解読吉田調書 (1)

【第15回】解読「吉田調書」

「タテのガバナンス」を確立できなかった東京電力

2015/3/16
吉田調書は、未曾有の国家危機の中で、危機対応にあたったひとりの人間が、どのような情報から、何を考え、どのような判断を下し、どう動いたかという危機対応の追体験を可能にしてくれる。この調書は、吉田昌郎の遺言である。私たちは、そのように受け止めて、彼の肉声に耳を澄ませ、そこに潜む真実をつかみだし、そこから引き出した教訓に学ばなくてはならない。本連載では民間事故調のワーキング・グループ有志メンバーが吉田調書を解読するとともに、それを踏まえて、民間事故調報告書で明らかにした事実と分析の検証を行う。

「ベントなんて極端に言うと、バルブを開くだけなので、バルブ開けばできるんじゃないのというような感じなんですよ、この辺は、その後いろいろ入ってくると、AO弁(空気作動弁)がエアーがない、勿論、MO弁(電動駆動弁)は駄目だと。手動でどうなんだというと、線量が高いから入れない(中略)そんなに大変なのかという認識がやっと出来上がる、その辺がまた本店なり、東京に連絡しても、伝わらないですから、ベントの大変さみたいなものは、この時点では、早くやれ、早くやれというだけの話です。そこが本当の現場、中操という現場と、準現場の緊対室と、現場から遠く離れている本店と認識の差が歴然とできてしまっている」

「一番遠いのは官邸ですね。要するに大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから、そんなもんじゃないと」(7月22日)

「何で官邸なんだというのがまず最初です。何で官邸が直接こちらにくるんだ。本店の本部は何をしているんだ(中略)ずっとおかしいと思っていました」(8月8日)

苛立つ民主党幹部

官邸に詰めていた菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業相らは、東電側が12日午前3時すぎには、ベントを実施すると発表しながら、いつまでも動かないことに苛立っていた。

菅は、現場に自ら乗り込むことを決めた。海江田は、大臣命令でベントを実施させることにした。首相現地訪問の知らせに、吉田は、戸惑った。

「ベントするする、しないで、現場でばたばたしているときに、菅総理が来るという話があって、しょうがないなと思って、準備してくれみたいな話はしていたんですね。(中略)現場で努力しても、なかなかできていないんで、菅首相が来るから、それで遅らせてくれと言ったって、現場がもともと全然バルブが開かないという状態ですから、チャレンジしている状態ですから、まだしばらく難しいと思っていた」(8月9日)

そもそも、12日未明の時点でどの号機のベントを最初にやるかからして混乱していた。最初は2号機のベントから始めるということで準備を開始した。2号機の図面を持ち出して、どこに弁があるかを点検した。しかし、大、小ともハンドルがない。これだと手動で開けることができない。

そのうち2号機はRCICが稼働しているとの情報が入った。そこで、1号機のベントから始めることにした。1号機の図面を見ると、小弁にはハンドルがついている。ただ、バルブを手動操作で開ける対応は「想定」していなかった。吉田がとりわけ腹に据えかねたのは、現場はベントをちゅうちょしているのではないかと本店が疑っていたように見えたことだった。

「私だって、早く水を入れたくてしょうがない。そう思っているんですよ。だけれども、手順てものがありますから(中略)現場がちゅうちょしているなどと言っているやつはたたきのめしてやろうとかと思っている」(7月29日)

一方、海江田の命令に対しては、次のように述べている。

「実施命令出してできるんだったらやってみろと、極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから、現場が全然うまくいかない状況ですから」

「東京電力に対する怒りが、このベントの実施命令になったかどうかは知りませんけども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんということしかないんです」(7月22日)

弁は電動式で開くことになっているが、電気はないからこれは使えない。空気で開けるにはコンプレッサーが要るが、それがない。従って、手動で開けるしかないが、線量の高いところに作業員を繰り出さなければならない。ベントがいかに大変な作業であるかを官邸も本店も知らない。

いや、緊対室円卓でさえ中操の実情を十分にはつかんでいない。それなのに、政府も本店も、命令を出せば、それで仕事をした気になっている。吉田はそのことに心底怒りを爆発させている。根底には、危機管理のガバナンス問題が横たわっている。

技術的素養のまったくない経営者

テレビ会議の本店側の席次を見ると、ど真ん中に会長、社長、総務、企画担当の幹部が鎮座している。事故指揮システム上、中心にならなければならない復旧担当幹部は一番隅に座っている。米国の原発事業者の事故指揮システムでは、復旧担当が真ん中に座ることになっている。

ところが、福島原発事故では、清水正孝東電社長が時折、出っ張ってきて、いくつか指示を出し、時には「社長命令です」と威圧的に言い渡している。

これは、原子力災害特別措置法によって、政府は首相、事業者は社長がそれぞれ最高責任者とされているため、東電では福島事故の際、本店では社長が陣頭指揮を執るべきだという判断に基づくものと思われる。

しかし、技術的素養のまったくない経営者が経営や危機管理全般の事柄に関わることならともかく、個別的事故対応に口出しするのは極めて異例である。

例えばの話、墜落しそうな航空機にたまたまその会社の社長が搭乗していたからといって、社長が操縦桿をつかむことはありえない。しかも、清水社長は危機にいかにも不適格な経営者だった。

そもそも、3月11日の当日、彼は関西方面に夫婦で観光旅行をしていた。その日の夜、名古屋-東京間の新幹線はストップしている。名古屋から自衛隊機によって帰京しようと、防衛省に緊急輸送の要請をしたが、これは北澤俊美防衛相に拒否された。清水が本店のオペレーション・ルームに着席したのは12日午前9時を過ぎていた。

清水は心理的な「ひけめ」を背負いながら司令塔に駆け込んだのだった。東電は、官邸との関係も含めて、最後までICS、つまりは「タテのガバナンス」を確立できなかった。

※登場する人物の肩書きはすべて福島第一原発事故当時のものである(一部敬称略)。

※続きは明日掲載します。