みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.12

安倍総理のアメリカ議会演説は、日本の歴史への侮辱だ

2015/5/8
「みなさんの常識は、世界の非常識」では社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景を分かりやすく解説します。※本連載はTBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

安倍総理が4月下旬にアメリカを訪ね、オバマ大統領との共同記者会見や、アメリカ連邦議会の上下両院合同会議での演説などを行いました。演説では45分間に、10回以上もスタンディングオベーション=拍手喝采が起こりました。

アメリカを民主主義のチャンピオンとし、自らのアメリカ生活体験を語りつつ、第二次世界大戦と戦後日本の発展について、TPP(環太平洋連携協定)について、さらに日米同盟による「国際協調主義にもとづく積極的平和主義」の展望を掲げました。

「希望の同盟へ」と題された安倍総理のこの演説ですが、宮台さんはこれをどうお聴きになりましたか?

大統領副補佐官にナメられるだけのことはある

日程的にボルティモア暴動と重なったので、オバマ大統領との共同記者会見も日米関係とは無関係なボルティモアについての質問が大半。議会演説もアメリカでの報道はかなり小さい扱いでした。これを総理が興奮気味に自画自賛しているのは、属国的で悲しいですね。

それはともかく、中身については色々言いたいことがあります。日本がアメリカとどんな関係を取り結んでいくのかということは、日本の未来に大きく関係します。単に軍備をどう持つのかだけに関係するだけでなく、日本の国際的ポジションに関係する問題なのです。

アメリカがイラクを「大量破壊兵器の所持」というデマを理由に攻撃した際、日本以外にも英国なども支持したので、日本だけが非難を浴びる事態を避けられたけど、今後は日本がアメリカ追従で世界的な非難を浴びる事態に陥る可能性を含め、大きな問題を孕(はら)みます。

そうした見地から考えると、今回の演説は、お笑い種としかいいようがありません。まず、戦争に関する反省うんぬんは、事実上、最低限をクリアしたという感じです。というのも、実はその前、4月24日に既にローズ大統領副補佐官が安倍総理に釘をさしているんですね。

ローズ大統領副補佐官は、「過去の日本の談話と合致する形で、歴史問題について建設的に取り組み、地域でよい関係を育んで緊張を和らげるよう働きかける」と述べたんです。簡単に言えば、「つけあがらずに、アジアでの立場をちゃんと弁えろよ」ということです。

議会演説を前にしたこうした表明は異例で、アメリカが安倍総理を如何に信用していないか、そして安倍総理を如何にナメきっているかを、よく示しています。そして実際、安倍総理は、自らの歴史修正主義を、アメリカが許す枠内にギリギリ修正したというわけです。

結局、アメリカが右と言えば右、左と言えば左。それが満天下に晒された以上、ナメられるだけのことはあるって感じ。加えて、「アメリカがこう言ってるんだから」というデマを梃子(てこ)にしないと内政を進められない無能力ぶりも、満天下に晒された。説明しましょう。

米国に揉み手して海兵隊の沖縄駐留を懇願した

象徴的なことがあります。演説より前に行われた日米共同記者会見で、オバマ大統領はこういうことを言いました。「私は、海兵隊の沖縄からグアムへの移転を加速させることについて、ちゃんとコミットメントします」と。実に喜ばしい発言ではありませんか。

沖縄からグアムへ海兵隊を移すよ、と言っているんです。さらに、その前の言葉を付け足すと、「沖縄のローカルコミュニティに対する負担を減らすために」、私はグアムへの移転を加速させることにちゃんとコミットメントします、と言っているわけです。(※注)

※「Remarks by President Obama and Prime Minister Abe of Japan in Joint Press Conference

ところが、それを受けた安倍総理の発言。「住宅や学校に囲まれた普天間基地の危険性を辺野古移設によって一刻も早く除去します」。話がズレてる。オバマ大統領は海兵隊をグアムへ移すと言ったのに、安倍さんは辺野古移転だと。ワンパターンのチャットロボット。

以前から僕が言うように、1995年の少女暴行事件から1996年末SACO(日米特別行動委員会)合意までの経緯を見ると、当初は5〜7年以内の普天間返還で日米合意していたのが、本島東海岸への移設が前提という話になってしまった。一年半で話が変わっちゃったんです。その後が更に変なのです。

1998年に移設容認の稲嶺知事が当選すると、1999年には「2000年G8サミットの沖縄開催」発表と同時に、辺野古住民が移設を県に要請、半年後に辺野古移設が閣議決定される。ヘリ離着陸施設があれば良いという話が、1300メートル滑走路建設にすり変わっちゃった。

