2023/7/1

【福岡】恩師のバトン継いだ「宇宙少年」が衛星を飛ばすまで

ライター
九州大学発の宇宙ベンチャーで、現在は世界が注目する小型・軽量かつローコストのレーダー衛星を開発するQPS研究所(福岡市)。大西俊輔社長(37)は九大の学生時代から小型衛星の研究・開発に携わり、博士号を取得したのち、そのまま恩師らが創業したこの会社に入社しました。そして創業者たちの思いを引き継いで、社長に就きました。

2023年6月に人工衛星6号機の打ち上げを成功させるまでには、どんな苦労や困難があったのでしょうか。大西社長のライフヒストリーとともに、群雄割拠する世界の「衛星ビジネス」へ切り込んでいくQPS研究所の成長の歴史をひもときます。
INDEX
  • 宇宙に惹かれた少年、九大研究室へ
  • 反対の声にひるまず入社
  • 衛星市場のブルーオーシャンに着目
  • 直面した資金調達の壁
  • 失敗を乗り越え量産化へ
大西俊輔(おおにし・しゅんすけ) 1986年佐賀県生まれ、九州大学大学院工学府航空宇宙工学専攻博士課程修了。学生時代から数多くの小型人工衛星のプロジェクトで開発や打ち上げにかかわり、2013年10月にQPS研究所に入社。2014年4月に社長就任。

宇宙に惹かれた少年、九大研究室へ

佐賀で生まれ育った大西社長は、小さいころは昆虫を捕ったり、河川敷で遊んだりする元気な少年でした。最初の宇宙との出会いは小学生のころ、宇宙の図鑑を読んだことです。
「ブラックホールという何でも吸い込むものがあり、当時はまだ何かわかっていないような書かれ方でした。それを読んで、宇宙っていうのは面白いなと思って。やっぱり子どもなので恐竜も好きだったのですが、それと同じぐらい宇宙も好きになりました」
宇宙への関心とあわせて、大西少年が夢中になったのが工作です。小学校で「ペットボトルロケット教室」にたまたま参加しました。一生懸命作っても、なかなか狙い通りに飛ばない。そんな体験を味わいながら、ものづくりの楽しさや難しさ、奥の深さを知ったのです。
「ぼんやりとそのくらいからですね。『宇宙のものづくり』をしたいなと意識し始めました」
そのまま理系の道を進むなかで、航空宇宙工学が学べる九州大学に入学。入学後にふと眺めていた大学のシラバス(講義計画一覧)で、「人工衛星工学」という文字に目が留まりました。
「人工衛星が学問として存在して、学べるものなんだ、学べば自分でもつくれるんじゃないかなっていうことに気づきました。学年が上がっていくと研究室に入るのですが、小型の人工衛星の研究開発をしている研究室があったので、そこに行きたいなと思いました」
その研究室で出会ったのが、日本の人工衛星の大家である八坂哲雄特任教授(現・名誉教授)です。八坂さんは、日本電信電話公社(現・NTT)の研究機関で通信衛星の開発に長く携わり、日本の宇宙開発の最前線にいました。その先生のもとで大西社長は衛星開発のノウハウを学び、大企業との共同プロジェクトなどで実際の開発を数多く経験していきました。
学生時代の大西俊輔社長(提供:QPS研究所)
(提供:QPS研究所)

