みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.3

みなさんは「憲法学の常識」を知っていますか?

2015/2/27
「みなさんの常識は、世界の非常識」では社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景を分かりやすく解説します。※本連載はTBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

日本を代表する憲法学の大家、奥平康弘さんが2015年1月に急性心筋梗塞で亡くなりました。85歳でした。

北海道函館市生まれ。東京大学法学部出身で、1973年から88年まで東大の社会科学研究所、90年から97年まではICUで、教授を務めました。表現の自由をめぐる問題の権威として知られ、「9条の会」呼びかけ人の一人でもありました。

宮台さん、奥平さんから学ぶ「憲法学の常識」、教えて下さい!

訃報を喜ぶ頭の弱い人は恥を知れ!

僕は、奥平さんと一緒に、2002年に「憲法対論―転換期を生き抜く力」(平凡社新書)という共著を出させていただいています。これはかなり売れた本でして、今でも時々、インターネットなどで話題になっています。とてもありがたいことです。

僕と奥平さんの年齢差がちょうど30歳です。奥平さんは1929年生まれ。敗戦時には16歳で、僕の父が17歳。「少国民世代」(※)の少し上です。ちなみに僕の母が敗戦時に10歳で、僕のお師匠・小室直樹先生が7歳。「少国民世代」にあたります。

※「少国民世代」敗戦時に今の小学生にあたる年齢だった人たちを指す

従って、当たり前のことだけれど、この世代の方々の多くに現に共通しているように、「敗戦をどのように受け止めたのか」ということが、奥平さんの学者としての方向性を定めた部分が大きいのですね。

奥平さんは「8.15革命説」(※)で有名な宮沢俊義さんという憲法学者の弟子で、かつキリスト教の有名な牧師さんの息子だった鵜飼信成という憲法学者の弟子でもあられて、憲法学の泰斗から憲法学を学んだという、憲法学者でも珍しい経歴。まさに本物です。

※「8.15革命説」8月革命説とも。ポツダム宣言受託により天皇から国民に主権が移ったことを「革命」とみなし、日本国憲法は新たな主権者である国民が制定したと考える説。ただし宮台はこれを支持せず、日本国憲法は大日本帝国憲法の改正条項に基づき天皇が改正した欽定憲法だと考えるが、ここでは深入りしない。

憲法学は、日本で日が当たらないんです。刑法学とか民法学とかだと、法実務の世界があるでしょ? でも、憲法学にはないということで、日本では「机上の空論にいそしむ人たち」というイメージがあり、どんどんそうなってきた。まさに法文化の貧困です。

それどころか、奥平先生の訃報を知った頭の弱い人たちが、2ちゃんとかで「祝!」とか書いている。奥平さんが亡くなったことについて「祝!」とか書いているわけ。まあ、これは憲法学が分かっていないという以前に“感情の劣化”ですがね。恥を知れ!

近代を徹底的に学ぶこと

そんな頽落(たいらく)した現状の日本だけれど、僕たちの1950年代後半生まれの世代が若いころは、奥平さんだけじゃなくて、敗戦を正面から受けとめて、戦後日本をどうしようかと考えた大先生たちが、本当に素晴らしい法学説を、眼前で展開しておられた。

例えば、民法学の我妻榮先生。刑法学の団藤重光先生。それに奥平先生。我妻先生は世代的に無理だったけど、団藤先生や奥平先生は僕が実際に授業を聞く機会がありました。僕はそんな世代で、若い頃に「憲法学は机上の空論」みたいな話はなかったんです。

法学だけじゃない。僕のお師匠の小室直樹先生や、小室直樹先生が師事された丸山真男先生を含めて、1980年までに活躍しておられた大先生の方々には、どういうふうに戦争を受け止めたのかについて、共通のフォーマットがあったと僕は感じています。

日本の敗戦は、きっかけの一つにもなった東京大空襲(10万人死亡)や原爆(20万人死亡、後遺症除く)を含めて、むろん悲劇です。「こうして悲劇を繰り返さないために必要なこと、それは近代を徹底的に学ぶことだ」。これが共通のフォーマットです。

小室直樹先生は、天皇主義の極右で過激だったから、「今度戦争をしたときにはアメリカに絶対勝つ! そのためにはアメリカよりもアメリカを知れ!」と語っておられた。むろん岡倉天心からの弟子への訓示のモジリですが、先生は真顔で僕におっしゃった。

奥平さんはそこまではおっしゃらないけれど、考え方のフォーマットとしては、愚昧さゆえに戦争に踏み出すことがないように「アメリカを知れ!」「近代を知れ!」「そのためには憲法を知れ!」というふうに問題を立てた愛国者だと、僕は考えます。

そういうふうに、敗戦を「近代についての学び」に結びつけて受けとめたすごい先輩たちの、共通する思考フォーマットを踏まえた上で、奥平さんが築き上げた憲法学とはどんなものだったのか、奥平さんに学ぶ「憲法学の本当の常識」をお話しします。

法と道徳の関係

まず、奥平さんを理解するための前提があります。法と道徳の関係です。近代憲法は「法と道徳の分離」といって、道徳については法なんかで規定せず、市井の人々が互いに「あなたは道徳的に間違ってるよ」と言い合えばいい、という原則があります。

なのに、道徳──性道徳などが典型ですが──を法に書き込もうとする浅ましい輩だらけ。共著の『憲法対論』で分厚く議論したけど、浅ましい輩の浅ましさは、自分の思い通りに人を操縦したがる点。だったら法を頼らず自分で言え! そのための表現の自由だろ!

