解読吉田調書 (1)

【第20回】解読「吉田調書」

ファースト・リスポンダーとは何か。

2015/3/21
吉田調書は、未曾有の国家危機の中で、危機対応にあたったひとりの人間が、どのような情報から、何を考え、どのような判断を下し、どう動いたかという危機対応の追体験を可能にしてくれる。この調書は、吉田昌郎の遺言である。私たちは、そのように受け止めて、彼の肉声に耳を澄ませ、そこに潜む真実をつかみだし、そこから引き出した教訓に学ばなくてはならない。本連載では民間事故調のワーキング・グループ有志メンバーが吉田調書を解読するとともに、それを踏まえて、民間事故調報告書で明らかにした事実と分析の検証を行う。

「まず機動隊さんのものは最初に来てもらったんだけれども、余り役に立たなかったんです。それも1回で終わってしまって、引き揚げられたんです。それもくるまでにすったもんだして来て、引き揚げられて、要するに効果がなかった」

「自衛隊のものはどうでしたか」

「はっきり言って、今だから申しますと、すべて意味がなかったです。注水量的に全部入ったとして10tとか20tの世界ですから、燃料プールの表面積から考えて、全部入ったとしても意味がない」

「消防庁のものだから特にそうですが、最初はこういくんですけれども、だんだんホースの先が落ちてくるんです。落ちてきていると言っても直しに行かない」

「それは消防庁ですか」

「消防庁です。はっきり言います。ヒーローの消防庁です」(8月8、9日)

放水作業を行った警察、自衛隊、消防

危機管理の照準は、1、3、2号機の順でメルトダウンしてしまうと、各号機の使用済み燃料プールに移った。燃料プールには燃料棒がプールの中に多数並べられている。それらは炉と同じように冷却を必要とする。

4号機の使用済み燃料プールの温度は14日未明、84度に上昇した。吉田は、使用済み燃料プールの方は現場では「手に負えない」と判断し、「自衛隊の力を借りるなり何なり、何でもいいから、本店で考えてくれ」と要請した。

空だきになると、燃料が溶け出し、コンクリートと反応し、放射性物質を外にまき散らす恐れが強い。15日午前6時過ぎ、福島第一の敷地内でボンという異音が聞こえた。吉田はとっさに「使用済み燃料プールで燃料が加熱し過ぎてブレークしたのかな」と思ったと聴取で証言している(円卓に陣取った技術者の中には12日早朝、4号機の建屋の中に真っ白なもやみたいなものが見えたという情報が上がってきたとき、「4号機のプールがマズイ」と直感的に感じ、プールへの注水の方策を検討し始めた者もいた)。

経産省から官邸に常駐し、菅ら官邸政務の技術アドバイザーを務めた安井正也は「もし、燃料プールでメルトダウンが起きれば、1、2、3号機でやっている応急措置もできなくなる。それが最大の危機。そうなれば周りに人がいなくなる」ことをそのころ、何よりも恐れていた。

久木田豊・原子力安全委員長代理は、「核燃料が溶けて、さらに火災が起こってプールの底が抜けてバラバラッと燃料が落ちていく、それが最悪」とのシナリオを思い描いていた。燃料プールのうちとりわけ4号機は使用済み核燃料が1331体と数も多く、また取り出して間もないということもあって要注意とされた。

とくに、米政府は4号機の燃料プールが空だきになることを「最悪のシナリオ」と見なしていた。16日夜、日本政府担当者と東電担当者が自衛隊機による空撮映像を前に「水があるように見える」と判断した後も、4号機燃料プールのリスクを警戒し続けた。

ただ、日本政府は4号機の燃料プールに水が入っている以上、最も急を要するのは3号機の燃料プールであると判断し、そこへの放水を急ぐことにした。放水作戦の司令塔は、15日東京電力内に設置された政府・東電による統合対策本部(本部長・菅直人首相)である。

放水作業を行ったのは、警察、自衛隊、消防のファースト・リスポンダーである。ファースト・リスポンダーの間では、警察と自衛隊と消防の間でいつ、どこが、どこで燃料プールに放水作戦をするのか、をめぐって時間を浪費した。本来、最初からこの道のプロの消防に放水作業を集中させるべきだったが、消防の出番は最後になった。