反対の声にひるまず入社

QPS研究所は、もともと2005年に八坂さんら研究者・技術者の3人がマンションの一室で立ち上げた会社です。大きな衛星開発プロジェクトをこなしてきましたが、2013年当時、70代に入っていた八坂さんたちはそろそろ店じまいを考えていました。そんななか、まだ20代だった大西社長が入社を志願します。
「先生方がQPS研究所をつくられた背景には『九州に宇宙産業を根付かせたい』という考えがありました。私も一緒で、地域の協力企業の方々との土壌をさらに発展させていきたいと思いました」
日本電信電話公社の研究機関に約20年間いた八坂さんは、九州大学の誘いを受けて1994年に工学部の教授に就任。九州各地の地場企業に協力を求め、産学協同の研究開発のネットワークを築いてきました。大西社長は、その貴重な財産を失いたくなかったのです。
恩師とのツーショット(提供:QPS研究所)
QPS研究所の創業メンバーからは、「宇宙開発であれば、うちではなく大企業に入ったほうがいい」という声もありました。そろそろ会社をたたもうと思っていたときでもあり、前途有望な若者の未来をつぶしてはいけないという“親心”からでした。しかし、大西社長の決心は変わりませんでした。
「地場企業のベテランの方々に『これからも一緒にやりたいです』という気持ちを伝えました。そして、その方々からQPS研究所の先生方の背中を押していただき、入社の許可をもらったんです」
学生時代からすでに多くの実績があった大西社長は、希望すれば大企業へ就職することもできたはずです。将来への不安はなかったのでしょうか。
「あまりなかったですね。挑戦してみた結果がどうなるか、まったくわからないところに行くのも楽しいかな、と思っていました。もし、QPS研究所がなくなることになったとしても、若い社員は私ひとりなので、その後、どこかの大学などの研究機関や企業の研究所とかにでも行って宇宙を続けられたら、と思っていました」
2014年の集合写真(提供:QPS研究所)
入社後は九大時代の先輩や後輩を含め、それまでのプロジェクトで培ったネットワークを生かし、衛星の製造請け負いや業務委託などの仕事を獲得します。「売り上げにつながる仕事」を取ってきたことが評価され、入社の半年後、2014年4月にQPS研究所の社長に就任しました。

衛星市場のブルーオーシャンに着目

ただ、受託の仕事だけではいつまでも「下請け」のままです。地域産業をさらに成長させるためには、自分たちで主体的にやっていくプロジェクトがなくてはいけない。そう考えた大西社長は、レーダー衛星の小型化に目をつけました。
「光学カメラを使った地球観測の小型衛星の分野では、アクセルスペースさんなど日本でも世界でも先行者がいました。そこに後発で入ったとしても、こちらに優位な点はないので、新しい分野の他社がまだやってないところでやろう、と。そう思っていろいろ調べたところ、小型のレーダー衛星というのが、まだぽっかりと空いている分野でした。ここがいけるんじゃないかと、開発することを思いついたのです」
現在のQPS研究所の小型レーダー衛星「QPS-SAR」(提供:QPS研究所)
文献には、小型のレーダー衛星には大きいアンテナを搭載することが必要だと書いてありました。衛星を小型化するためには大型アンテナでもコンパクトなかたちにしてロケットに搭載しなくてはなりません。そんなものが本当に開発できるのか――率直な疑問を大西社長は八坂さんにぶつけました。
「(文献を)そりゃそうだなと思いながら読んでいたんですけど、それを八坂先生に『こんなものって開発できるんですか?』と聞いたら、『できるよ』って言っていただきました。先生が言うのであれば、本当にできるんだなと思って。そこで、まずは八坂先生がざっくりとこんな感じという土台を作って、実際のものづくりは地場の企業の方々と進めました」

