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私も入試改革の方向性が現在のAO入試のように「人物重視」となることについては、しっかり議論する必要があると思っています。しかし、小保方氏がAO入試の合格者だったからといって、即AO入試はダメというのはあまりにも短絡的です。AO入試の導入を先導したSFCではAO入試入学者のGPAは一般入試入学者よりも高いという報告書が出されている一方で、筑波大、九州大、一橋大、鳥取大など複数の国立大学はAO入試の廃止の方針を決定しています。どういう大学で面接による評価が功を奏し、どういう大学でそれがうまくいかなかったのか、それを踏まえて、どのようにそれを全体に適用しようとするのか。そうした検証が十分に行われ、公表された形跡がないのに、面接による人物重視が推し進められることこそ問題だと思います。教育改革の方向性について、国民が合理的に判断するための十分な科学的な検証よりも、有識者の個人的な経験に基づく見解のほうが日本の教育政策の変化を主導しているように感じられてならないのです。
 オックスフォードの学部入試に関わってましたが、矢野さんのおっしゃられる通りですね。
 統一試験はほぼ満点の生徒に対して、まずはエッセイを書かせます。ここですでに回答は三段階に分かれて、そもそも文章力の弱い受験者、硬いけど恐らく入試対策した受験者、最後にオリジナリティ溢れていて私も刺激されるような文章を書く受験者。
 もちろん、最後の受験者が高評価。で、面接では志望理由などほとんど聞かず、その場で考えないといけない設問が中心。私のエリアは経済経営だったので、ツィッターを黒字化するにはどうすればいいか?インドや中国の企業はなぜイタリアやイギリスの企業を買収しているのか?、ローマ時代の企業はどう競争していたか?とかかなり広範で漠然とした問を投げかけ、試験官と対話しながら、その対話からも成長できる人が採られます。
 まぁ、辞退者がほとんどおらず、かなりの難関なのでこんなやり方ができるのですが。。。。日本の大学でこれできるのは東大京大ぐらいでしょうか。。。。(^_^;)
大学の価値、という根本的なところ。なぜ大学に行くのか。何を求めに行くのか。欧米のトップ大学の面接とエッセイの願書ではこれが聞かれ、さらに「なぜうちなのか」ということが鋭く問われる。これに答えられる日本人が少ないというのがそもそもの問題だと思う。
中室さんが指摘するように、こうした議論はサイエンスやデータがないと、主観に基づく神学論争になってしまいます。データがすべてではないにしても、日本と世界で出来る限りの調査をし尽くしてから、改革に踏み切ってほしいですね。ビジネスと違って、教育は一度政策を誤ると、それを挽回するのに数十年かかりかねませんので。
思うに、リアルタレントを集めようと思えば、向こうから必死に受験してくる普通のちょっと賢い学生相手にして(大学が)殿様商売やってるようでは無理だと思う。海外のトップ学生って、まずとっとと飛び級して2年で高校卒業、っていうのがごろごろいるし、すごいケースだと10代前半で博士課程に入ったりする。もちろん学費などは全額無料で、大学のほうから奨学金が殺到する。また大学側も、世界に名の通った名門校でも必死に世界中回って学校説明会を開き、世界中からタレントを引き寄せようとする。AO入試があかんとか、昔より学力が落ちているとか、なんかせこく小さい話やっとるな、と。

なおAO入試の面接だが、面接担当の教官が、別に給料があがるわけでもないのに休日呼び出されてしぶしぶやっているケースも多いし、そもそも教官・面接官に、優れたタレントを見抜けるような質問をできていない人も多い。大した授業していないやる気ない教授がダラダラ適当な面接をしてるケースもある。面接官の質から何とかしたほうがいいのでは。(もちろん、素晴らしい先生・面接官もたくさんいらっしゃるのだろうが。)

何よりも、各大学の戦略(どう差別化して、どんな分野にどんな教授とカリキュラムでどんな人材を育てるのか)が無いのに、どう入試を変えるかなんて議論ができるわけない。

大学の授業カリキュラムと教員の質が社会のニーズと大いにかい離しているのに、入り口の入試だけ改革しても、片手落ち感というか、両手落ち感がある。
社会のニーズを語るなら大学生の大半の進路である「企業」目線をもっと考えるべきでは?その意味では、AOか既存の試験かの二元論で語るのは間違ってると思う。
企業として、一番、止めて欲しいのは「一度の試験一発勝負」方式。全ての仕事でぜんぶ「勝つ」ヒトなんていないんだし、やっぱ調子とかもあるだろうから、筆者も触れてる、GMATみたいな「一回、失敗しても次がある」試験の導入がまずは望ましいと思うけどな。
改革したところで大した意味はなさそうな
よくぞ言ってくれました。同意します。
私は入試等で、短時間に人物や才能が見抜けるほどの面接官ならスカウトしたいですが、そんな人物はいるはずがないのです。
私は大学で教壇に立つ仕事をしていますが、同意できる点と意義ありとする点があります。
同意できるのは、学生間での学力のバラツキの大きさとか、平均レベルが下がっているかもしれないというところ。ただこれは「ゆとり世代」の前の世代から感じていたことでもあり、「ゆとり世代」だけの課題ではないように思います。
同意できないのは、「日本人が元々持っていた強み」について。筆者が言う強みとは、いわゆる偏差値秀才につながる昔の教育のことだろうが、それは知識はあっても知恵がない教育です。そもそも「ゆとり教育」は、知識を使いこなす能力に乏しいという問題意識から生まれたものです。基礎学力の大事さは認めますが、それ以上に知識を使いこなす知恵は重要です。いわゆる「偏差値秀才」が経済学の基礎理論をさっぱり使いこなせない光景を何度となく見てきた小生には、筆者の主張には違和感を感じる部分が大きいです。
大学入試改革も大切だが、大学の在り方そのものにこそメスを入れるべきだ。採用面接で、最近は大学名より高校名の方が学力評価の指標になっていると聞く。一旦教授になってしまえば、何の競争もなく、学生を育てる気概のない教授たちこそ、もっと改革すべきだ。これは大学に限らず公立の中高の学校すべてにいえることだ。左翼ががった文部省と教育委員会こそ改革、いや解体すべきだ。