グーグルの憂鬱_a

「グーグル vs 国家」の行く末

【vol.08】中国・欧州・米国。誰が「グーグルの敵」なのか?

2015/3/30
グーグル税、忘れられる権利、反トラスト法…、グーグルと国家の関係をめぐる問題は数多く報じられている。連載最終回では、中国・欧州・米国といった国家と、グーグルの関係を取り上げる。
【予告】「神様グーグル」の曲がり角
【Vol.01】データ分析から見える、神様グーグルの憂鬱
【Vol.02】ソーシャルで完敗。ブレるグーグルのM&A戦略
【Vol.03】アップルにあって、グーグルにないもの
【Vol.04】元メンバーが語る、グーグル・グラス失敗の理由
【Vol.05】対立、酷評、不倫。そしてグーグル・グラスは砕け散った
【Vol.06】しびれ切らす投資家。グーグルの投資が実る日は来るか
【Vol.07】グーグル vs 通信業者。「インターネットの未来」をめぐる戦い

言うまでもなくグーグルは、ひとつの民間企業にすぎない。従って、ビジネスを進めていく上では国家の法律が適用され、時に国家と衝突することもある。企業と国家間の争いは今に始まったことではないが、グーグルという会社の性質上、国との間でさまざまな新しい問題を引き起こしている。

グーグルと国家の関係を考察する上では、大きく三つの論点を挙げることができる。

1点目は、グーグルという「多国籍企業」が引き起こす租税回避の問題である。租税回避は、国家の徴税権を揺るがす問題として、グーグルに限らずグローバル時代の新しくも古いテーマである。

2点目は、グーグルという「インターネット企業」が引き起こす、インターネットそのものの自由や、インターネット上のプライバシーをめぐる問題である。インターネット業界を代表する企業であるグーグルは、インターネット自体が引き起こす問題の最前線に立ってきた。

3点目は、上記2点と関係してくるが、グーグルという「プラットフォーム企業」が引き起こす、独占をめぐる問題である。このテーマは、「グーグルは国家を超えるか?」といった議論につながってくる。

以下では、それぞれの論点についてグーグルと中国・欧州・米国の関係を中心に取り上げる。すべての問題を詳細に考察するのではなく、今後の議論のたたき台となる大枠を紹介し、この連載の結びとしたい。そしてぜひ、これらの問題について多くの方のご意見を伺いたい。

国家は、グーグルの租税回避を禁じることができるか?

グーグルは、法人税の低いアイルランドに法人を二つ設立し、一方をタックスヘイブン(租税回避地)であるバミューダ諸島から管理する「ダブルアイリッシュ」、さらにはオランダのペーパーカンパニーを経由させる「ダッチサンドイッチ」といった手法で、租税回避を図ってきた(アップルなども同様の手法を古くから用いている)。

イギリス下院が2012年末に提出した報告書によれば、グーグルはこの手法により、海外事業における実効税率を2.4%まで抑えていたとされる(参考までに、本国アメリカの連邦法人税率は35%であり、これに各州の法人税が加わる)。

こうしたグーグルらの税逃れに対し、米国では2014年8月、オバマ大統領が租税回避防止法案を行政立法する考えを明らかにしている。ネットワーク中立性問題においてグーグルはオバマと手を組んだが、租税回避問題に関しては「大きな政府」を志向する民主党と対立している。

租税回避対策に関して、とりわけ躍起になっているのが欧州連合(EU)だ。2014年10月には、租税回避の中心地になっているアイルランドの財務省が、多国籍企業の法人税支払いを軽減する優遇措置を廃止すると発表した。

グーグルを想定した税制の整備も進む。2015年4月より、イギリスでは25%の「移転利益課税」、通称「グーグル税」が導入される。グーグルの売上高のうち、イギリスからの収入はおよそ9%(2014年第4半期決算時)を占めており、イギリスから海外に移転した企業の所得のうち、半分近くがグーグルの所得とされる。なお、イタリアでは2013年に既に「グーグル税」が導入されている。

こうした国家の規制に、グーグルは反論している。彼らの言い分は、「多くの雇用を生み、インターネットによって無数の企業を支えることで、経済に貢献している」というものだ。

租税回避の問題で気を付けなければいけないのは、こうした節税対策はすべて「合法的に」行われている点だ。グローバル課税が現実的にまだ確立できていない以上、節税するか否かは企業の倫理観(戦略)に左右される。税を納め国家に富の配分を任せることも、節税によって得た資金で自ら社会に貢献しようとすることも、現時点では、企業側の選択の問題と言えるだろう。

国家は、「インターネットの自由」といかに向き合うのか?

