【最高裁判決】ハーバード大学、人種によって合格ラインは違かった
- 私は「黒人のふり」で大学合格した
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最高裁判事の構成はトランプ政権で、保守派6人、リベラル派3人となりましたが、本件の判断でも、保守派は全員、逆差別撤廃側にまわっています。保守派の最高裁長官によると、個人が乗り越えた苦難や培った能力・見識ではなく、肌の色で判断することは誤りだとのこと。
一方、アファーマティブアクションが始まった時代は、個人ではどうにもならない社会的属性からくる不平等をどう取り扱うかという問題意識があったと思います。
今回の最高裁判断に照らし合わせると、ハワード大学やスペルマン大学のようないわゆる黒人大学や、女子しか入学させてこなかった女子大の役割はどのようにとらえたらよいのか気になります。
また昨日の仙台育英の監督の言葉にあったように「人生は
敗者復活戦」でもあり、入学時だけでなく、卒業生が伸びる大学かどうかも大学評価の一つの視点です。
能力主義においても、社会的属性の影響はぬぐい切れない側面があります。個人の問題と決めつけずに、多面的に考察しつづけることが大事だと感じます。
コメントでこそ言及されていますが、やはりレガシー入学の問題が取り上げられていないのは惜しいですね。
能力主義という文脈でアファーマティブアクションを取り上げると確かにレガシー入学の件はオフトピになるかもしれませんが、個人的感想としては能力主義は重要ながら教育機会という問題を考える上での単なる一側面に過ぎないのかなと。
一方でコネ優遇や経済格差が故の能力が花開く以前の教育機会格差が存在するのに、そうした構造が継承される時間軸の視点無しに入試という一時点だけを取り上げて能力主義のみ論じるのも、まあ不十分ですよね。
そういう意味でもこの記事で解説する1960年代からの公民権運動の歴史という視点はこの問題を考える上でも重要だと思います。
この問題、日本では「人種」ということになると馴染みがないかもしれませんが、本質は日本にもズバリ当てはまります。
東京大学が2027年度までに約300人の女性教授と准教授を採用したり、東工大が24年春の入試から「女子枠」を新設したり。まさに人種で優遇されるポイントと本質は同じではないでしょうか。
この問題、語れば語るほど深いのですが、まず最高裁の判断の後に大学はどうなるのか。
大学は、人種ということを一つの基準に入れられなくなるので、その代替手段を考える必要があります。
例えば、「低所得層の学生をより採用できるシステムにする」「各高校の上位10%に無条件で入学を許す」など。こうすることによって黒人、ヒスパニックの人が対象になりやすくなり、結果としてマイノリティの入学が確保されるというものです。ただ、この方法がそれほど効果的でないことも明らかになっています。やはり人種を考慮した方が、ピンポイントで狙った「多様性」を実現できるということなのです。
また翻って、マイノリティを優遇する措置があるかと思えば、「恵まれた層をさらに恵まれた層に押し上げる」措置も厳然としてあります。それが、親が卒業生であれば入りやすくなるレガシー入学、親が教授・職員だった場合の家族入学、寄付をすれば入学しやすくなるなどのコネ入学です。スポーツ推薦というのもありますが、実は多くの対象になるのが白人のアスリート学生です。
そしてハーバード大学の白人の入学者のうちの43%がいずれかの優遇枠を使っているとの報告もあります。
ではいったい、マイノリティの優遇措置をことさら問題にするのはなんなんだ?という声も聞こえてきそうです…大学の中にはすでにレガシー入学を廃止したと公言する大学もあります。
多様性を実現しようという世界的な流れの中で、この措置がどのような影響を及ぼしていくのかしっかりみていきたいと思います。
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