解読吉田調書 (1)

【第25回】解読「吉田調書」

あとがき:「遺言」が歴史的意味を持つために必要なこと

2015/3/26
吉田調書は、未曾有の国家危機の中で、危機対応にあたったひとりの人間が、どのような情報から、何を考え、どのような判断を下し、どう動いたかという危機対応の追体験を可能にしてくれる。この調書は、吉田昌郎の遺言である。私たちは、そのように受け止めて、彼の肉声に耳を澄ませ、そこに潜む真実をつかみだし、そこから引き出した教訓に学ばなくてはならない。本連載では民間事故調のワーキング・グループ有志メンバーが吉田調書を解読するとともに、それを踏まえて、民間事故調報告書で明らかにした事実と分析の検証を行った。

「吉田さん、よくここまで記憶しているな」

福島第一原発の緊急対策室の円卓で昼夜を分かたず事故対応に当たった吉田昌郎所長の「副官」は、調書を読んで、「吉田さん、よくここまで記憶しているな、と感心した」と私に語った。

「吉田さんが『記憶飛んでる、前後関係よくわからない』と調書で言っているが、それは私も同感です。しかし、吉田さんは、よく覚えている。私は、1号機の爆発までは記憶鮮明だが、その後は、前後あいまいで……」

2011年3月中旬の時々刻々の事柄を、半年以上経ってからも聴取されるのだから、記憶があいまいになって当たり前である。

吉田は危機時の指揮官として不可欠な強靭な気力を持っていたが、強靭な記憶力をも持っていたようである。

ただ、聴取はあくまで政府事故調の質問への回答の形で行われている。

吉田は基本的に、質問されていないことには答えていない。そして、政府事故調の担当者が質問していないことも多い。

たとえば、次の箇所。

「そのときに(中略)清水社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話も聞いているんです。それは私が本店のだれかに伝えた話を清水に言った話と、私が細野さんに言った話がどうリンクしているのかわかりませんけれども、そういうダブルのラインで話があって」(吉田調書8月9日)

「清水社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話」を吉田はいつ、聞いたのか、誰から聞いたのか。

当時、やはり円卓に詰めた東電技術者の一人は「その頃、そのような話は円卓周辺では聞いていなかった。吉田さんが後で聞いた話なのではないか」と私に語ったが、同時に「退避とか撤退といった機微に触れる話はテレビ会議ではなく吉田さんが電話で関係者と直接やりとりしていた」とも述べており、なお真相は混濁している。

それから、吉田は、その話を聞いて、どう思ったのか。本店の誰かに問い合わせたのか。清水に直接、質したのか。そもそも、「撤退」問題で「ダブルのライン」はどのように絡んだのか。絡まなかったのか。

この日、3月14日の夜、「撤退」について東電本店の経営陣はどんな対応策を協議したのか、その際、吉田は何か聞かれたのか。こうした二の矢、三の矢の質問はない。

教訓を学ぶには真実の不断の検証が不可欠

また、政府事故調の聴取は、座談、雑談、懇談といった「談する」形で眠っている記憶を自然に呼び覚まさせるのではなく、事実認定については事前にアサンプション(一定の想定・仮説)を定め、それを検証するという方法で行っている。事故の発生と事故の拡大の原因を調査するため、いくつかの決定的過誤(と想定される判断と対応)に絞り込み、それをこして事実を確定する作業を、限られた時間内に行われなければならない以上、こうしたやり方を取るのが最も有効であることは間違いない。

ただ、こうしたやり方だけでは、意思決定を裏打ちする判断の背後の想念のマグマや情念の噴きだまりがこぼれ落ちることになりやすい。

それでも、8月と11月の質問を比べると、11月の方が内容的にも研ぎ澄まされ、深みを増し、また問いただし方も畳みかけ、繰り出す感じがする。それによって真相がまた一つむき出されてくる爽快感を抱いたのは私一人ではないだろう。事故の教訓という観点からは多くのヒントを得ることができる地震・津波の備えについての質問もその一つである。これに対する吉田の回答には、そうした想念や情念がわだかまっている姿が読み取れる。これも11月の聴取の成果の一つである。

先に調書を「遺言」と書いたが、残された私たちがそこから教訓を引き出してこそ「遺言」は歴史的意味を持つ。

東電本店の幹部は「(調書は)教訓の本質のデパートみたいになっている」と私に言った。東電がそこから教訓を学ばなければならないことは当然として、他にも原子力安全文化、とくに原発過酷事故対応に関しては多くの課題がなお私たちの前に山積している。

そして、繰り返しになるが、教訓を学ぶには真実の不断の検証が不可欠なのである。

繰り返し検証を行い、それを実際の行動にフィードバックしていくことが大切なのである。

報告書を北澤宏一先生に捧げる

吉田調書を解読するにあたって、東電社員5人の方にお話をうかがった。そのうち3人は、危機のさなか現場で吉田所長とともに事故対応に当たった。もう1人は当時、本店で経営トップ補佐として働いた。残る1人は、現在、経営陣の一員として原子力安全文化の定着と危機管理に責任を持つ立場にある。

それぞれお立場もあり、全員、お名前は公表しないということでお話をうかがった。インタビューに応じてくださったことにお礼を申し上げたい。また、原子力委員会委員を務めた尾本彰・東京工業大学特任教授は吉田調書の内容に関する私の問い合わせに対してメールで回答をくださった。尾本教授にも深く感謝の意を表したい。

今回、日本再建イニシアティブが、民間事故調のワーキンググループのメンバー有志による吉田調書の解読を試み、それを踏まえて民間事故調報告書の検証を行い、慶応義塾大学グローバルセキュリティ研究所(G-SEC)と共催でシンポジウム(「吉田調書に見る福島危機」)を開催したのも、そして、この報告書を刊行したのも、こうしたフィードバック・メカニズム構築の一環となればと念じてのことである。

