世界で戦う和僑たち_150509

「外国人部下とどう接すればいいのか」横田知久氏インタビュー

富士ゼロックス・シンガポール事業の屋台骨、奮闘の軌跡

2015/5/9
企業のグローバル化に伴い、海外に赴任する可能性が高まっている。日系企業の海外赴任では、赴任先で部下が全員外国人ということも少なくない。言語だけでなく文化・価値観が異なる部下をまとめるのはかなり難しい。だが、富士ゼロックス・シンガポールで販売部門を統括する横田知久氏は、シンプルな心がけで部下と信頼を深め、チームをまとめている。「日本の常識は通用しない」環境でどのような心構えで仕事をしているのか聞いた。
富士ゼロックス・シンガポールの横田知久氏

富士ゼロックス・シンガポールの横田知久氏

プラザ合意と同じ年に入社、企業のグローバル化を目の当たりに

横田氏は1985年に新卒で富士ゼロックスに入社。同社を選んだ理由は、「海外で仕事ができる可能性があるから」だ。学生時代に英語ニュース関連のアルバイトをしたことで、海外への興味が深まったという。

入社後は日系大手の自動車メーカーの営業担当となった。横田氏が入社した年はプラザ合意が発表された年でもある。プラザ合意による円高がきっかけとなり日系製造業、特に自動車メーカーはグローバル化を加速させることになる。

担当になった自動車メーカーも例外ではなく、海外進出を加速させた。横田氏は担当の自動車メーカーにペーパーレスソリューションを提案し、世界30カ国以上に自社商品とソフトウェアを導入した。

このほかにも、グローバル化に伴い生じる課題へのソリューションを提案し、受注を獲得していった。このように企業のグローバル化を目の当たりにしながら、入社から30代前半までを過ごした。

3時間睡眠のMBA時代

2000年に入り転機が訪れた。社内の新規事業公募(幹部候補プログラム)に選出されたのである。1年間の研修後、5年にわたり新規事業のプロジェクトを行うプログラムだ。

横田氏が同プログラムに応募したのは「ひとを元気にしたい」という想いからだ。当時の日本は、バブル経済崩壊後の「失われた10年」まっただ中。どうすれば閉鎖的な日本を元気にできるのか。その答えを、新規事業を通して模索しようとした。携わった新規事業は、電子ペーパーやユビキタスメディア事業など多岐にわたる。

このプログラムは新規事業を行うことを目的に、参加者に外部からの刺激を与えクリエイティブな発想を促すもの。

たとえば一流の能楽者や投資家、NASAへの立ち入りを許された大学教授などから講義を受けるというもので、日本における公教育では触れないものばかりだ。

この経験から「一流とは、環境が変わっても自分のアイデンティティを維持することができる」ことを学んだという。

新規事業プロジェクトを行う傍ら、海外マーケティングを学びたいと青山学院大学大学院(青山ビジネススクール)のMBAプログラム(フレックスタイムコース)の受講を開始した。フレックスタイムコースは昼間働く社会人向けのもので、授業は夜間に行われる。

横田氏は「平日の平均睡眠時間が3~4時間と体力的にタフだったが、授業で学んだ理論をすぐに実践できる環境で、非常に充実して楽しい2年間だった」と振り返る。

MBAを卒業し、いくつかの新規事業を立ち上げた後、2006年から外資系大手の営業グループを担当することになる。ここでは中国人と台湾人がチームに加わり、海外人材のチームマネジメントを初めて体験することになる。

海外赴任が決まった若者にかける「ある言葉」

2011年、シンガポール赴任が言い渡された。突然のことだったが、海外で挑戦したいと思っていたため即決した。

シンガポールに来てまず感じたことは「日本の常識は通用しない」ということだ。

特に日本に比べて、法規制やルールに関して「あいまい」なことが多いことに衝撃を受けたという。たとえば電気工事をする場合、日本ではどの種類の業者がどの部分を担当するのかが法律で決まっているが、シンガポールではその線引きが、あいまいだという。

シンガポールは英国法(コモンロー)の流れを受けている一方で、日本は大陸法(シビルロー)の流れを受けており、法制度の根本が異なる。労働や知的財産などビジネスに関連する法律も例外ではなく、日本企業の多くが悩んでいる。

しかし横田氏は、このあいまいさがあることで、日本では考えられないようなことがビジネスになる可能性があり、新しいチャレンジにつながると、肯定的に捉えている。発想次第でビジネスチャンスが生まれるということだ。

チャレンジングな環境でも前向きな姿勢を貫く横田氏だが、赴任当初チームマネジメントで頭を悩ませたことがある。赴任前からチームに存在した人間関係のしがらみに加え、離職率が高く、なかなかチームがまとまらなかったのだ。

組織内の派閥争いによって組織全体が弱体化するという話はよく聞く。チームのメンバー同士が「個人の好き嫌い」で物事を判断していては合理的な決断は下せない。

そうなると、そのチームは結果を出すことができないし、メンバーそれぞれの成長はとまってしまう。横田氏が直面したのはこのような課題だった。

またシンガポールでは2~3年での転職が当たり前であり、それに戸惑う日本企業は多い。どのように定着させるのかが大きな課題なのだ。チーム内の人間関係がうまくいっていないと、チーム内で仕事のやりがいを見出せず、よりどころは給与だけとなってしまう。

この状況では、給与が少しでも高い職場に転職しようとする人が後を絶たず、組織やチームをまとめるのが難しくなってしまう。

このような状況が2年間続き、このままでは部下の成長につながらないと考え、3年目にチームをゼロから編成しなおすことに決めた。チームをゼロからつくることは勇気のいる決断だが、こうすることでしがらみを払拭(ふっしょく)することに成功した。

この再編成により離職率も下がり、チームにまとまりが生まれたという。

シンガポールに来て4年目を終えようしている今、これまでの経験から海外でのチームビルディングに関して学んだことが2つあるという。

それは「相手を好きになること」、そして「相手を尊敬すること」。

この2つが、信頼関係を築くために必要だという。相手の文化的背景や価値観を理解し、それらを含めて好きになり、尊敬するということ。そうすることで、異国においても信頼関係を醸成し、よいチームをつくることができる。

加えてもうひとつ、横田氏が日本から派遣される研修生に必ずアドバイスすることがある。

それは「日本と同じやり方を捨てる覚悟をもつこと」だ。

日本と同じやり方を貫こうとすると、それを基準にして選り好みをするようになってしまい、結果として一緒に働く人を選り好みするようになってしまう。

こうなると信頼関係を築くことができず、チームは機能しなくなる。だから普段から相手のこと、相手の文化・価値観を理解し、好きになるように意識することが重要という。

今では部下の祖母の家に招待されるほどまでに厚い信頼を得ている横田氏。「日本の常識が通用しない」環境で、今後も部下とともに奮闘したいと語った。