直面した資金調達の壁

小型レーダー衛星という、衛星市場での「ブルーオーシャン」に目をつけた大西社長。八坂さんたちの研究成果や地域企業の技術力によって、開発・製造のメドはつけました。しかし、ネックとなるのが資金です。
地元企業との開発風景(提供:QPS研究所)
資金の調達のために、大西社長はいろいろな方面に話を聞きに行きました。その行脚のなかで出会ったのが、後に副社長になる市來敏光さんです。当時、産業革新機構(現・INCJ)にいた市來さんは、自身の地元である九州に宇宙産業を根付かせたいという大西社長の思いに惹かれます。技術系ではなく経営のプロを探していた大西社長にとっても、市來さんは有望な人材でした。
「大学と地場企業のネットワークがこれほどまでに連携している地域は、日本中を見回してもほかにはありませんでした。このかけがえのない価値を絶対、日本や世界に発信したいなと思っていました。市來さんも地元が福岡です。私のそんな気持ちを伝えて共感してもらいました」
経営のプロである市來さんが2016年に入社したあと、資金調達に向けて全国を回ります。しかし、半年ほどかけて100社ほど足を運んでも手ごたえは得られませんでした。
「投資家さんに話をしても、まず皆さん小型レーダー衛星って何? というのが最初の反応です。当時は日本で宇宙産業に投資することがほとんどなかったですし、宇宙産業のなかでもレーダー衛星というのは難しい領域なので。その可能性を説明しても、なかなか刺さらないなという印象でした」
なんとか状況を打開するために、米国のシリコンバレーを訪問します。そこでの反応は、日本とはまったく違ったものでした。トップクラスのベンチャーキャピタル(VC)やITベンチャーの役員との面会が入り、中身の濃い質問がどんどん飛んできたのです。
「自分たちがやろうとしている方向性は間違っていない」――大西社長と市來さんは、失いそうになっていた自信を取り戻しました。
帰国後の2016年11月、同じ小型レーダー衛星を開発する米国のベンチャー「カペラスペース」が大型の資金調達を発表します。そのニュースが伝わり、日本の投資家からもレーダー衛星の分野に注目が集まるようになりました。そして2017年10月に産業革新機構と未来創生ファンドをリード投資家として、地場九州のVCなども含めて総額23.5億円もの資金調達に成功しました。
そこから衛星の製作に着手。2019年12月、ついに初号機「イザナギ」の打ち上げに成功したのです。
資金調達を行ってから、開発・製造を約1年間という短期間で成し遂げ、日本初の小型SAR衛星を打ち上げたということで注目を集め、QPS研究所の名前は国内外に広まりました。
インドの宇宙センターからロケットでの打ち上げ(提供:ISRO)

失敗を乗り越え量産化へ

2021年には2号機の打ち上げに成功。1号機ではデータの保存機能にトラブルがありましたが、2号機では70センチ四方のものまで判別できる高い精度で見事にデータを取得できました。
順調に成果を出してきたQPS研究所ですが、ここから宇宙開発の難しさに直面することになります。
2022年10月には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が小型ロケット「イプシロン」の打ち上げに失敗し、搭載していたQPS研究所の衛星2機(3号機、4号機)もろとも空中爆破されました。その次の5号機は米ヴァージン・オービット社と契約して2023年春に打ち上げる予定でした。しかし、同社が破産したことでこの予定も宙に浮きました。
そうした苦労を乗り越えて、2023年6月、念願の6号機の打ち上げに成功しました。これからが本格的なチャレンジの始まりです。
2号機の打ち上げはSpaceX社のファルコン9だった(提供:SpaceX社)
QPS研究所は1つの衛星だけでなく、36機の衛星で地球のまわりと取り囲み、準リアルタイムで地球を観測してデータを取得する「衛星コンステレーション(星座)」の構想を持っています。単に開発・製造するだけのものづくり企業にとどまるのではなく、宇宙産業での新たなビジネスモデルの構築を狙っています。
「私には小型レーダー衛星という、この世界であまり作られていないものを作るという考えがありました。そこからさらに複数の衛星を飛ばして準リアルタイムに地球を観測するというアイデアは、市來さんから出てきました。そこには、ざまざまな産業のビジネスモデルを見てきた知見が生かされています。これが実現できれば、新しいチャレンジであるし、世の中で必要とされるシステムになると思います」
このビジョンの達成に欠かせないのが、衛星開発に携わる地場の中小企業の技術力です。QPS研究所の衛星には、北部九州を中心とした全国25社以上の企業がかかわっています。とくに九州には21社の会社があり、まさに「オール九州」で作られた衛星といえます。この地域連合の結びつきの強さこそ、世界と戦うQPS研究所の強みとなっているのです。
※Vol.3に続く