租税回避は比較的古くからある問題だとすれば、インターネットと国家の間に横たわる問題は、21世紀に入ってから登場したとみることができる。

グーグルが掲げる「インターネットの自由」という問題が最初に先鋭化したのは、中国との関係においてだろう。

グーグルは当初、中国国内に人員を配置せず、Google.comを中国語に対応させることで、中国進出を目指していた。言い換えれば、外から「言論の自由」を掲げることで、中国当局の検閲を拒否しようとしていた。

しかし2002年ごろから、政治的にセンシティブな検索結果が除外されていることにグーグルは気付く。当局がフィルターをかけていることは明らかだった。そこで、グーグルは方針転換を図る。2006年1月、Google.cnを立ち上げ、当局による自己検閲の要請に答えたのだ。

それでもグーグル中国へのサイバー攻撃は続き、2010年3月にはGoogle.cnを訪れたユーザーを、香港に置かれたサーバー上のGoogle.com.hkに転送することを発表した。だが結局、この転送も認められず、グーグルは中国から撤退した。

次いで問題となるのは、プライバシーの問題、とりわけEUにおいて主張される「忘れられる権利」だ。

EUは2012年1月、データ元の個人から請求があった場合、個人データ管理会社は該当するデータの削除を義務とすることを明文化し、いわゆる「忘れられる権利」が誕生した。

そして2014年5月、スペインの男性がグーグルを相手取り始まった裁判で、欧州司法裁判所は、「個人に関連する特定の検索結果が表示されないよう、検索エンジンを運営する会社に要請する権利を個人が持つこと」を認定した。「忘れられる権利」が、司法の場で認められた瞬間だった。

なお、日本でも2014年10月に国内で初めて、不適切なグーグルの検索結果に対する削除命令が東京地裁より下された。

こうしたインターネットと国家(社会)をめぐる問題は、上記で見てきたように、基本的には「言論の自由」「表現の自由」、そしてしばしばこれらの自由と対立する「プライバシーの権利」が問題になってきた。

この問題に関してだけ言えば、「グーグル vs 国家」という図式は短絡的すぎる。むしろ、「グーグル・米国 vs 米国以外の国家」と言った方が正確だろう。

グーグルの背後には、常に「オープンで自由なインターネット」を掲げるオバマ率いるアメリカの後ろ盾があった。民主党のクリントン国務長官は講演で、たびたび「接続の自由」の重要性を強調することで中国をけん制してきた。またオバマ大統領は2012年、消費者が自由にプライバシー保護を選択できることに重きが置かれる「米国消費者プライバシー権利章典」に署名した。消費者がオプトアウトを宣言しない限り、インターネット企業はオンラインデータ活用できるようになり、EUの「忘れられる権利」とは真逆の姿勢を支持している。

こうした米国政府の姿勢は、好意的に解釈すれば、民主主義の基盤をなす基本的権利を維持する行為ともとれるし、否定的に見れば、アメリカ経済の中心となるIT産業を守ろうとする行為ともとれるだろう。

国家は、企業の独占をどこまで制限できるか?

最後に問題になるのは、「プラットフォーム企業」としてのグーグルと国家の問題だ。具体的に言えば、独禁法違法との戦いだ。

この問題に関しても、先ほど同様、アメリカとEUでは大きく状況が異なる。

アメリカでは、2000年代より反トラスト法違反の疑いで米連邦取引委員会(FTC)がグーグルを調査してきた。検索結果の表示や広告掲載の基準で、独占的な地位を乱用しているのではないかと考えられたのだ。だが結局、FTCは2013年に「違反はなかった」とする最終判断を下している。

一方のEUは、2014年11月末、議会が「オンライン企業に対し、検索エンジンを他のサービスと分離するよう要請することを求める決議」を採択した。名指しはしていなが、無論、念頭に置かれているのはグーグルだ。EUでは検索エンジンにおけるグーグルのシェアが9割を超え、ほぼ完全な独占状態になっている。

シリコンバレーを持ち、IT業界でほぼ一人勝ち状態のアメリカと、そのアメリカから来たグーグルに市場を独占されているEU。両者で態度が異なるのは当然だろう。

ピーター・ティールは独占に関して「良い独占」と「悪い独占」があると述べたが、グーグルの独占については、国によって(あるいはユーザーによって)その評価が分かれているのが現状だろう。

グーグルは、国家を超えるか?

以上、大きく三つの論点を紹介した。最後にグーグル自身が「国家」になりうる可能性に言及して、筆を締めくくりたい。

グーグル会長エリック・シュミットは、著書『第5の権力』で、80億人がインターネットによりつながったコネクティビティがもたらす力を、行政・立法・司法・メディアに続く「第5の権力」と論じた。

インターネット上に生まれる「第5の権力」の持ち主は私たちひとりひとりだが、その舞台となるインターネットは、既にグーグルをはじめとする一部のプラットフォーマーが支配を強めている。インターネットという新しい世界の中で、グーグルという「新しい国家」が生まれつつあると言えなくもない。

既存国家の立場からすれば、「国家化」するグーグルに対抗する道は現実的には三つしかないように思われる。中国が実施したように、国家が強制的にグレートウォールを引きネットワークを遮断するか、米国のNSA(国家安全保障局)のようにネットワークの監視を強めるか、「グーグルの良心」に委ねるかだ。

「グーグル国」に住むかどうかは、まだ(ギリギリ)ユーザーが選択できる位置にあるように見える。しかし、もしかたら近いうちに、「グーグル国」のルールが新しい世界を覆い、ユーザーは「新しい国」に住むことになるのかもしれない。