要は、海兵隊の普天間撤退を覆したのは日本側なのです。先日(4月10日)『NEWSポストセブン』が政府関係者の《米軍は海兵隊をグアムに移転させるロードマップを描いていたが、小泉政権時に“沖縄にいてほしい”と辺野古移設を提案した》という発言を紹介しています。

でも話はもっと遡る。昨年、沖縄の新聞2紙が1995年の少女暴行事件当時のモンデール駐日大使証言を報じました。「米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言」(『琉球新報』)「海兵隊の沖縄駐留『日本が要望』 元駐日米大使の口述記録」(『沖縄タイムス』)。

それらの記事では、米国政府内では、米兵による少女暴行事件が起きた後数日で、米軍は沖縄から撤退すべき、少なくとも大幅削減という議論になったが、日本側が駐留継続を求め、7カ月後に日米政府は普天間の県内移設に合意した、と伝えています。

『沖縄タイムス』はさらに、ペリー国防長官(当時)が米議会で「日本の全提案を検討する」と発言、ナイ国防次官補(当時)も「兵力の本土移転も含む」と述べたことも紹介しています。つまり、アメリカは撤退することを真剣に考えていたんです。

その後も日本政府は変なことをしています。県外移設をうたっていた民主党・鳩山政権成立直後に、アメリカに「普天間基地移設で民主党政権に妥協するな」と助言していたというのです。これはウィキリークスによる米国公電公表で明らかになりました。

それによりますと、民主党政権誕生直後の2009年10月12日、国務国防当局者を率いて訪日したキャンベル国務次官補(当時)らに対し、高見沢将林防衛政策局長が「米政府は……再編パッケージに調整を加える過程で、早期に柔軟さを見せるな」と助言した、とあるんです。

また2009年12月16日には、米国在日大使館の政務担当者と会った三人の外務省幹部が、鳩山政権の普天間移設問題の政治利用を批判、米政府は普天間移設問題で民主党政権に妥協するな、合意済みロードマップについて譲歩するなと強調したことも、公電にあります。

要は、日本の外務省当局が主導して「なんとか沖縄に海兵隊がいてくだせぇ」とへり下ってお願いした結果、辺野古移設という珍妙な事態になろうとしているのです。だから今回も安倍総理が「なんとか沖縄に海兵隊がいてくだせぇ」と思わず揉み手をしたというわけ。

米国は従来も今後も世界の正義だという頓珍漢

一事が万事こうなので、これで話をやめてもいいのですが……というわけにはいかない。だってまだ演説の内容に踏み込んでいないから(笑)。第一の問題は、安倍総理が演説で「日本はどこまでもアメリカについていきます」というような、卑屈な発言をしたことです。

これまでは「極東の安全保障ではアメリカに協力します」という関係でしたが、これを変え、「アメリカがどこに軍隊を出して戦争をする場合も日本はついていきます」と宣言をしたのが、集団的自衛権をめぐる解釈改憲の閣議決定です。それを今回、再確認したんですね。

キーワードは、本当に恐るべき、馬鹿げた文学的キーワードなんだけれど、「希望の同盟」という文言です。確かにそのように言ってましたよね。原文では、an alliance of hopeです。この言葉は、演説全体の文脈から言葉を補うと、こういうことになります。

「アメリカはいつでも日本にとっての見本でした。夢でした。これからもアメリカは、そういう夢であり、希望でありつづけることによって、世界の平和が保たれます。だから日本は今後もアメリカに喜んでついていきます」と。いやはや……。

僕がこれまで各所で繰り返し語ってきたように──今ではみなさんも当たり前のようにご存じだと思うけど──、ISIL(イスラム国)が誕生した根本的な理由は、アメリカによる、大量破壊兵器の隠匿というデマを根拠にした、国際法的に許されないイラク攻撃なのです。

大雑把にいえば、イラクはアメリカの攻撃によってもはや主権国家とはいえないほど不安定化して国民が反米化しただけでなく、強硬なシーア派のマリキ政権ができたこともあって、スンニ派バース党員が各種ノウハウを抱えて拡散、ISILの急拡大に直結したわけです。

そんなイラク戦争に、日本は兵站(※注)というカタチで事実上参加してしまったんですよ。あり得ないことです。そんなアメリカが、夢や希望の光ですか? そういう時代がかつてはあったかもしれない。でも最近はどうか分からないというのが、普通の認識でしょう。

