みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.9

「1995年」とはなんだったのか? 3つのキーワードが示すもの

2015/4/17
「みなさんの常識は、世界の非常識」では社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景を分かりやすく解説します。※本連載はTBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

今年は阪神淡路大震災やオウム真理教地下鉄サリン事件が起きた1995年から数えて、ちょうど20年です。その後の20年間を振り返ると、東日本大震災や世界各地の災害、そしてニューヨークに飛行機が突入した9.11やISILなどがありました。

これらのことを考えると、1995年という年は単なるよくある一年ではなく、今私たちが生きているこの現代にまでつながる、特筆すべき特異点だったのではないか、という気持ちが湧いてきます。

宮台さん、20年後の今から見て「1995年」という年はいったいなんだったのでしょうか?

震災・オウム・援助交際、という惑星直列

1995年という年のキーワードとしては、1月の「阪神淡路大震災」、3月の「オウム真理教の地下鉄サリン事件」、そして、僕が騒動を引き起こした張本人の一人でもありますが、当時ピークを迎えつつあった「援助交際のブーム」が、挙げられるでしょう。

阪神淡路大震災、オウム真理教、援助交際のブーム。この3つが、奇しくも1995年に重なりました。それから20年経った今から振り返ると、当時はわからなかったけれど、今だからはっきりとわかることがあります。今日はそのことをお話したいと思います。

阪神淡路大震災は、たいへんな大災害でしたが、震災直後から、それまで日本にはあまりみられなかった大規模なボランティアの動きが日本全国に拡がりました。だから、1995年という年が、しばしば「ボランティア元年」とよばれるようになったわけです。

多くの人たちが、やむにやまれず、というか、自分でも動機がよくわからないまま、阪神淡路大震災の被災地にボランティアとして入ったのです。そのために、自分で食料などの準備をしていないケースが多くて、現地であれこれ混乱を引き起こしてもいます。

さて、その二カ月後、地下鉄サリン事件が起こります。ほどなく、オウム真理教の犯行であることが知られ、幹部信者らが入信前は東大医学部や慶應大学病院、宇宙開発事業団などに所属するエリートだったことが、驚きをもって語られるようになります。

それとは別に、1995年夏休みから1996年夏休みにかけて、援助交際ブームがピークになります。経済目的で貧困層が手を染めるもの、といった従来の「売春」イメージからほど遠く、むしろ、当初はカッコいい女子がやっているという感覚があったのですね。

進学科と普通科がある高校でいえば、進学科の目立つ子らが真っ先に持ち込んだからこそ、一挙に普通科にひろがりました。「流行の先端をいくリーダー層」が援交を始めたからで、カッコわるい層がもち込んでいたら、あそこまで急にひろがらなかったはずです。

予兆:ハルマゲドン後の廃墟の中の共同性

震災、オウム、援助交際。この3つが、実はすべて「同じこと」を告知しています。「〈社会の空洞化〉の始まり」ということです。1995年は、それ以前から深く静かに進行しつつあった〈社会の空洞化〉が、一挙に目に見えるかたちをとった年として、記憶されるのです。

まず、震災直後からのボランティアブームについてです。その背景に何があるのかについて、地下鉄サリン事件からほどない6月に『終わりなき日常を生きろ』を上梓して、あれこれ書きました。

そこで指摘したのは、ボランティアに行った人たちの多くには、ある共通の夢想と、それをもたらす共通する背景があったということです。これは今となってはわかりにくいので、大まかに当時の状況を説明します。

わかりやすい例でいうと、当時の音楽──とりわけヘビーメタルのプロモーションビデオ──に頻出したヴィジョンが、共通の夢想を表現しています。最終戦争が終わった後の〈廃墟の中の共同性〉とでも言うべきものです。

最終戦争、といっても石原莞爾の議論を想像するより、「火の七日間戦争」(※)みたいなものを想像していただければいいのです(笑)。「最終戦争後の廃墟の中で、新たな共同体をみんなで立ち上げる」という夢想が、震災に先立って圧倒的にひろまっていました。

