何か不快な現実に触れた時にそれを誰かのせいにしたがる心理というのがある。誰のせいでもなければ、無理やりでも叩く対象を作り出そうとする。そうしないと安心できないからだ。それがおじさん叩きの裏にある生贄のメカニズム。 まさにカエサルが言ったように、見たくない事実を見ようもせず、認めようともしなくなると、いつしかその人の中では事実でないものが事実となる。その危険は歴史が証明している。
「さよならおっさん」を思い出しました。
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