解読吉田調書 (1)

【第16回】解読「吉田調書」

必要なのは「勉強会」ではなく司令塔

2015/3/17
吉田調書は、未曾有の国家危機の中で、危機対応にあたったひとりの人間が、どのような情報から、何を考え、どのような判断を下し、どう動いたかという危機対応の追体験を可能にしてくれる。この調書は、吉田昌郎の遺言である。私たちは、そのように受け止めて、彼の肉声に耳を澄ませ、そこに潜む真実をつかみだし、そこから引き出した教訓に学ばなくてはならない。本連載では民間事故調のワーキング・グループ有志メンバーが吉田調書を解読するとともに、それを踏まえて、民間事故調報告書で明らかにした事実と分析の検証を行う。

「官邸にいる武黒(東電フェロー)から私のところに電話がありまして、(中略)要するに官邸ではまだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は停止しろという指示でした。中止しろという話しか来なかったです」

「本店は聞いているのかという話をして、高橋(フェロー)と話をして、やむを得ないというような判断をして、では止めるかと、ただし、入れたことについてどういう位置づけをするかということを、試験注入と、要するにラインが生きているか、生きていないかを確認したということにしようじゃないかということを相談の上、(中略)19時04分は、(中略)試験注入の開始という位置づけです」

「いつ再開できるんだと担保のないような指示には従えないので、私の判断でやると。ですから、円卓にいた連中には中止すると言いましたが、それの担当をしている防災班長には、ここで(中略)中止命令はするけれども、絶対に中止してはだめだという指示をして、それで本店には中止したという報告をしたということです」(7月29日)

ここは、後に海外にまで報道され、有名になった海水注入に関する吉田の「カブキ(歌舞伎)プレー」のところである。拙著『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋、2012年)からその場面のさわりを紹介する。

海水注入をめぐる意思決定過程

午後7時過ぎ、武黒は、吉田に直接、電話を入れた。武黒はいきなり、言った。

「お前、海水注入は」

「やってますよ」

武黒は仰天した。

「えっ。おいおい、やってんのか。止めろ」

「何でですか」

吉田はすでに海水注入を命じていた。ホースから出した水をホースに引っ込めるわけにはいかない。吉田がいまさら止めるわけにはいかないと言い張ると、武黒はいきり立った。

「お前、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ!」

「何言ってんですか」

これ以上、話を聞いてもムダだと思い、吉田は、電話を切った。吉田はテレビ会議で一刻も早い海水注入の必要性を訴えた。しかし、本店は慎重だった。清水(社長)は、吉田に電話し、海水注入を中止してほしいと要請した。吉田は反論した。

「もう始まっているんですよ。FAXを4時には出しているじゃないですか」

清水は言った。

「いまはまだダメなんです。政府の承認が出ていないんです。それまでは中断せざるを得ないんです」

「官邸の意向ですから、海水注入はいったん止めてください。いろいろ意見もあるでしょうが、社長としての命令です」

社長直々の要請である。

「わかりました」と吉田は神妙に答えた。

その後、吉田は宣言した。

「海水注入については官邸からのコメントがあった。一時中断する」

東電のテレビ会議に、吉田が自席を離れ、緊対室を歩きながら、注水作業の担当者に向かい何か話している姿が映った。担当者は本店側に背を向けて座っている。吉田は立ったまま、後ろから彼の耳元に何かをささやいている。

この危機の本質は、危機対応の意思決定過程の不明確さにある。海水注入をめぐる意思決定過程の不透明さに関しては、当時、オフサイトセンターにいた武藤栄・東電副社長がその戸惑いを政府事故調に打ち明けている。それもムリからぬことだ、と吉田は聴取で答えている。

「武藤は海水でいいんではないかと思っていたようなんですけれども、これをだれが決定したか、よくわからなくなっているわけですね。(中略)武藤はオフサイトセンターにいますから、官邸の意向はわからないので、官邸とご相談ですかみたいなコメントをしていると思うんですけれども、意思決定者がわからないという状況ですね」(8月9日)