※「火の七日間戦争」…「風の谷のナウシカ」の設定で、主人公ナウシカたちが生きる時代のはるか昔に「火の七日間戦争」とよばれる戦乱が起こり、文明が崩壊したとされる。

1990年代前半は、鶴見済氏が語っていた、世界をリセットするハルマゲドン待望論や、オウム真理教の麻原彰晃が説法で問いていた、近い将来訪れるハルマゲドンに備えよという話を含めて、ハルマゲドンがキーワードだったことを、思い出してください。

震災:システム崩壊がもたらした生活世界の輝き

この種の夢想を、あたかも現実化するようなかたちで、ハルマゲドンならぬ阪神淡路大震災が起き、〈廃墟の中の共同性〉を求めるようにして、被災地にボランティアに出かけた人たちが大勢いた。その意味で、利他性にだけ還元して理解することはできません。

社会学に災害社会学という分野があります。2011年3月11日の東日本大震災の後、とりわけレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』が話題になりました。そこには、どんな先進国でも大災害の後に〈廃墟の中の共同性〉が出現することが書かれています。

要はこういう話です。僕たちは、普段はシステムに依存している。システムとは、マニュアルに従って役割を演じられさえすれば、人が入替可能な存在(匿名存在)であるような領域です。そこでの人びとの動機は、損得勘定の〈自発性〉が専らになります。

ところが、災害でシステムが動かなくなると、生活世界が浮上してくる。生活世界とは、人が、損得勘定を超えた〈内発性〉──ヴァーチュー(内から涌く力)──を専らの動機づけとして動く領域で、そこでは人は入替不可能な存在(記名的存在)です。

システム崩壊でいっとき出現する生活世界が、「災害ユートピア」です。そこでは人びとが互いの損得勘定を超えた〈内発性〉を実感。自らの入替不可能な〈共同体にとっての価値〉(※後述するが、詳しくは前回参照)を見出し、テクノロジーに覆い隠されていた身体性を奪還して、高揚します。

オウム:奪われた「共同体にとっての価値」の代替的回復

続いてオウム真理教の話ですが、1970年代末、ナンパ・コンパ・紹介の時代すなわち〈性愛の時代〉の“仰仰しい”始まりにシンクロして、新興宗教から自己啓発セミナーまで含めた〈宗教の時代〉が、“密かに”始まりました。

当時の僕は、〈性愛の時代〉と〈宗教の時代〉の双方を見渡せるポジションにいましたが、いま述べた1970年代末から、地下鉄サリン事件の1995年まで、宗教セミナーや自己啓発セミナー、超能力セミナーに、ちまたでエリートと呼ばれる人たちが大量参入していました。

そこにみられたのは、「目標に到達できなかった」という挫折感ではなく、専ら「目標に到達したのに自分は輝いていない」という〈こんなはずじゃなかった感〉だった──という話を前回しましたが、覚えていますか?

せっかく超一流大学に入ったのに、親以外は僕のことをみてくれない。エリート教育を受けて社会の中で〈共同体にとっての価値〉を承認してもらえると思ったのに、全然ダメ。彼らは世俗の「外」の、宗教集団に〈代替的な承認チャンス〉を探すようになります。

A・ホネットの「愛による(個体性の)承認」と「法による(権利の)承認」、「連帯による(共同体にとっての価値の)承認」の区別に従えば、三番目の〈共同体にとっての価値〉の承認不足が〈代替的な地位達成〉に向かう動機づけを与える、ということです。

援交:性愛に乗り出したがゆえの不全感の満載

そして援助交際です。ブルセラ&援助交際ブームの出発点は1992年のことですが、僕の性愛関連のフィールドワークは1985年からです。だから、ブームに先立つ7〜8年間、若い女性たちの性愛行動を、全国規模でウォッチする機会に恵まれました。

年長者はご存じのように、1980年代前半は「ニュー風俗」のブームで、素人の女子大生や専門学校生が風俗で働くことが話題になり、1980年代後半は「テレクラ」と「伝言ダイヤル」ブームで、中高生から主婦にいたるまで、大々的に性愛に乗り出したことが話題になりました。

