【為末大】能力主義の世界を、君たちはどう生きるか
- 2年目の選手に、あっさり抜かれた日
- 自分は競馬の「馬」だったのか
- バレンタインも「能力主義」
- ウサイン・ボルトが「最強」でない世界
- 人生は「2つの物語」を持とう
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アスリートという厳しい世界で活躍され、その後も社会でご自身の立ち位置を固めている方だからこそ説得力のあるメッセージですね。
以下のくだりは、若い方々にとっても、また私のようなミドル以降のビジネスパーソンにとっても参考になると思います。
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個人的な意見で言えば、人生の前半は、能力主義にがっつり乗っていていいと思います。大きな夢を掲げて、力いっぱい進んでいく。時に壁にあたるのも、また人生の醍醐味と言えるでしょう。
一方、人生の途中ぐらいからは思い通りにいかなかったり、社会のさまざまな制約の中で、自分の限界を知ったりすることも増えていきます。そうしたら、能力主義を降りて、自分に合う多様な価値を探していくほうにシフトするのがいいのではないか。
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人が社会を構成する限り、他者との競争からは逃れられません。その競争の中で、能力や結果がシビアに求め続けられるのは変わらないと思います。
同時に、人間は社会的な存在です。一人では生きていけませんし、人はそれぞれ色々な役割を担いながら、社会が機能しています。
アスリートだって、そのアスリートを支えるコーチがいたり、スポンサーとして支援する企業が居たり、試合を観覧する人がいて、はじめてアスリート同士の競争というゲームが成り立ちます。
その競争に没頭し、結果を追い求めるために努力する自分がいつつ、同時に、その競争自体を俯瞰して眺めたときに自分や他社の存在をまるっとそのまま認め、感謝できることが、中庸な生き方なのかなと私も感じます。
この記事は、単なる能力主義の是非だけでなく、自己認識や価値観の多様性について考えさせられる内容となっています。
ある領域のトップを走る人は、その領域に必要な能力が最も優れた人となります。しかし、別の領域ではそうはいきません。ウサインボルトの例がありましたが、現代に短距離走という種目があって、世界がそれを認めているからウサインボルトが賞賛を浴びるわけです。短距離走が無ければ、ただ足の速い人というだけになります。
そう考えれば、自分の得意分野で新たなジャンルを作ることが出来るのが、能力を持っていない人なのかもしれません。また、足が速くなければ、運営側に回るという方法もあります。
あなたが領域を決めてしまっているだけであって、この世界では様々な形で様々な領域に関わることが出来ます。自分の価値観を見直すことで、新たな道が見えてるかもしれません。
能力主義の世界はいつか降りる意識、準備をしておいたほうがいい・・
能力主義を肯定も否定もしない為末大さんの意見が印象的です。
誰にだって人生昇り調子のときにも降りのときもある。
降りを意識していない人に、急に降りがきてしまうから病んでしまうという意見もありますが、
・あなたの実力は運である (https://newspicks.com/news/8796490/body/)
・AIにはない「人間らしい」知性とは?(https://newspicks.com/news/8758230?ref=user_5286982)
これらの記事にまとめてあるような、人は置かれた環境でどう幸福感を感じながら生きられるよう、人としての豊かさを追い求めることや、自分だけの力で成長しているのではないことを理解するのが大切なのかなと思うのです。
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