ハーバード大学教授、学生の「ファイナンス業界就職」を嘆く
2015/04/28, The New York Times
5人に1人の卒業生が金融業界に
キャンパスは少しほろ苦い季節を迎えている。4年生は就職活動に入り、彼らは熱意にあふれているが、その選択に私は戸惑うこともある。
優秀な学生の多くが研究者や指導者としての道、あるいは公益のために働くことを選ばない。彼らが選ぶのは、トレーダーやブローカー、銀行員としてのキャリアだ。
2014年のハーバード大学卒業生のうち就職した人の5人に1人が、金融業界へと進んだ。経済学を専攻した学生では、2人に1人だった。これで彼らの能力が最大限に生かされるのだろうか、と思わずにいられない
もちろん、それは学生たちが自分の情熱や夢を追う個人的な選択の結果である。それでも、もし私が目をかけている学生が「投資銀行に就職が決まりました」と言ってきたら、私はどう感じるべきなのか。
彼女の希望がかなったという意味では、私も祝ってあげたい。だが一方で、それは社会のためになる選択なのか、と考えてしまう。
「私的なリターン」と「社会的なリターン」
私は経済学者として、すべての職業は「私的なリターン」と「社会的なリターン」の両方をもたらす、と思っている。
もし私がハンドメイド品販売サイトの「Etsy」で写真を売る店を開いたとしたら、私的なリターンは店の収益であり、社会的リターンは私の写真が誰かに与える喜びだ。
中には、社会的なリターンで「黒字」を得られる職業もある。わかりやすいのが発明家だ。たとえば、半導体。半導体によって次なる技術革新が数えきれないほどもたらされ、私たちが今日使っているコンピューティングシステムの大半は、半導体なしには存在しないだろう。
しかし、半導体の発明に貢献したとして1956年にノーベル物理学賞を受賞したジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーの3人は、半導体から派生した技術による儲けを少しも手にしていない。知識は公共の利益とされるため、ある発明に関する特許はそこから派生した技術までカバーしないからだ。
半導体が数々の「次なる発明」につながったのと同様に、ショックレーたち3人も先達の知識や発明を数多く参考にして半導体を生み出した。
才能ある人が「レントシーカー」になる国は伸び悩む
社会的なリターンを得ているのは、発明家に限ったことではない。教師やNPO(特定非営利活動団体)で働く人たちも、自分が得る私的な利益より社会にもたらす公共の利益のほうが多い。
これはアダム・スミスの時代までさかのぼる経済の本質だ──うまく機能している市場においては、労働の分担のおかげで自分の仕事だけをしていても公共の利益に貢献することができる。発明家の貢献度は飛び抜けているかもしれないが、私たちだって程度の差こそあれ、社会の役に立っているのである。
とはいえ、誰もがこのように貢献できるというわけではない。シカゴ大学経営大学院のケビン・マーフィー教授らはその論文において、才能ある人材が「レントシーカー」になるような国は伸び悩む、と指摘している。
レントシーカーとは、政治が生む利益を追求する人たちを指して、経済学者が使う言葉だ。レントシーカーは自由市場で富を生むのではなく、政治に働きかけて他者の富を自分のものにしようとする。
肩書きだけではレントシーカーかどうかはわからない。正確な契約書の作成を助ける弁護士は、商業活動によって富が生み出されることに尽力している。
だが、不法行為がはびこる国の法廷弁護士は、ただレント(利益)をしぼり取っているだけかもしれない。彼らは取るに足らない訴訟ばかり手がけることによって稼いでいるのだから。
金融はもっと社会の役に立てる
そういった意味では、金融は厄介な業界だ。たとえば、金利差や価格差の利ざやで稼ぐ裁定取引。15ドルの価値があるのに10ドルで取引されている株を見つけて購入し、値が上がるのを待つ。株式市場は、スキルのあるトレーダーが抜け目なく稼ぐ大きなカジノのように見えるだろう。
しかし、株式市場は重要な社会的機能を果たし得る。裁定取引を行う人(アービトレージャー)たちは、どの企業が安く、または高く資本を調達するかを決めることになる。どこに工場が建設され、どの小売店が拡大され、何の研究開発に資金が流れるかなどが決まるのだ。
株価が過小または過大評価されているということは、投資が誤っているということ。アービトレージャーは株価を適正価格にするという点では、公益をもたらしていると言える。