この1980年代の十年間を通じて、高校生女子の性体験率が倍増、高校生男子の性体験率を抜き去ります。

しかし、その結果、女の子たちの悩みは、〈性愛に乗り出せないがゆえの悩み〉から〈性愛に乗り出したがゆえの悩み〉へと、シフトすることになりました。

象徴的なのが、同じ1979年に創刊された雑誌『マイバースデイ』と『ムー』です。〈性愛に乗り出せないがゆえの悩み〉を受け止めるオマジナイ雑誌が『マイバースデイ』です。当初は『ムー』はマイナーで、『マイバースデイ』が圧倒的なブームでした。

転機が1986年、ナンバーワンアイドル岡田有希子の飛び降り自殺です。そのあと一年余り、『ムー』の読者欄で前世の名前を呼びかけ合い、思い当たる子たちが初対面で出会って、一緒にビルの屋上から飛び降り自殺するようになり、『ムー』のブームになりました。

岡田有希子の自殺は、三十歳以上も離れた男性との恋に破れてのことだと雑誌に書かれていましたが、僕が話を聞いた若い子たちの多くは、年長男性との失恋ではなく、年長男性に向かわざるを得なかった〈性愛の不毛〉にこそシンクロしていました。

要はこういうことでしょう。1980年代を通じて、統計調査にみられるように、若い女の子たちが大々的に性愛に乗り出した。

ところが、少女漫画を読んでロマンを育ててきた彼女たちにとって、実際の性愛コミュニケーションは大いに期待外れだった──。

僕は、多くの女の子たちから、デートと言っても、「ハチ公前交番の前で会って、ファストフードでテイクアウトして、ラブホに行ってセックスして、終わり」みたいなのばっかりで、つまらないという話を聞いていました。

それで、「そんなのやってらんねぇよ」という風になった女の子たちが、1990年代に入る直前に、男の視線とは完全に無関連に踊りまくる「お立ち台ディスコ」ブームを経て、「読者ヌード」ブームや「アダルトビデオ出演」ブームへと、向かうようになります。

その挙げ句に出てきたのが「ブルセラ&援助交際」ブームだったので、1993年にフィールドでそうした営みの最初の形を見つけたとき、僕には驚きも不自然感もありませんでした。僕が驚いていないので、好奇ではないと安心した女の子たちが、僕に話してくれたのです。

社会的空洞化の20年を告知した1995年

震災・オウム・援交。もうお気づきでしょうが、これらすべてに共通するニュアンスがあります。「この社会をどんなにうまく生きてもツマラナイ」ということですね。これが、冒頭にお話しした「〈社会の空洞化〉の始まり」に当たります。

ただ、当時はまだ、1997年に訪れる「平成不況の深刻化」の前だから、〈社会の空洞化〉がそれほど理解されていませんでした。それが、1997年になると、アジア通貨危機をきっかけに訪れた深刻な不況で、山一證券や北海道拓殖銀行が倒産したりしました。

そして、ご存じの通り、1997年度決算期の1998年3月から自殺者が急増します。2万5千人前後の年間自殺者数が、3万人台に急増して、その後20年近く3万人を切ることがありませんでした。そこで露わになった〈社会の空洞化〉を、僕の言葉で言い換えましょう。

それまでは曲がりなりにも経済が回ってたから、社会にあいた大穴がよくみえなかった。ところが、経済が回らなくなった途端、社会の大穴に人々がどんどん落ちるようになった。そこで初めて穴ボコの存在を突き付けられた、ということですね。

経済は回っているけれど、実は社会が回っていなかった。辛うじて回っていた経済が、社会の穴ボコを隠蔽(いんぺい)していた。しかし経済が回らなくなって以降、僕らは自殺・孤独死・無縁死など、社会の穴ボコに向き合うしかなくなり、もう20年近い時間が経ちました。

この20年はどんな時代だったのでしょうか。ひとことで言えば、〈社会の空洞化〉に向き合わざるを得なくなり、目の前で〈社会の空洞化〉がどんどん進行する時代だった、ということになります。その20年の幕開けを告知したのが、震災・オウム・援交だったのです。