吉田をはじめ緊対室の現場チームは、自衛隊の放水作戦出動を聞いたとき、「助かるなあ」と感謝した。しかし、「福島第一に来るのに自衛隊さんも機動隊さんもものすごくお時間をおかけになられ」たことによる時間のロスがあった。

ヒーロー扱いされたハイパーレスキュー隊

「やはり線量の高いところに来るのは、はっきり言ってみんな嫌なんです。特に消防庁はそうです」と吉田は聴取で振り返っている。ここで「消防庁」というのは、東京消防庁のハイパーレスキュー隊のことである。彼らは18日夕方現場に到着し、その日の夜遅く放水作業を始めた。吉田もハイパーレスキュー隊の放水には期待したようである。

ビデオ・カメラで放水作業を映し出すようにしたが、最初の放水がプールに入ったところで、吉田は拍手した。円卓の幹部たちも、それに倣って手を叩(たた)いた。しかし、じきに高圧ポンプのノズルが下がってしまい、誰の目にも水がプールにそれほど入らないことが明らかになると失望が広がった。

その上、事態が何も改善していないのに、ハイパーレスキュー隊は19日帰京し、総括隊長が記者会見を行った。この時、隊長が大粒の涙を流したこともあって、ハイパーレスキュー隊は一躍ヒーロー扱いをされることになった。

「ヒーローの消防庁です」との吉田の発言にはトゲが込められている。要するに、水を大量に、継続的にプールに入れるという点では、警察、自衛隊、消防の放水は、吉田の言葉を使えば「やみくも作戦」に過ぎなかった。ただし、ファースト・リスポンダーを敢(あ)えて弁護すれば、彼らとしてもまったく未知の放射線の世界に飛び込んで、放水作業を行ったのである。

ファースト・リスポンダーの要諦は、自らの命を守り、仲間の命を守ってこそ、人の命を救うことができる、ということである。被曝リスクを考えた場合、作業に当たって慎重の上にも慎重に臨むのは当然でもある。東電の現場が彼らの先導や案内のため屋外で待機し、そのためひどく被曝したことや「やみくも作戦」に歯ぎしりをしたことなどから、吉田はじめ東電の現場の人々が、ファースト・リスポンダーに辛口になるのは理解できないではない。

しかし、東電本店から救援でかけつけた配電作業部隊も、現場の職員の先導、案内がつかないかぎり、被曝リスク管理の点から作業できない、と強く現場に求めている。外部の支援を最大限生かすべく、先導、案内を現場が行うことは現場の責任でもある。

プールへの継続的な注水が可能になったのは、ドイツのプッツマイスター社のコンクリートポンプ車を持ち込んでからである。58メートルのアームを持ち、上からピンポイントで水を流し込むことができる。そのアームが長い首に見えるため、キリンと呼ばれることになる。

3月22日以降、4号機を皮切りに3号機、1号機とそれを使用することができたことで、燃料プール危機をかろうじて封じ込めることができた。

福島原発事故の危機管理で明らかになったことの一つは、ファースト・リスポンダー間の指揮権問題は官僚機構間の利害調整の中でも最も難しい分野であるということである。これほどの国難のさなかにあっても、政府はその問題を解決できず、燃料プール放水作戦は“そろい踏み”でそれぞれの“見せ場”をつくるパフォーマンスの色彩を帯びた。

警察は事後の検証結果で、警察による放水活動を自衛隊や東京消防庁等による放水活動の「先駆けとなった」と自画自賛している。

しかし、民間事故調の報告書は、ファースト・リスポンダーの放水作戦に一定の評価を与えつつも、警察の放水活動については「高所への大量の放水が求められる現場において、用途の全く異なる装備を用いて放水をする必要が本当にあったのだろうか」と疑問を提起し、また、消防のそれについては「連続放水の機能を持った車両を持つ消防を核とした部隊編成が検討されなかったことは、すくなからず疑問が残る」と指摘した。

政府事故調、国会事故調ともにファースト・リスポンダーの危機対応の評価は行っていない。警察、自衛隊、消防のいずれも福島原発危機対応の「検証の空白地帯」であり続けている。

※登場する人物の肩書きはすべて福島第一原発事故当時のものである(一部敬称略)。

※続きは明日掲載します。