法は道徳じゃない。法は、殺すな、盜むなとか、車は左側通行とか、それがないと社会生活が成り立たない最低限のプラットフォームと権能付与に関わる。人によって異なる道徳的な価値観を、法に書き込むなど、多様性を旨とする近代国家じゃありえません。

それを踏まえて、奥平憲法学の核心「表現の自由」です。憲法で最も大切なのは、合衆国憲法で言えば、修正第一条「思想、表現、信仰の自由」。実際、大半の近代憲法は冒頭がこれ。奥平先生が「表現の自由」を専門にされたのは、まさに憲法の中核だから。

なぜ「表現の自由」がすべての中核か、分かりますか? 僕は「鍵のかかった箱の中の鍵」問題と呼びますが、「表現の自由」が制約されていると、どんな表現を制約されたとしても表現できなくなるので、僕たちは何が制約されたのかが分からなくなるからです。

特定機密保護法を考えましょう。先進各国にも似た法律がありますが、機密保護期間についての25年ルールや30年ルールがあって、ルールの適用除外を政治家や官僚が勝手に決められないようになっています。日本にはこれが不十分だから恐ろしいのです。

隠された文書の、所在を永久に言ってはいけないのでは、僕たちは文書の所在を知りようがありません。その結果、社会の実態、とりわけ政治や行政の実態を知らないまま、思い込みを修正されずに、政治体制やそれを支える党派を是認し、「悲劇」が訪れます。

「法やそれに基づく行政が、憲法の枠内にあるかどうか」を、人々が適切に判断できるためにも、「表現の自由」がまず第一です。さて、今「法やそれに基づく行政が、憲法の枠内にあるかどうか」と言いました。これが「憲法とは何か」に直結します。

「憲法とは何か」

実際、奥平さんの憲法学がとりわけ強調するのが「憲法とは何か」。共著の「憲法対論」でも「憲法とは何か」を分厚く語っていただきました。日本では「非常識」な人が多いので、「法律の一番偉いのが憲法だ」などと思っていますが、ありえません。

法律の名宛人は市民です。だから法律は「市民に対する命令」として機能します。対照的に、憲法の名宛人は統治権力です。だから「統治権力に対する命令」として機能します。分かりやすくいえば「市民から統治権力に対する命令」として機能するのが憲法。

歴史的に言うと、横暴な王政による「悲劇を共有」した人たちによる「統治権力はこういう枠内で作動しないと困る」という覚書が、憲法です。人々が思い出せるなら、わざわざ書かなくてもいい。だから、イギリスは立憲政治だけど、成文憲法がないんです。

関連して、憲法が法律と違うのは、統治権力が覚書の枠内にあるかどうかを絶えずチェックする営みが存在するべき点。覚書に書かれていても、チェックの営みがなければ立憲政治じゃない。書かれてなくても、チェックする営みがあれば立憲政治です。

大事なので、もう一度言うと、「統治権力に対する市民からの命令」として機能しないものは、近代憲法じゃない。では、その市民からの命令によって、市民による統治権力のコントロールが適切になされるために、一番必要なものは何でしょう?

復習ですね。「表現の自由」です。我々は情報を十分に知らなければいけません。統治権力よりも知らなければいけません。だから「表現の自由」があって、それに実質を与えるためにディクロージャー(情報公開)の必要(知る権利)もあるわけです。

さて、こういう憲法学の「常識」が分かっているかどうかを測る「ものさし」となる、実に面白いツールがあります。自民党憲法草案です。これを読んだ瞬間に爆笑できるかどうかです。この爆笑ぶりは憲法学を超えて人文社会科学系の専門家かいわいで話題です。

首相だけでなく、憲法草案の作成に関わった政治家たちが、「政府を縛る憲法は、王権時代のもの」とマジ顔で語っている。王権が非成文であれ憲法で縛られているのがイギリスの立憲君主制だけど、イギリスが王権時代かよ。大丈夫か?

東大の法学部を出て、政治家になった。場合によっては官僚を経由して、政治家になった。そんな人たちが、憲法草案の作成に関わっているのに、これまで述べてきたような憲法の「常識」つまり、立憲史と基本原則について、事実上知らない。恐るべきかな。

王権の時代、例えば近代に直近の絶対王政の時代に、統治権力つまり王が名宛人であるような、王が合意した覚書なんてあるわけねえ! 王権の「悲劇」を繰り返さないことを誓う近代社会だから、統治権力を制約する憲法があるんだよ! 小学生からやり直せ!

9条の必要性

最後にもうひとつ。奥平さんを語る上で、どうしても欠かせないのが、憲法9条の問題です。ご存じのように「9条の会」呼びかけ人の一人でした。奥平さんの議論は明確で、情緒的なものではない。きわめて合理的な観点から9条の必要性を語っておられた。

僕自身は若い時分から、「軽武装・対米従属を脱して、重武装・対米中立を目指す」という観点ゆえに「将来は9条改正をするべきだ」との一貫した立場です。むろん憲法の何たるかを弁えない政治家が跋扈(ばっこ)する今の状況では、時期尚早なのは言うまでもない。

しかし僕のような立場──小室先生や最近の小林節先生の立場ですが──の存在を熟知した上でなおも、理想論としてでなく実践論として憲法9条を前提とすべきだとする、合理主義の立場がありえます。そうした奥平先生の立場を最大限尊重したいです。

この問題を話すと大変長くなりますし、自衛隊の海外派遣などをめぐり憲法9条の問題が今後激しく動いていくことも考えられますので、今回はお預けということで、また時が来ましたら、まとめてお話しいたしましょう。

(構成:東郷正永)

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