この連載について
ドラマやマンガが話題を呼び、「人の外見を重視する価値観=ルッキズム」が見直され始めている。一方で、現実の世界ではまだルッキズムが生活に根付いているのも事実だ。私たちは「見た目」とどう向き合おうか。NewsPicksと一緒に考えよう。
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考えるうちに、自分の中でそうした言葉の本質を見つめようとせずに、世の中の文脈(正解)に乗って使っているからだと気がつきました。意味を落とし込まずに、“正解”に則って言葉をそのまま使うと、自分の考えや意見ではないことまで口走ってしまいそうになります。
ルッキズムについて取材しながら、「自分の考え」を社会の常識に委ねず、より自身の眼であらゆる物事を見つめるようにしたいなと思いました。
「この食べ物、もう傷んでそうだ」
「何だか危険な香りがする」
これらはある意味、嗅覚を通じて人間の危機察知能力を刺激しているのだろう。
でもこれもある意味一側面であって、やはり視覚や聴覚など五感をフル活用した方が、より良い気はする。
ちょうど昨日、キッチン周りに少し異臭を感じたので、ゴソゴソ探索してみたところ、常温保存していたじゃがいもが原因だった。見た目にも明らかに傷んでいたことを確認し、一件落着したのだけど、やはりこの時も嗅覚と視覚の合わせ技で判断した。
大切な食料だからこそ、出来れば置いておきたい。けどもう無理な状態なら、早くゴミ処理せねばならない。
ある意味、対象物に対するリスペクトなり愛情なりがあれば、それを多面的に捉えようとする、ということか。
本質はそこにあるような気がしてきた。
グラデーションのなかに生きること、生命体としてのオーガニックな感覚をいつくしむことがますます(難しい時代であるがゆえに)大切になってきますね。
文明の発達というのは、視・聴・嗅・味・触の五感を心地よくする営みとも言えますが、行き過ぎるとときどき原点回帰することも必要になると思います。
都市&インターネットであまりに人工的・商業的に用意された五感の刺激なかで暮らすと、五感のバランスが取れなくなったり、鈍ったり、偏ってしまう。つまり、与えられることに慣れ、知らないうちに五感をコントロールされています。
自分の五感を研ぎ澄ましなおしたい欲求が、自然の中の体験や、ミニマムな生活やマインドフルネスの人気の背景にあると思います。
自分がうっとりする風景、耳をかたむけたくなる音、かぐわしい匂い、ほっとする手触り、美味しいと感じる味って何だっけ?
視覚だけでなく五感を総合的に自分に取り戻す機会をもつことで、ルッキズムも含め現代の生き苦しさが少しでも軽減できるのではと思います。
※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません