メディアのこれまで_vol4

第4回:借り物のジャーナリズムから脱却せよ

出羽守こそがメディアイノベーションを阻む諸悪の根源だ

2015/3/21
今年、日本は放送開始から90周年を迎える。その節目を記念して、NHKで「放送記念日特集 放送90年 歴史をみつめ未来を開く」(3月21日午後11時~総合テレビ)が放送される。当連載では、本番組の取材陣、出演者への取材などを通して、4日連続でメディア・ジャーナリズムのこれまでとこれからを考える。第4回目は、番組出演者の1人であるジャーナリスト・法政大学准教授の藤代裕之氏が、日本のメディア・ジャーナリズムの課題に切り込む。
第1回目:バズフィード急成長の秘密と、迎え撃つ老舗メディアの変貌
第2回目:Viceのニュースは、なぜ若者のハートをつかめるのか?
第3回目:20枚の写真で振り返る、「放送」90年のストーリー

「またアメリカの話?」

日本のメディア関係者は本当に海外事例が大好きだ。「アメリカでは」「ヨーロッパでは」と並べ立て「日本はダメだ」と嘆くのがお決まりのパターン。海外や他業界では、と何かにつけて他者を引き合いに出す人を出羽守(でわのかみ)と呼ぶが、この出羽守こそが日本のメディアとジャーナリズムのイノベーションを阻む諸悪の根源だ。

そもそもアメリカと日本は違う

本連載の構成案にも「アメリカメディア最前線」との文字があり、ため息をつきながら本稿を執筆している。

「海外でヤバイことが起きているから、日本もヤバイ」という話は何度も繰り返されてきた話だ。インターネットの利用者が増え、アメリカで新聞社が淘汰(とうた)され始めると、日本の新聞もすぐにでも倒産するかのような言説が広がった。今は、ネットフリックスや動画サービスが人気で日本のテレビが危機という具合だろうか。

確かに海外で起きたことが日本でも起きる場合もある。ソフトバンクの孫正義社長は「タイムマシン経営」を標榜(ひょうぼう)し、ネットサービスを輸入して成功した。だが、テレビや新聞に限れば、日本とアメリカの環境が根本的に異なっている。最も大きく異なるのは、業界の構造だ。

アメリカの新聞社は、ガネット、トリビューン、などのグループに属しており上場しているケースが多い。企業の売買や分割、合併も盛んに行われる。

アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスがワシントン・ポストを、投資会社バークシャー・ハサウェイ会長のウォレン・バフェットが地方紙を買っている。実はバフェットはワシントン・ポストの株を長く保有していたが、新聞事業がベゾスに切り離された後、手放している。新聞が抜けたワシントン・ポストは、教育事業やテレビ局を持つグラハム・ホールディングスと名前を変えて上場を維持している。

テレビで、日本の民放局に近いのは、3大ネットワークと呼ばれるNBC、CBS、ABC(FOXを加えて4大ネットワークと呼ぶ場合もある)だが、音楽コンテンツを制作するMTV、スポーツのESPNなどの専門チャンネルも存在する。視聴者に接しているのはケーブルテレビの場合も多い。

これらの企業は巨大なメディア・コングロマリットを形成している。タイム・ワーナー、ウォルト・ディズニー、ニューズ・コーポレーション、コムキャストなどである。
 図1_コングロマリット

メディア王のルパード・マードックが率いるニューズは、FOX、名門経済誌ウォール・ストリート・ジャーナルを、ディズニーは、テーマパークだけでなくABC、ESPNを擁する。CNNとの巨大合併で「世紀の結婚」と呼ばれたAOLは、ハフィントン・ポストやテッククランチなどのブログメディアを買収している。

このようにアメリカのメディアは、上場企業であるがゆえ、株式市場から強いプレッシャーを受ける。市場の圧力は、利益を求めてジャーナリズムを弱体化させることもあるが、M&Aや新規事業への進出といった変化を引き起こす原動力にもなる。

それに対し、日本の新聞社は非上場だ。テレビ局は上場しているが、ライブドアやTBSとの騒動を経て買収されにくい状況となった。市場の圧力を受けにくい日本のメディアはダイナミックな変化が起きにくい。こうした日米メディア界の構造の違いを無視した議論はあまり意味が無い。

風穴を開けるスマホ×ソーシャル

ただ、スマートフォン(スマホ)とソーシャルメディアの登場は日本の強固なメディア構造に風穴を開けつつある。

メディアをコンテンツ(中身)とコンテナ(パッケージ)とコンベアー(流通)に分けるという考えがある(参考:ネット時代のメディア戦略 ― 垂直統合から水平分散へ、及川卓也氏)。
 図2_垂直統合_水平分業の時代

コンテンツはメディア企業同様にダイナミックには動かない。アメリカではハリウッドとその周辺にコンテンツ産業があり、供給側の力も強い。日本では、制作会社はTV局の下請け、孫請けの下部構造に位置し、コンテンツよりも放送波というコンベアーを持つ方の力が強い。そのためネット各社も、既存メディアの機嫌を損ねればコンテンツを調達することができない。いくら海外から新たなサービスが「上陸」したところで、コンテンツとその権利が抑えられている以上は厳しい。

一方、コンテナとコンベアーは、スマホ、ソーシャルメディア、キュレーションにより変化する。ニューズピックスだけでなく、スマートニュース、THE PAGE(ザ・ページ)、弁護士ドットコムなど多様なメディアが立ち上がっている。時間軸とテクノロジーで、既存メディアのキャッチアップは遅れている状況だ。

スマホは、パソコンとは異なり、いつでもどこでも持ち歩けるようになり、ニュースやジャーナリズムを大きく変化させた。24時間365日携帯できるデバイスを持ったことで、欲しいときにすぐに情報を得たいという人々の欲望が増大した。

締め切りや既報主義(一度出した原稿は二度出さない)に縛られた既存メディアの編集方針は時代遅れとなりつつあるが、これまでのマインドを変えるのは難しい。テクノロジーはさらに大きな差となっている。優れたアプリを自社開発できる既存メディアはほとんどない。

ネット化する既存メディア

コンベアーの変化はこれまでマスメディア→読者という一方向の流れを変えた。事件事故や災害の第一報はソーシャルメディアが強い。まとめサイトなどのミドルメディアに整理される逆流が起きている。

コンテナとコンベアーの変化は、コンテンツも変えていく。つまり日本のメディアが大きく変わるとすれば、人々の生み出すコンテンツをいかに価値あるものにしていくかが重要ということになる。

むろん既存マスメディアもソーシャルとの連携を強めている。ツイッターの投稿を紹介することはもはや当たり前だ。強い伝送路と、ソーシャルの書き込みもコンテンツとして取り込むことで、マスメディアは新しい時代に適応しようとしている。

だが、安易なコンテンツ調達や、大げさな「釣りタイトル」やささいなトラブルをことさら問題にして記事にする「炎上メディア化」も進んでいる。このままでは、良質なコンテンツが失われ、ネットの言論空間は荒野になると危機感を抱くジャーナリストや編集者は多い。

英国の高級紙ガーディアンは「オープンジャーナリズム」という考えを提示している。ガーディアンが制作したプロモーションビデオには、ソーシャルメディア上で進む人々の調査を整理し、検証し、事件の裏に潜む社会問題を暴いていく様子が描かれる(プロモーション動画はこちら)。

出羽守を否定しながら「イギリスでは」と事例を紹介してしまったが、このような人々との共同作業や参加はイギリスが特別ではない。アニメの同人誌、ニコニコ動画の二次創作のように、むしろ日本でも同じような例はある。ただ、ジャーナリズム分野に関しては、そうした取り組みが不十分だ。

志の低いメディア運営者

ジャーナリズムという言葉を使うと、とたんに遠く感じられる。それは日本におけるジャーナリズムが輸入された借り物に過ぎないからだ。

初の日本語新聞は「官板バタビヤ新聞」とされるが、これはインドネシアで発行されていたオランダ語の新聞を、幕府が和訳したものだ。政党新聞が言論活動を展開した時期もあったが、規制は強まり、第二次世界大戦時に統合され、中央の情報を各地に流通させる中央集権的な構造となっている。

