【熟考】「テック資本主義」の世界を、私たちはどう生きるか?
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「後期資本主義」というのは主にドイツで唱えられた概念で、英語圏ではあまり知られていません(英語圏では「新自由主義」(ネオリベラリズム)の方が圧倒的によく使われます)。
「後期資本主義」は、ロシア革命でソ連ができた後も、なお発展を続ける資本主義を理解するために、マルクス主義の観点から出てきました。
革命が起きたのに、資本主義は消滅しない、という状況にあって、資本主義を批判していく概念が必要とされたのです。
「後期資本主義」批判の主な提唱者には、ナチスのゾンバルト、マルクス主義トロツキー派のマンデル、フランクフルト学派のハーバーマスらがいます。
ゾンバルトはユダヤ人が資本主義によってゲルマン人を巧みに管理していることを攻撃し、マンデルは資本主義が巧妙に発達して生きのびているが打倒しなければならないと唱え、ハーバーマスは後期資本主義では自由な市民社会と公共圏が衰退してしまうことを批判しました。
いずれも、後期資本主義は人間を巧みに管理する(自由はあるように見える、物質は豊かである、しかし可能な選択肢は限られている)、ということを問題視しています。
後期資本主義を批判する人々は、革命後の世界や自由な市民社会というものに期待しすぎていて、それが欧米に現れないことにがっかりしていました(低俗なポピュラーカルチャーと愚かな大衆ばかり増えた、という批判でもありました)。
実のところ、人間の価値が無条件に無制限に発生するような社会は、近代以前にも無かったし、ナチスもソ連もそんな世界をつくれるような代物ではありませんでした。
政治は価値をつくりだす技術ですが、限度があります。一部のインテリは、ナショナリズムや共産主義、ナチスに期待しすぎていました。
政治は分配の技術であり、経済的な価値だけではなく文化的な価値もつくりだせるし分配もできますが、無限に価値が湧いて出るわけではありません。
無限を約束できるのは宗教だけです。
自分の価値を政治に保障してもらう、というのは、全く見当違いではありませんが、一定量以上はお門違いです。
そもそも価値が無ければ生きていてはいけない訳ではなく、自分に価値がないといけないかのように錯誤させてしまった責任の一端は資本主義にあるでしょう。
しかし、資本主義に「抵抗」しても価値は生まれないので、そこにこだわるのをやめた方がいいでしょう。NewsPicksは「少し孤独なソーシャルメディア」、リプライもリツイートもない「繋がりすぎない感」がサービスの魅力、とのこと。
なるほどと頷いてしまいました。だから私に向いているのですね。10年程前に、Facebookもtwitter も辞めてしまいました。ヘビー投稿者だったslashdotからも抜けました。SNSの虚無感に耐えられなくなったのです。
NewsPicksは気が向いたら投稿して、後は気にしなくて良い。それが私に合ってます。テクノロジーと資本主義が結びついたテック資本主義。ChatGTPの登場含め、加速スピードは目をみはるものがあります。もちろん、テクノロジーの多くは私たちの生活を便利にしてくれる。ただ、それと引き換えに失っているものもあるのでは?各所で議論されているテーマではありますが、改めてお話を聞きました。
詳細は本文をご覧いただければと思いますが、テック資本主義に「飲み込まれない」手段として、iPhoneの設定を「グレースケール」にした学生がいる、という話が面白かったです。