この連載について
国産EVで自動車市場を塗り替える中国事変が世界に衝撃を与えている。その火の手はアジアにも広がり出した。米国などもEV覇権戦略にかじを切る中、ニッポンのクルマの活路はどこにあるのかを描く
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携帯電話が主流でパソコンが全盛だった時代に「やがてテレビとパソコンとタブレット端末と携帯電話は画面の大きさが違うだけのデバイスになって行く」と耳にしたことがありました。それから程なくして、NTTが独自の機能と仕様を決めて各メーカーに作らせていた携帯電話は、電話から派生した道具として優れていたにもかかわらず、ガラ携帯と呼ばれてあっという間にスマホに乗り換えられて行きました。同じ電話と呼びながら、ガラ携帯とスマホは別物です。
急激な資産デフレをきっかけに日本企業が研究開発と設備投資を絞る前、ニューヨーク・タイムズスクエアの有名な看板が日本製品で埋め尽くされ、旅先国で目に付くのは日本の電化製品ばかりという時代がありました。韓国メーカーの萌芽が見られたころですが、途上国用に機能を絞って安く作った製品を、高級な機能に拘る我が国のメーカーは「安かろう、悪かろう」と冷ややかに見ていたような気がします。途上国に出て規模と機能を獲得した韓国、中国のメーカーが日本製品を駆逐し、タイムズスクエアから日本の看板が消えるまで、それこそ僅か数年だったように感じます。自動車と双璧で日本を支えた家電メーカーは、見下していた韓国・中国に買収されるところまで落ちたのです。
エンジンの開発は難しく車体全体で技術力が高い、エンジンとEVを積むハイブリッドで世界を席巻している日本メーカーは、部品点数の少ないEVなどいつでも作れるといった話を年耳にし、日本をリードするメーカーも充電ステーションの制緩和と整備に及び腰だったことを目にすると、EVを従来の自動車の範疇内で捉え続けて来たんじゃないかという気がします。
車が自律的に判断して動く自動運転の開発が進み、海外の一部で完全自動運転タクシーが走り始めました。ところが“世界初”などとニュースが伝える日本の自動運転は、道路にガイドラインを埋め込み、信号機等と交信して走らすゴルフ―カートの延長方式のものばかりです。
途上国の充電インフラを自ら整えてまでEVの普及を目指す中国が、本国からの輸出台数で遂に日本を抜きました。自動車のコンセプトそのものが変化した時、携帯電話や電化製品で起きたことが自動車で繰り返されないか。日本経済の屋台骨であるだけに気がかりです。(・・;ウーン
そのためにはサクサク操作できるOS、ディスプレー、スピーカー、音声認識も必要です。中国の音声認識は中国語の記者会見などで使ってみて、その実力を痛感していたのですが、その技術力の高さが自動車の音声アシスタントにも応用されています。
文中の表でも少しだけ触れていますが、NIOや理想汽車の音声アシスタントは、子供がいたずらしようとしても子供の声を認識しないようにロックをしたり、「後部座席の指示を聞かないで」などと座り位置で制限する機能がついています。
新しい技術を現実に実装する中で生まれた課題を解決する技術だな、と感心してしまいました。
その機能必要?と思うような「ぶっ飛んだ進化」の挑戦と失敗で淘汰された先に、未来のクルマの標準装備になる技術が生まれると思います。
日本のクルマは…というかおそらく一般的にはカーメーカーは割と「運転性能」の技術向上に注力しがちな気がするのですが、
中国の最近のカーメーカーは、「空間の快適さ」をより追求することに重きを置いているように感じます。
詳しくは記事を読んでいただきたいのですが、動く家のような位置付けでみているんだなと。
※ちなみに、だからといって運転性能を蔑ろにしているわけではないこと、むしろとても素晴らしいことも付け加えておきたいです
ただし、運転中は人間でもっとも重要なセンサーの目とアクチュエーターの手を取られているので、使えるのは耳くらいしかありません。
将来、自動運転が進めば運転者の目と手が解放されるので、社内の価値が一気に高まるだろうなと思います。
そう考えると、「ぶっ飛び」に思える機能の中には「スタンダード」として定着していくものもあるでしょう。
先日、名古屋で親しいクルマ評論家と話す機会がありました。「ドライブする」部分での嗜好性はやがて減っていく、若しくは一部のスーパースポーツ車に限られる。多くの人はクルマを移動の道具と見るようになるだろう。
シェア化が進み、「マイカー」には別の付加価値を求める時代がもう始まっている。日本ブランドは厳しい局面を迎えるとお互い話していました。
一方でただ真似するだけでなく、そのビジネスモデルやデザインや機能を独自に変えてくるわけで、そこで独自性も出る。日本は以前から自動車メーカーはテスラのことをよく知る機会はいくらでもあったが、完コピするのに時間が掛かっている。日本企業のスピード感は大丈夫?という話だが、中国と同じ土俵で戦うのはあまり良い考えではない。競争軸をうまくずらして戦う必要がある。日本の自動車メーカーは少し数が多いので今後数社は消えてしまうかもしれない。
技術は、価値に昇華されてなんぼ。
しかし、技術自体に目が行き過ぎていないだろうか。
そもそも生活者が実現したいことはなにか?
そこに自分ならいくら払おうと思えるか?
このような素直な問いを出発点にできるか、最後まで貫くことができるか、が重要となる。
もちろん、技術はその問いへの回答を更に高めるために役立つことも多々ある。
しかし、思考の順番を間違えてはならない。
中国に学ぶべきは、まさにこのような思考そのものだろう。
EVで構造がより、ソフトウエアでマネジメントできるようになり、
体験が工夫され、かつアップデートが容易になってきていると思います。
テスラのように、そのソフトウエアで課金し続けられる企業が
サステイナブルに残っていける、ということと思います。
この変わりつつある状況に、追いつき追い越していくことは必須でしょう
(モビリティのみなさまも、少しでも関係するプレイヤーも)