マスメディアは「上から目線」と批判さることが多い。人々を善導(正しい方向に教え導くこと)する言説に違和感を感じる人は、「マスメディア(特に新聞)がお上と共にあった」という歴史を踏まえれば、その理由を理解できるだろう。出羽守が好きなのも、そもそも仕組みが輸入されてきたからだ。

一方、ネットメディアは社会的責任に欠ける。コピペ、著作権侵害、誹謗中傷があふれる状況を生んでおり、それに正面から対処しようとする企業は少ない。

誹謗中傷や、ネット私刑を行うプラットフォームになったり、負の社会的影響力を持つようになったりしている現状を直視し、自分たちの社会の未来をつくるために取り組んでいるメディアがどれくらいあるのだろうか。ネットメディアの暗黒面に堕ちた志が低いメディア運営者が多く、自分たちで言論空間をつくっていくという意識が乏しい。

新しいジャーナリズムについてマスメディアもユーザーもどちらも当事者意識に欠けているのが問題だ。

日本にも変化の兆しはある

既存メディアは変化しづらい構造に苦しむ。だとしたら、マスメディアに文句を言ったり、出羽守として借り物のジャーナリズムを追い求めたりしても、無意味だろう。自ら考え、行動し、日本発でジャーナリズムのイノベーションをネットから起こしていけばいい。

ヤフーは個人の発信者支援を強化し、宮坂学社長は「いつかピュリツァー賞を」と個人の情報発信の強化を打ち出している。スマートニュースの鈴木健会長は、民主主義に貢献したいと述べている(川崎の事件での対応はやや残念であったが)。日本にも変化の兆しはある。

日本はソーシャル大国であり、教育水準も高く、ベンチャーを立ち上げる環境も整いつつある。ソーシャルメディアで発信する人々が、既にジャーナリズムに参加していると自覚することが、日本のジャーナリズムを変えていく第一歩になる。良質な記事を提供するサービスに応援コメントをしたり、購読したり、プロジェクトをクラウドファンディングで支えたり、するのでも良い。

メディア側にも変化が求められている。今は人々が補助的な役割しか果たせないが、参加が不可欠なサービスや取り組みを行うことで、相乗効果を得ることができるだろう。ユーザーとの関わり方を運営が示すことにより、ユーザーがよりジャーナリズムへの関わり方を理解し、積極的に参加する可能性が高まる。

この新しい動きの主体はメディアだけではない。社会問題の解決に取り組む企業やNPOも担い手となり得る。ジャーナリズムの裾野を広げるために、既存メディアに限らない広い対象と問題意識を持ったジャーナリズム教育も必要になるだろう。

やるべきことはたくさんある。出羽の守などやっているヒマはない。

【著者プロフィール】
藤代裕之(ふじしろ・ひろゆき)
ジャーナリスト/法政大学社会学部メディア社会学科准教授/関西大学総合情報学部特任教授。1973年徳島県生まれ。広島大学文学部哲学科卒業、立教大学21世紀社会デザイン研究科前期修了。1996年徳島新聞社に入社。社会部で司法・警察、地方部で地方自治などを取材。文化部で、中高生向け紙面のリニューアルを担当。2005年、goo(NTTレゾナント)へ。ニュースデスク、gooラボ、新サービス開発などを担当。現職では、ジャーナリズム論、ソーシャルメディア論を教える。

※本連載作成にあたり、「放送記念日特集 放送90年 歴史をみつめ未来を開く」の小澤泰山チーフ・プロデューサー、神原一光ディレクターに協力を仰いだ。
 番組ロゴ

【生放送予定】3月21日(土)

第一部 午後11:00〜11:59 NHK総合

第二部 午前 0:10〜1:00 ラジオ第1

番組HP:http://www.nhk.or.jp/kinenbi90/

放送90年。ラジオから、テレビ、そしてネットへと進化する放送の過去、現在、未来を徹底生議論。テレビの前のあなたが番組の進行を左右できる生特番。

<ゲスト>

田原総一朗(ジャーナリスト)
 テリー伊藤(演出家)
 ハリス鈴木絵美(署名サイト「Change.org」日本代表)
 速水健朗(編集者・ライター)
 藤代裕之(法政大学准教授/ジャーナリスト)
 柳澤秀夫(NHK解説委員)