「1995年」とはなんだったのか? 3つのキーワードが示すもの
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1995年は僕が生まれた年です。
このある種のパラダイムシフトの年に生まれたことで、色々と言われることもありますが、正直、僕にとっては知ったこっちゃ無い感も否め無いです。
僕にとってはOasisのMorning Gloryが発売されたことですかね。あぁ。これはダメな宮台さんだ。
この年は僕の中でもエポックな年ではあるし、語られてること1つ1つ思い出があんのだけど、この流れで書けるのは1つだけ。
この前年。制服少女達の選択という宮台さんの著書の影響で、僕ら社会学の生徒達は、 大多数が「なんちゃって宮台」な論文を書く時代でした。
というくらい、社会学を学ぶ人間にとっては、社会学のデフォルトゲートウェイであり、憧れでもあった訳です。
それくらいの人がこのレベルの語りとは、いささか寂しくもありますね。。。こっちがレベル上がったといよりは、宮台さんの言ってることがありゃりゃになってきた、というのが正直な感想です。
最近「俺らの宮台」なエッセンスも混じってる回もあっただけに、ガックリが多ございました。