シンポジウムに参加してくださったのは、民間事故調ワーキンググループに在籍した堀尾健太、塩崎彰久、鈴木一人、菅原慎悦の四氏である。改めて、お礼を申し上げたい。

慶応義塾大学の竹中平蔵教授(G-SEC所長)は、この企画の趣旨に賛同され、日本再建イニシアティブとG-SECとの共催を快諾してくださった。廣野哲郎同研究所事務長と井庭崇総合政策学部准教授のお二人はその実現に向けて尽力してくださった。深く感謝したい。

セミナーには慶応義塾大学の学生が出席し、活発な質疑応答を重ねた。その成果は報告書の第3部に収録した。学生のみなさん、ありがとう。

朝日新聞編集委員の奥山俊宏氏にはアドバイザーとして実に的確な助言をいただいた。新興ネットメディアであるニューズピックスの佐々木紀彦編集長はシンポジウムをネット報道で協力してくださった。厚くお礼を申し上げたい。

民間事故調報告書のエディターをしてくださった大塚隆氏には今回の報告書もエディターをお願いした。前回同様、締め切りギリギリの突貫工事となったが、実に手際よく編集作業をしてくださった。

プロジェクトのスタッフ・ディレクターは、民間事故調と同じく、北澤桂(日本再建イニシアティブ主任研究員)が担当した。また、インターンの藤田夏輝氏が北澤の下で、スタッフを務めた。実にテキパキ、キビキビ、しっかりと仕事をしてくれた。

最後になったが、この報告書を昨年9月に死去された北澤宏一・東京都市大学前学長(元科学技術振興機構理事長)に捧げる。北澤先生は民間事故調の委員長を務めてくださった。先生の科学者としての使命感と責任感なしに、民間事故調はなかったし、報告書も生まれなかった。

北澤先生は、民間事故調報告書刊行後も、福島原発事故の原因と背景の究明に強い関心を持たれ、日本再建イニシアティブによる「日本の失われた時代」検証プロジェクトにも参加し、「福島原発事故:失われた機会と『安全神話』」(英語論文はThe Fukushima nuclear accident: Lost Opportunities and the “safety myth”)の章を執筆してくださった。この論文が先生の絶筆となった。この成果は『日本の失われた時代』(東洋経済新報社、2015年6月刊行予定)、英語版はJapan’s Lost Decades, Routledge, 2015年刊行予定)として刊行することになっている。

今回のプロジェクトも、先生が生きていらっしゃったなら、必ずや賛成していただけたと確信している。先生の厳しくも温かいご尊顔を懐かしく思い出す。

日本再建イニシアティブ理事長・船橋洋一

※連載終わり。

プロジェクトメンバー

船橋 洋一(ふなばし よういち)
一般財団法人日本再建イニシアティブ理事長。東京大学教養学部卒。1968年、朝日新聞社入社。米ハーバード大学ニーメンフェロー、朝日新聞社北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長を経て2007年から10年12月まで朝日新聞社主筆。11年9月から現職。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)プログラム・ディレクター。

鈴木 一人(すずき かずと)
北海道大学大学院法学研究科教授(国連安保理イラン制裁委員会決議専門家パネルメンバー)。専門は国際政治経済学、EU研究。2012年、『宇宙開発と国際政治』で第34回サントリー学芸賞受賞。民間事故調では第3部のワーキンググループ・リーダー。

菅原 慎悦(すがわら しんえつ)
一般財団法人電力中央研究所社会経済研究所主任研究員。専門・関心分野は、原子力政策、科学技術社会論。東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻博士課程修了。2012年4月電力中央研究所入所、14年10月より同・原子力リスク研究センター兼務。民間事故調では第1部、第3部ワーキンググループ・メンバー。

塩崎 彰久(しおざき あきひさ)
弁護士。主な取扱分野はコーポレートガバナンス及び危機管理。2006年から07年まで官房長官秘書官。第一東京弁護士会・民事介入暴力対策委員会副委員長。日本再建イニシアティブ監事。民間事故調第2部ワーキンググループ・メンバー。

堀尾 健太(ほりお けんた)
在ウィーン国際機関日本政府代表部専門調査員。専門は原子力政策、核不拡散。2010年4月より東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻博士課程に在籍。13年5月より現職。民間事故調第1部ワーキンググループ・メンバー。

大塚 隆(おおつか たかし)
プロジェクトのエディター。科学ジャーナリスト。京都大学工学部卒。1976年朝日新聞社入社、92年から95年アメリカ総局員=科学担当、2001年から04年まで東京本社科学医療部長。04年から06年まで朝日新聞アメリカ社長。民間事故調でも報告書のエディターを務めた。

北澤 桂(きたざわ けい)
日本再建イニシアティブ主任研究員(統括)。東京大学文学部卒。同大学院新領域創成科学研究科修了。ロンドン大学高等空間解析センターPhD研究員として欧州を中心にGISコンサルティングに従事。民間シンクタンクなどで都市政策に関するリサーチ・コンサルティングを担当。民間事故調ではスタッフディレクターを務めた。

奥山 俊宏(おくやま としひろ)
プロジェクトのアドバイザー。朝日新聞編集委員。東京大学工学部原子力工学科卒。1989年、朝日新聞社入社。水戸支局、福島支局、社会部、特別報道部などで記者。

藤田 夏輝(ふじた なつき)
プロジェクトのインターン。慶應義塾大学総合政策学部卒。民間事故調にインターンとして参加。