“正解”の代わりにあるのは、自分で導き出す“納得解”だけ
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注目のコメント
「よのなか科」の取り組みは素晴らしい。
私は藤原氏のように、一度は学校以外に就職した事のある人を教員にすると良いと考えている。生徒のほとんどは学校以外で働く事になるからだ。生徒にとって先生は、授業だけでなく人生について話す事ができる身近な「人生の先輩」。教育現場にも民間企業の実情を理解している人を積極的に取り入れるべきだと思う。
小学校時代の担任は変わった人だった。時間割通りに授業をする事はほとんど無く、授業のやり方も教科書の内容よりも皆での話し合いなどを重視した。しばしばディベートも行った。昼休みに男子が女子にケイドロをぼろ負けした時は、「男子が勝つまでケイドロやるぞ」と午後はそのままケイドロをした事もあった。先生の言う事に反論をする私のような生徒にも、偉そうにしない人だった。人生について、真剣に語ってくれる人だった。私は、彼のような先生になりたいと思い、将来は教員になろうと決めた。
高校二年生の時、私は大学卒業後は教員にならない事を決めた。親と話していた時、ふとその先生が、教員になる前に様々な職を転々としていた過去があったことを思い出し、自分が人生を教える先生になるには、大学を卒業するだけでは人生経験が少なすぎるのではないかと感じたからだ。
いま私はアフリカのセネガル共和国に住み、「アフリカから一人でも多くの人を経済的に豊かにする」という理念のもと活動を行っている。教員という形ではないかも知れないが、人に何かを少しでも伝えられるような存在になりたいと思う。納得解を導き出すためのステップ
観察→仮説→検証→証明
これは、プログラミングの流れにも当てはまる気がする。
「観察」つくりたい機能を実行するために、まず調べる。本やネットでとにかく情報を収集する。
「仮説」調べた中から、有効な手段を選び出し、優先順位をつける。
「検証」優先順位の高いものから、実装して試してみる。
「証明」=レビュー
だからこそ、プログラミング教育が注目され、プログラミングから得られる思考能力が重要視されるのだろう。