官邸のマイクロマネジメント

菅直人首相の現地訪問以降、官邸は事故対応の個々の措置にまで口出しするマイクロマネジメントに乗り出した。そこにICS上の大きな問題があったことは間違いない。ただ、メルトダウンのリスクが高まり、住民避難の必要性が出てきた。なのに、東電本店が当事者能力を欠いている。

そうしたとき、官邸が本店を飛ばして現場に直接、接触しようとしたこと自体、責められるべきではない。当時、官邸で危機管理に当たった経済産業省の幹部は、次のように振り返る。

「発電所の問題は所長が一番せっぱつまっているのだけれど、住民の避難となると、やっぱり行政の方がせっぱつまることになるわけです。両方せっぱつまったところにいるんですね……。その機能を同時に成立させるには、両者の間の情報のやりとりが不可欠となる。そのメカニズムをどうつくるかをもっと詰めなければと思う。菅(直人)さんも、乗り込んでいったのは情報を知ろうとしたわけです。細野(豪志)さんが吉田さんに電話しているのも知ろうとしているわけですよ」

もっとも、吉田のカブキ・プレーはICSの観点からは問題をはらんでいる。吉田は「(海水注入は)世界初ですね」との質問に次のように答えている。

「もうこのゾーンになってくると、マニュアルもありませんから、極端なこと、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だというふうに考えておりました」(7月29日)

この考え方は、危機の対応においてはセオリーはない、との菅直人首相の考え方に近い(菅のこの発言は、2012年1月のダボス会議で福島原発事故の教訓について語った際、質疑応答に答えてのもの)。

たしかに、危機に放り込まれた場合、マニュアルもセオリーも役に立たない状況がありうるし、この時の吉田の判断もそうした「危機において許されるべき独断」として受け止めるべきかもしれない。

海水注水は、海江田万里経産相がこの日の午後5時55分、官邸に詰めた武黒一郎・東電フェローに原子炉等規制法64条第3項に基づいて指示を言い渡したものである。ただ、その直後に菅首相が首相執務室で海江田らを呼び会議を開き、「再臨界の可能性はないかどうか」を調べるよう要請、2時間後に再度集まって結論を出すことを決めた。

官邸にいた武黒が「首相の了解が得られていない」と解釈して、海水注入中止を吉田と本店に求めた。そこから騒ぎが大きくなったいきさつもある。従って、吉田は、海江田の指示に従ってやったまでと言うこともできる(もっとも、保安院が海江田の指示を文書化したのは吉田のカブキ・プレーから1時間ほど後の午後8時過ぎ)。

だから、これを吉田の「独断専行」と一概に批判するべきではないだろう。にもかかわらず、こうしたカブキ・プレーのリスクもまた十分にわきまえておくべきである。現場の所長の責任の範囲と本店の社長の責任の範囲は自ずと異なる。

現場の所長が本店の社長の指示に背いた場合、その結果が正しければ、それは“武勇談”で済ませることもできるが、逆に危機を悪化させた場合、または二次災害を引きおこした場合、それは所長が責任を負えない結果と意味合いをもたらす。

危機対応をする部署のそれぞれの権限と責任を明確にしなかったことが事故対応を複雑にし、効果を半減させた。14日夕、2号機が危機的状況に陥った時、班目春樹原子力安全委員長が突如、吉田に電話をしてきた。

「2号機のとき。あれもその一環で、班目さんは強硬に、こうすべきだみたいな話をされていて、その中でそういう電話が所長のところに、所長からすれば迷惑な話なんでしょうけれども、官邸で総理以下の指示がぽーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかったみたいですね」

「勉強会だったんですね」

「別に司令塔ではないですよということ」

「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」(11月6日)

現場は、官邸が事故対応に介入してくる以上、それは意思決定を前提にしての介入であるととらえる。ところが、官邸は司令塔の役割を果たしているのではなく、単なる「勉強会」をやっていただけだったと吉田は言い、「何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」と皮肉っている。

※登場する人物の肩書きはすべて福島第一原発事故当時のものである(一部敬称略)。

※続きは明日掲載します。