想していたAMFとほぼ同じ機能をもっていると、AMROの日本人幹部は言う。だが、この地域には「ASEAN Way」と呼ばれる内部不干渉の原則があり、超国家的なものに対する拒絶感がまだまだ強く、AMF構想と同等機能といえども改名する予定はない。

ヨーロッパではソブリン危機をきっかけに、ようやく欧州金融安定基金(EFSF)が発足、のちに欧州安定メカニズム(ESM)として恒久化された。ESMは欧州版IMFと呼ぶことができるだろう。

ASEANのAMROは、そのカウンターパートであり、また統合が深まる前に金融危機防止の機能を兼ねたものとなっている。今後、ASEANがヨーロッパのように統一通貨を目指すのか、北米自由貿易協定(NAFTA)のように自由貿易を軸とした緩い共同体にとどまるのかはわからない。しかし、国際組織としてAMROはASEANという共同体の行く末にも関わり続けることになる。

注目されるのは次の所長人事だ。アジアではADBとAIIBが並行運営されることになる中、アジアの2大強国である日本と中国がどのような立場でASEANのさらなる統合を支援するのかに、ますます注目が集まっていくだろう。

※本連載は毎週月曜日に掲載予定です。