たった一度の人生を変える勉強をしよう

【0時限目】もう「勉強」だけでは役に立たない

「いままでの勉強」では生き残れない時代の到来

2015/3/26
暗記中心の「勉強」は、もはや役に立たない。では、かわりに何を学べばいいのか? 世の中のさまざまな問題を学習する「よのなか科」の生みの親である藤原和博氏が、中高生とその親のために書き下ろした新刊、『たった一度の人生を変える勉強をしよう』(朝日新聞出版)をNewsPicks上で毎日掲載します(第0章、1章を無料公開。第2章以降は有料となります)。

きみたちが生きる「成熟社会」とは

ここで一度、話を整理しておこう。日本が「成長社会」だったころ、よのなかには誰もが認める“正解”がありました。たとえば、進学、就職、結婚、出産、マイカー・マイホーム購入といったライフイベント。いい高校に入って、いい大学に進めば、大きな会社に就職できたり、公務員になれる。あとは年功序列でお給料も上がるし、黙っていても出世できる。

そしていい人と結婚して、子どもをもうけて、郊外のマイホームを手に入れる。これはみんなが認める幸せのかたちでした。働き方も同じだ。成長社会の産業界には「もっとたくさん」「もっと安く」「もっと均質に」という“正解”があって、決められた目標に向かって進んでいれば、明るい将来が約束されていた。「あそこをめざせ!」というゴールがあったわけ。

このとき、いちばん大切になるのは1秒でも早く“正解”にたどりつく「情報処理力」です。そして情報処理力を鍛えるのにもっとも有効な手段が「勉めて強いる」の勉強だったんだ。

勉強さえやっておけば、どうにかなる。親や先生、国や社会の言うとおりにしておけば、どうにかなる。ある意味それは、幸せな時代だった。でもね、成長社会はある段階でストップする。しかも、心の部分でストップする。その理由について、ちょっと考えてみよう。

日本が戦後の焼け野原から立ち上がろうとしていたとき、みんなの心を占めていたのは「たらふくメシが食いたい」「暖かい服がほしい」「まともな家に住みたい」という、衣食住についての欲求だった。そして衣食住が満たされると、今度は「テレビがほしい」「冷蔵庫がほしい」「エアコンがほしい」みたいに、生活や文化に関する欲求が芽生えてくる。毎日の暮らしを、もっと便利に、もっと豊かにしてくれるモノを求めるわけだ。

だって、たとえば冷蔵庫があれば、肉や魚が腐りにくくなるよね。そうすると家庭での食中毒が激減する。しかも保存がきくから買いだめすることができる。毎日お買いものに行く必要がなくなって、主婦たちの自由時間がグッと増える。炊飯器や掃除機も、まったく一緒。あたらしい家電を手に入れることで、家事がどんどんラクになる。つまり、モノが豊かになることは、みんなの「幸せ」と直結していたんだよ。

じゃあ、ここで問題。

モノの豊かさがある程度満たされていったとき、今度はなにがほしくなる? 衣食住が整って、テレビや冷蔵庫、エアコン、自家用車なんかがぜんぶ揃ったら、社会の欲求はどこに向かっていくと思う?

モノ(物質)の豊かさは、もういらない。だって、いまさらテレビがあと1センチ薄くなっても、それは「幸せ」とは結びつかないよね。モノでは満たされなくなった幸せを、今度は「心の豊かさ」に求めるようになるんだ。

このあたらしい時代のことを、ぼくは「成熟社会」と呼んでいます。モノの豊かさを求めるのが成長社会。それに対して心の豊かさを求めるのが成熟社会。これ、とっても大事なポイントなので、ぜひ覚えておいてください。

正解はきみの「心」のなかにある

それではここで、次の問題。いま、なんとなく「心の豊かさ」って言葉を使ったけど、これって具体的になんのことだと思う? なにがあれば「心の豊かさ」が満たされるんだろう?

……わからないよね。

そう、これは「心」がどう満足するかという問題だから、個人によってバラバラなんだ。たとえば、いまはプロ野球選手がメジャーリーグに挑戦することは、当たり前になっている。でも、昔はそうじゃなかった。生涯日本でプレーすること、そしてあわよくば、ジャイアンツやタイガースのような人気球団で活躍すること。

それが日本人プロ野球選手の“正解”だったんだ。

ところが1995年、当時日本でいちばんのピッチャーだった野茂英雄さんが、周囲の反対を押し切って渡米して、大活躍する。もちろん、メジャーリーグに行って活躍できる保証なんて、どこにもなかったんだよ。それどころか、軍暮らしや軍落ちだってありえる無謀な挑戦だ。だって、日本にいれば球界のエースという立場が約束されていたわけだからね。

でも、野茂さんの「心」は、それじゃ満足しなかった。安定や安心よりも、世界最高峰のリーグに挑戦したい、という思いのほうが強かった。

結局、野茂さんの成功をきっかけに、たくさんの日本人選手がメジャーリーグに挑戦するようになっています。もちろん、家族やファンの気持ちを優先して、あるいはメジャーリーグにそんな興味を感じることなく、生涯日本でプレーする選手も大勢います。これは「心」の問題なので、どちらが“正解”というわけではありません。

答えは、その人の心の中にだけあるものだから。こんな感じで「成熟社会」になると、みんなの価値観、生き方、働き方、趣味嗜好がバラバラに枝分かれして、とてもひとつの“正解”ではくくりきれなくなりました。これは、よのなかのルールが変わった、といってもいいくらいの大変化。

さて、ここで問題になるのは、ルールが変わればプレーヤーも変わる、ということ。同じ陸上競技でも100メートル走とマラソンとでは、求められる能力がぜんぜん違うよね? マラソンの時代になったのに、100メートル走のスタートダッシュばかり練習しても意味がない。長距離には長距離用の、練習メニューがあるはずです。

みんなの勉強についても、同じことがいえます。

基礎体力としての勉強が大切なのは、いまも昔も変わらない。ここは勘違いしないでほしいんだけど、ぼくは「勉強しなくていいよ」といってるわけじゃなくって、「いままでの勉強だけじゃ足りないよ」といいたいんだ。

従来型の勉強は、あくまで正解ありきでつくられた、「成長社会」に必要な力を身につけるプログラム。これからの成熟社会では、正解ありきの勉強に加えて、「正解がない時代」を生き抜くための、あたらしい力を身につけなくてはいけません。勉強という言葉が、再定義されるべきときに来ているのです。

※続きは明日掲載します。
 たった一度の_本とプロフ (1)