※「兵站」(へいたん)…軍に武器弾薬や飲食物の補給をすること。日本では「後方支援」と呼ぶが国際的には存在しない語彙(ごい)。最前線の攻撃部隊に補給する場合、必ずしも「後方」にはならない。武器の使用基準も攻撃部隊と同じ。兵站活動は国際法上は戦闘行為に含まれている。

兵站ならぬ「後方支援」の語彙は、自衛隊の実績を積み上げたい「右」と、これを戦闘行為だと信じたくない「左」の、妥協の産物です。でも、間違いなく国際法上の戦闘行為だから、アメリカの要求があれば「後方支援」するというんじゃ、マズイ展開になり得ます。

現に、国際社会が一致したアフガニスタンでの作戦では、タリバンが「国家に準じる武装組織」だからと洋上給油に留め、国際社会が開戦の正当性をめぐり分裂したイラクでの作戦では、アルカイダは非国家だからとアメリカの言うなりに自衛隊をサマワ派遣しました。

そして、開戦の正当性がなかった事実が明らかになった後も、日本政府は、アメリカの言うなりに自衛隊を派遣したことについて、反省を表明していません。対米追従のあまりに戦争の正当性への鈍感さを欠いた日本政府が、集団的自衛権を掲げるのは、恐ろし過ぎる。

戦前が軍国主義だったという輩は勉強し直せ

演説の第二の間違いは、戦前の日本が軍国主義で、アメリカが与えてくれるまで民主主義を知らなかった、なんて、あり得ないということです。1931年以降はそうなってしまったけど、決して明治憲法下の日本が軍国主義で突き進んだなどという事実はありません。

以前は大正デモクラシーなどもあり、ちゃんとした政党政治だったかどうかは別にして、民主主義的な政治が行われていましたし、人々も民権運動を通じてそうした政治を積極的に支持してきたという歴史もあるんです。だから普通選挙運動も行われたんですよ。

先週、パラオでの天皇皇后両陛下のお話をNewsPicksに寄せ、そこで10年近く前の、お誕生日の際の皇后様のお言葉を紹介致しました。明治時代、民間で「基本的人権の尊重」や「言論の自由」などを記した憲法草案が多数作られていたことについてのお話でした。

民主主義はアメリカがくれたとする〈クソ左翼〉と、憲法はアメリカの押しつけだとする〈クソ保守〉は、表裏一体です。現に、安倍総理はこの間まで「押しつけ憲法」論者だったのに、今回の演説では「アメリカさん、民主主義をありがとう」になったでしょ?

でも、歴史的な事実は全く違う。民間憲法草案だけじゃないんです。明治天皇は五カ条のご誓文(※注)を出され、昭和天皇は敗戦の翌年には「新日本建設に関する詔書」を出されて、明治大帝の五カ条のご誓文に帰って民主主義をすればいい、と仰せになりました。

※「五カ条のご誓文」…単に「ご誓文」とも。第一条の「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ(広く会議をおこし公開された議論で政治を決めていこう)」など、国を作る上での指針が示された。のちの自由民権運動による民選議会設立運動などの拠り所ともなった。

つまり、日本にはもともと民主主義はあったし、それを理解するだけの民度もありました。それが捻じ曲げられてしまったのです。財閥や、財閥と結びついたステークホルダー、売上至上主義の新聞社、長いものに巻かれる一部国民が、日本の民主主義を捻じ曲げました。

そう理解しない限り、将来的に、日本の民主主義を捻じ曲げるものに敏感になれませんよ。ところが今回の安倍総理の演説はどうか。「日本にとってアメリカとの出会いとはすなわち民主主義との遭遇」だと。いったい歴史を分かっているのか? 教訓を学んでいるのか?

いいですか、皆さん。日本国民は、「日本にとってアメリカとの出会いとはすなわち民主主義との遭遇」という言葉によって侮辱されているのです。安倍総理によって国民が侮辱されているのです。こんな侮辱を許していいのですか? こんな状況を我慢するのですか?

皆さん。明治大帝のご誓文に遡りましょう。民権運動や民間憲法草案に遡りましょう。昭和天皇による真珠湾攻撃3カ月前の御製短歌に遡りましょう。敗戦後の昭和天皇の詔書に遡りましょう。もう一度いいます。歴史を勉強し直せ! ……あ、一度も勉強してないのか。

(構成:東郷正永)

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