だが金融はもっと社会の役に立てるはずだ。今日、ギリギリの生活を送っている貧困層は高金利の消費者金融を利用したり、家賃を滞納したことにより高額な延滞料を払ったりしている。
このような社会問題の解決策を探るのは、金融業界で働く人間にもできるはずだし、それは意義のあることだ。大学の学費をどう捻出するか、失業のリスクにどう備えるかなど多くの社会問題の根底には、資金のやり繰りという側面がある。
巧妙に儲ける方法ばかりを考えるのではなく、金融の知識を使ってもっと切迫した問題の解決策を導くこともできるのだ。
途上国ではすでに、貧困層向けの小口融資(マイクロクレジット)や小口保険(マイクロインシュアランス)などの支援制度が生まれている。このように金融に絡めた社会に有益な発想が米国でもできないはずがない。
若者の最大の強み
さて、教え子が金融業界に進むと聞いて、私はどう感じるべきなのか? 彼らには、その世界に入ってもカネ儲けをするだけでなく、社会の役に立つ仕事ができる可能性があるのだと認識しておいてほしいと思う。
今日の金融界はそのようにかたちつくられていないかもしれないが、理想主義や創意工夫の精神は若者の最大の強みではないか。そして、とりわけ金融の世界はその意欲を活用できるはずだ。(文中敬称略)
(執筆:SENDHIL MULLAINATHAN記者、翻訳:中村エマ、撮影:Gretchen Ertl/The New York Times、)
(c) 2015 New York Times News Service
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コメント
注目のコメント
財務省で働いて、企業法務の弁護士としてビジネスや金融の方々とお仕事させていただき、両者の哲学には大きな開きがあると思った。
・ビジネスの人たちは、今、手元にあるお金をどこに投資し、会社を成長させたりして、いかにリターンを得るかという発想をする。
・財務省の場合には、お金のあるところからいかに税金を集めて、お金のないところにどのように配るかという「再配分」の発想が基本である。
手元にあるお金をどうやって増やすかという「経済成長」の発想と、どこに配るかという「再配分」の発想は、国力を維持したまま貧困問題を解決するための非常に重要な両軸なのだと思う。小さなパイを分け続けてもねって思うし。そういう意味で、両方とも社会的に重要な意義があるのは間違いない。
もっとも、財務省の時には、どちらかといえば「社会的リターン」のモチベーションで働いている人が多かったし(給料がそこまで高くないという意味で)、ビジネスの世界では「私的リターン」を第一義的に考える人も多いと思う(金銭的なインセンティブが重要なモチベーションになるという意味で)。
「経済成長」と「再配分」の職業の間で、人の移動をもっと自由にして、人生の時期ごとに「社会的リターン」と「私的リターン」の色彩を変えられたらいいなと思う。若い時期には、ある程度、経済的に満たされることを優先するのも分かるし、その上で、それなりの経験を積んでから、精一杯、社会的な意義に対してコミットするというのは、自然ななりゆきなのではないかと思う。そういう人生設計があっていいと思うから。「過激な道具をユーザの力で善に御す」NewsPicksが報道を御すように、経済も同じはず。金融という武器は便利すぎるが故に資本の偏りを産みがちですが、それを超える使い方があればいい。
SquareのJack Dorsyは「みんなお金は仕方なく使っている、見えなくなるくらい便利にすれば買い物はコミュニケーションに戻る」といっていることは至言だし
Kick Starterは開発の遅れ・公約違反で揉めているが、世界最大家電ショーCESのメインブースにKick Starter出身が立ち並ぶほど、影響力をもっている。
そして、グラミン銀行、KivaなどMicro Financeのモデルはきちんと企業として儲けることで持続的な形をもちつつ、確実に新興国に力を養っている。
NewsPicksやKick Starter, Kivaのような志をもったPlatformが産まれることを支持し、志あるユーザがしっかり育てていく それが大事金融の社会的意義がある事は疑いの余地はないと思う。金融の力がなければ、今のユーザベースも存在していません。ちなみにこの記事に関連して、佐山さんの「金融業が「社会の役に立つ」と思えません」という相談に対する回答とピッカーコメントは面白いです。
https://newspicks.com/news/891529/
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