近頃では、〈社会の空洞化〉が〈感情の劣化〉というかたちで観察できるようになりました。それを象徴するのが、「嫌韓厨」ブームから「電凸」(※)ブームを経て「ヘイトスピーチ」ブームにいたる「ネトウヨ」的なものの流れです。

※「電凸」…「電話突撃」の略・言い換え。2ちゃんねるが発祥とされる。企業やマスコミ、諸団体などに電話をかけて見解を問いただすこと。電話が殺到するなど問題化することがある。

他方で、皆さんもご存じかもしれませんが、1996年以降「性愛からの退却」がものすごい勢いで進みました。僕が今の大学に赴任したのは1992年でしたが、僕が自分の大学で個人的に調べたケースを紹介しましょう。

1990年代の半ばですと、交際相手がいる学生が、おおよそ4割いました。ところが、それがどんどん減って、今はどうかというと、何と1割台前半しかいないんですよ。ざっと3分の1ぐらいに減ってしまいました。恐ろしい変化です。

友人関係もそうなんだけれど、実りある絆によって結びつけられたような人間関係をつくるということが、非常に難しくなっています。多くの若い人が「何か言ったらネットにさらされるんじゃないか」という、いわば疑心暗鬼の塊になりがちです。

あるいは、少しでも性愛関係でいい目を見ているような女の子がいるとすると、女の子同士の間で「ビッチ」という扱いをされたりする。非常にさもしく浅ましい妬みが支配し、それゆえに怯え、本当に自分が思っていることを言えなくなりがちです。

備えあれば憂いなし…だが備えたところで

そうした今日の〈社会の空洞化〉や、挙げ句に訪れた〈感情の劣化〉の、まさに出発点を象徴するのが、1995年という年なんですね。今日挙げた震災・オウム・援交という3つのキーワードは、劣化の時代の始まりを、告知するサイファ(暗号)だったと言えます。

僕は20年間、TBSラジオ「デイキャッチ」という番組で、毎週ニュースについてコメントしてきました。いろんなニュースが出てくる中で、何が繰り返され、何が増え、何が減ったかを、評価できるような定点観測をしてきたことになります。

定点観測から言えるのは、この20年間、ひたすら〈社会の空洞化〉が進んだこと。今また経済が少しは回るようになったということで、以前と同じように〈経済回って、社会回らず〉、つまり「回り始めた経済が、社会の穴を覆い隠す状態」が再来するに違いない。

でも今日の経済は、債権リスクの債権化といった再帰性ゆえに水モノで、容易に混乱する。経済はいずれまた混乱します。クラッシュしなくてもハードランディング。いずれにせよ、時間の問題です。その際、〈社会の空洞化〉が手当てできていないとどうなるか。大勢が再び穴ボコに落ちて死にます。

これが「1995年のサイファ」が告知していたことの一つです。「備えあれば憂いなし」は、災害グッズだけの話じゃありません。システムが破綻したとき、皆さんが頼れる生活世界など、果たしてあるのか。たぶん多くの方々にはないし、作る力もないでしょう。

他方で「1995年のサイファ」は、「この社会をどんなにうまく生きてもツマラナイ」という感覚の拡がりも告知しています。前回はそれをオウムとISISから伺える共通問題として話しました。こうした感覚の拡がりは、危険なものを含めて宗教を呼び出します。

そうした現在を、社会哲学の世界で、「ポスト世俗化時代」と呼びます。資本主義の延命に不可欠な差異が消尽してフラットになる一方で、金融の再帰性が上昇して経済が不安定化し、他方で「世俗の生活に実りがない」との感覚が蔓延する、ということです。

こうした動きがとまらない限り、ISISを潰しても、カルトは危ないと叫んでも、弥縫策を超えない。激烈な貧困化と、激烈なスーパーフラット化が、ますます進む中で、「世俗の生活には実りがない」という感覚をどう克服できるか。それが最大のポイントです。

(構成:東郷正永)

■TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」

■月~金 15:30~17:46

■番組HP:http://www.tbs.co.jp/radio/dc/

■radikoリンク:http://radiko.jp/#TBS