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Weekly Briefing(メディア・コンテンツ編)

「ウェアラブルは体に悪い」論争に見る、メディアの反省力

2015/3/24
Weekly Briefingでは毎日、ビジネス・経済、メディア・コンテンツ、ワークスタイル、デザイン、スポーツ、中国・アジアなど分野別に、この1週間の注目ニュースをピックアップ。火曜日は、世界と日本のメディア・コンテンツ・マーケティング関連のニュースをコメントとともに紹介します。

吉田調書などを巡るスキャンダルを受け、朝日新聞が導入を発表した「パブリックエディター制度」。パブリックエディターは社内外の記者などから構成され、編集部と独立した立場で、日々の報道をチェックしていく。今週のWeekly Briefing では、この“メディアの監視役”ともいえる存在に関するニュースをピックアップする。

Pick 1:「ウェアラブル」は体に悪いのか?

Nick Bilton,“The Health Concerns in Wearable Tech”,The New York Times(2015年3月18日)

3月9日、アップルがアップルウォッチを大々的に発表。4月24日の正式発売を前に、さまざまな切り口から「スマートウォッチ」がメディアで取り上げられている。

その中で、ひときわ注目を浴びたのが、3月18日にニューヨーク・タイムズが掲載した、ウェアラブルコンピュータの健康への悪影響をテーマにした記事だ(本日、NewsPicksでも翻訳版を掲載:「スマートウォッチ」は体に悪いのか?)。筆者は、テクノロジー分野のコラムニスト、ニック・ビルトン。必ずしも医療やサイエンスに明るい記者ではない。

記事の主なポイントは以下である。

・ 消費者や研究者のなかには、ウェアラブルもタバコのように、数十年後には体に有害だと考えられるようになるのだろうかと疑問に思っている人もいる。

・ 数ある研究の中には、携帯電話を体に密着させた状態で長時間使用すると、電磁波が原因で、ガンなどのリスクが高まると示唆するものもある。たとえば、スウェーデンのエレブロ大学病院のレナート・ハーデル教授らの研究では、携帯電話やコードレスフォンで長時間話すと、ある種の脳のガンにかかるリスクが3倍になるとの結果が出た。

・ 携帯電話やウェアラブルに関して、子どもには大人よりもいっそうの注意が必要だという点で多くの研究者は一致している。子どもたちの脳細胞のほうが特定の電磁波、特に携帯電話の発する電磁波により多く曝露している。

これらの携帯電話、ウェアラブルのリスクを述べた上で、ビルトン記者は、自らは携帯電話を耳につけるのを止め、今ではヘッドセットを使って電話するようになったとコラムを結んでいる。

科学の素養のない人間(筆者含む)がこの記事を読むと、「ウェアラブルは恐ろしいんだな」と素直に受け入れてしまうかもしれない。

しかし、この記事が出るやいなや、サイエンスに詳しい読者はもちろん、複数のメディアのサイエンスジャーナリストが、痛烈な批判を寄せた。たとえば以下のような反論だ。

「携帯の電磁波を巡っては、何十年にわたり無数の研究が行われてきた。それなのに、ビルトン記者は、その研究のほぼすべてを無視している」(The Verge

「(記事中でコメントを引用している)ジョセフ・マーコラ医師は、携帯電話やガンや疫学について、専門的な技能を有しているわけではない。彼は完全なニセ医者だ」(Science Blogs

「ウェアラブル危機がガンのような健康問題を引き起こすことを示した直接的な証拠はない」(Slate

ただ、批判は他メディアだけではすまなかった。ニューヨーク・タイムズからも、早速、パブリックエディターが出動した。

Pick 2:パブリックエディターが、渦中の記者を糾弾

MARGARET SULLIVAN,“A Tech Column on Wearable Gadgets Draws Fire as ‘Pseudoscience’”, The New York Times(2015年3月19日)

記事が発表された翌日の3月19日、早くも、パブリックエディターであるマーガレット・サリバンの検証記事が掲載された。タイトルは「ウェアラブルについてのコラムが、エセ科学として炎上」である。

記事への主な批判のポイントは以下の3つだ。

1)信頼性を十分に評価することなく研究結果を引用した

2)専門性が疑わしい情報ソースに頼った

3)内容を的確に反映しない、大げさなタイトルを付けた

そして、問題点を細かく検証した上で、どうすれば再発が防げるかの提案までしている。

・ ビルトン記者は、サイエンスや健康分野の専門記者ではないのだから、専門記者たちのチェックを受けるべきだった。

・ ビルトン記者は、実績が豊富なコラムニストであるが、事実関係の丁寧なチェックを怠ってはならなかった。

・ 当初の記事のタイトル(「ウェアラブルはタバコと同じくらい有害なのか」)は、クリック狙いの色彩が強い。タイトルをよりやわらげるべきだった。

ちなみにサリバン記者は、ビルトン記者本人と担当編集者にも事情聴取をしている。その問答を読むかぎり、ヒルトン記者はあまり反省している様子はない。ビルトン記者は、記事の執筆後に、携帯電話を耳に付けて話すのをやめただけでなく、まもなく生まれる自身の息子を、脳が十分に発達するまでは、携帯電話に近づけないつもりだという。

数々の批判を受けて、ニューヨーク・タイムズ編集部は、3月21日には当該記事に補遺を追加。指摘されたポイントについて、率直に誤りを認め謝罪している。

今回の炎上記事で、ニューヨーク・タイムズはサイエンス業界から失笑を買ったわけだか、その後のすばやい動きによって、自身の検証能力と、真実と読者に対する誠意は示した。

日本でパブリックエディターは機能するか

こうした事例を引き合いに出して、「ニューヨーク・タイムズの精神とパブリックエディター制度に日本も学ぶべきだ」とコラムを結びたいところだが、そんなに単純な話ではない。

サラリーマンジャーナリストが中心で、「個」で勝負する気風の薄い日本では、「個」が全面に出た記事自体が少ないし、ある記者がほかの記者を糾弾する例は少ない。

しかも、転職の少ない今のメディア業界では、ほかの記者を追及する「パブリックジャーナリスト」はいかんせんやりづらいだろう(パブリックジャーナリストは記者に限定されるわけではないが)。「お前のせいで俺は恥を欠いた、出世の道が絶たれた」などといって逆恨みされそうである。

制度は魂がこもってはじめて生きるものである。私自身もまだ明確な答えは持っていないため偉そうなことは言えないが、「ジャーナリストは誰に対し、何に対して責任を追うのか」「メディア業界の雇用制度をどう変えるか」「ジャーナリストの自立心、プロフェッショナリズム、基本スキルをどう高めるか」などなど、根本的な問いをしっかり考えぬかないと、パブリックエディター制度もお飾りで終わってしまう。

日本のメディア業界には、考えるべき宿題がやまほどある。

※Weekly Briefing(メディア・コンテンツ編)は、毎週火曜日に掲載する予定です。