【本田圭佑】本田が語るグローバル教育「ずっと俺は変人扱いされてきた」

2015/3/20
本田圭佑はサッカー選手としてACミランと日本代表でプレーする傍ら、サッカースクールを経営する「経営者」としての顔がある。2014年11月、その経営論を直撃取材で伝えたところ、大きな反響があった(本田圭佑「俺にとってサッカーは人生のウォーミングアップだ」)。今回は直撃取材第2弾として、本田が取り組む「グローバル教育」について話を聞いた。
シドニー空港で直撃取材
2015年3月19日、日本代表のハリルホジッチ新監督が、3月下旬に向けた親善試合にメンバーを発表した。
もちろん、その中に本田圭佑の名があった。
今、ACミランではチームの不振を救うことができず、思うような活躍を見せられていない。2015年に入ってからゴールも決めていない。だが、どんなに逆風にさらされても、高い目標は失っていないだろう。
約2カ月前──。
アジアカップ準々決勝で日本がUAEにPK戦で敗れた翌日、Numberの取材のために、シドニー国際空港で本田を直撃した(詳しくはNumber 871号)。
搭乗ゲート近くのビジネスラウンジの手前にさしかかり、アジアカップについての質問を終えたときだった。「ずっと訊きたいことがあった」と切り出すと、スーツ姿の本田がエスカレーターの前で足を止めた。
「グローバル教育について訊かせてほしい」
本田は経営するサッカースクール『ソルティーロ』において、グローバルな人材を育てるための「Honda’ Philosophical Education」というプロジェクトを立ち上げた。その計画はサッカーの枠にとどまらず、ビジネスパーソンや政治家の輩出も目標に掲げている。
なぜ本田はサッカーを教えるだけでなく、グローバル教育をも意識しているのか?
「1問だけ、ね」
そう切り出すと、本田は引いていたスーツケースから手を離し、自らの体験を語り始めた。
──本田くんはグローバルな人材を育てるためのプロジェクトを立ち上げたね。やはり世界を意識した教育というのは必要なんだろうか。
本田 「それは感じますよね。自分が世界に出てから、強く感じるようになりました」
──そのプロジェクトでは、選手だけでなく、サッカーを通して世界で活躍するビジネスパーソンや政治家の輩出も目的のひとつとして掲げられている。サッカーの枠にとどまっていないのはなぜ?
本田 「自分自身、日本で暮らしていたときに、『なんでこうなんやろうな』っていう疑問や不満を、結構多く抱えながら生きてきたから。海外に出て、やっぱり海外はそうじゃなかった」
──具体的に言うと?
本田 「俺が抱えていた不満って、言い換えればすごくシンプルで、純粋なものやったよな、とか。ずっと日本では、俺が変人扱いされたりとか、変な奴に見られるっていうことが、子どものときから多かった。でも、我慢ならへんことは我慢ならへんかったし、発言も自分が言いたいように発言してきた。それでもなお自分の言いたいことを100%言えているかって言ったら、暗黙でアンタッチャブルなテーマもたくさんあるしね」
──ときには発言にブレーキをかけてきたと。
本田 「でも本来はそれって、自由なんじゃないのって思って。そういう思いを抱えたまま発した言葉は、もはや自分の言葉じゃないんじゃないの、とね。誰かに操られている言葉だったら、個性もくそもない。そういうものに疑問や不満をずっと抱えてきた。だけど、海外に出たことで、自分が大きな夢を持てていることのメリットをより強く感じられた。それを日本にいる子どもたちに伝えて、もっとみんなに大きな夢をもって切磋琢磨してほしいと思っているから」
──全国に「サッカー以外の本田圭佑」がいるかもしれないから投資したいということでもある?
本田 「いやそういうことではなくて、かわいそうやな、もったいなっていう。すごい才能が眠っている可能性がいっぱいあって、でも日本では、そういう子たちが生きていく過程で変なものをいっぱい植え付けられてしまう可能性も高くて。
勝手にリミットを設定されて、不満を持つことを排除され、気がついたら『あれ? これでいいんやったっけ?』って思考に陥っている大人がたくさんいると思う。
子どものときはそうじゃなかったと思うし、みんな純粋でいろんなものに疑問を持っていて、でも経験を積み重ねて世の中を知っていくうちに、社会にもまれていくうちに、それが許されない環境で、仕事をしないといけなくなってくる。
それを変えるきっかけとして、我々はサッカースクールというものにすぎないけれども、「サッカーが上達する・プロサッカー選手を目指す・世界を目指す」ということ以前に、「自分で考える・自分で決断する能力」を伸ばす手助けをしたい。
これは生きていく上で、誰しも必要なことなんですよ。サッカーを通じて人間育成をしたいというのもあるし、大きな夢を持って生きていくことで本当に自分は良かったな、と思えることが多かったから。一石二鳥、三鳥くらいな感じでやり始めたんですよね」
ACミランに加入して1年が経ち、イタリア語も上達。会見で突然イタリア語で答えて現地メディアを驚かせたことも。(写真:アフロ)
──本田くんのような子どもはそうは多くなくて、特殊な例な気がしていたんだけども、日本には我慢している子どもがたくさんいる?
本田 「ちょっとだけ俺がみんなと違うとすれば、やっぱり我慢ならないものは我慢ならない、っていうところ。そこに闘争が生まれても、やむを得ないときは覚悟を決める。そういうところは、覚悟を決められない人とは少し違うのかもしれない」
──なるほど。
本田 「でも、考え方はおそらく一緒だと思うし、そこを大人は我慢できると言うのであれば自分自身はずっと子どもでいいと思っている。もうちょっとストレートに考えていきたい。物事に対して。捉え方としてね」
──ヨーロッパで自由にしている人たちが多いのをみて、羨ましいと感じる?
本田 「まあ、彼らは彼らで、押しつぶされている人たちはいるけどもね。でも、オランダ、ロシア、イタリアで暮らして、日本と違う文化、違うルールで育った人たちと出会って、国ごとに色があっていいよねと。
彼らは彼らで他国の色をあまり知らないから、結構一色に染まりがちなんですけど。ひとつの国の中にいろんな色があっていいと思うし、例えばアメリカ合衆国とかね、そういうところはあるのかなと思う」
──アメリカといえば、ブラジルW杯後にアメリカを訪れて、マサチューセッツ工科大学(MIT)の人に会ったとか?
本田 「よく知っているねえ(笑)」
──うわさでね。日本人の教授の人?
本田 「そうそう。Joi(伊藤穰一)さん。知り合いを通じて会わせてもらいました」
──なぜMITメディアラボ所長の伊藤穰一さんに興味を持ったの?
本田 「僕は好奇心旺盛なんですよ。具体的な細かい目的があって行ったわけじゃないんですけど。もちろんそこにはいろんなユーモア溢れるストーリーが待ち構えていたし、非常に満足の得られるものでした。まあ、その話はまた今度」
再びスーツケースに手を掛けると、本田はエスカレーターに足を乗せた。
金髪にスーツ、そしてサングラス──。子どものまま大人になったフットボーラーのグローバルな戦いは、これからも続く。