ビジネスはJリーグを救えるか?

東南アジアでビジネスを生み出せ

Jリーグのキーマンがアジア戦略の全貌を語る

2015/2/25
サッカー日本代表が国民的なキラーコンテンツになっている一方で、Jリーグが伸び悩んでいる。地上波での中継はほとんどなく、コア層とライト層の乖離が進んでいる。だが、サッカーは世界最大のグローバルスポーツだ。潜在的に企業が投資する土壌があり、アイデア次第では大爆発する可能性もある。そのときに鍵になるのがビジネスだ。いったいビジネスはJリーグを救えるのか? Jリーグのアジア室・プロジェクトリーダー、山下修作氏へのインタビューを2回にわたって掲載する。
今年1月24日にインドネシアでペルシジャ・ジャカルタとガンバ大阪の親善試合が行なわれ、2万5千人の観客が集まった。(写真:Jリーグ提供)

今年1月24日にインドネシアでペルシジャ・ジャカルタとガンバ大阪の親善試合が行われ、2万5000人の観客が集まった(写真:Jリーグ提供)

Jリーグの命運を握るアジア戦略

Jリーグにとって「アジア戦略」は、停滞から抜け出すために最も重要なプロジェクトのひとつだ。

3年前に立ち上がったJリーグ(公益社団法人日本プロサッカーリーグ)アジア室は、すでにリーグやJクラブを活用した「ビジネスマッチング」の成功例を生み出しており、東南アジアにおける日本企業の都市開発の受注も後押ししている。たとえば一昨年7月、川崎フロンターレは東急グループのために、ベトナムで交流試合とサッカー教室を行なった。

今回は、アジア戦略のキーマンの一人である、アジア室・プロジェクトリーダーの山下修作氏に戦略の全貌を語ってもらった。山下氏はアジアを飛び回っており、まさにインタビューの際もタイから帰国したばかりだった。

2年前にベトナムで起きた札幌ブーム

──日本ではあまり報道されませんでしたが、1月24日にインドネシアで、同国の名門ペルシジャ・ジャカルタとガンバ大阪の親善試合が行われました。アウェーのガンバが4対0で圧勝しましたが、会場はかなり盛り上がったそうですね。

山下:残念ながら私はちょうどタイに行っていたのですが、インドネシアのガンバ大阪の試合には2万5千人の観客が入り盛況だったと聞いてます。映像で見たのですが、ロケット花火が飛び交ってました(笑)。インドネシアでの視聴率も良く、裏番組をしのいだそうです。

──それほど人気があるとは驚きです。

ガンバ大阪の人気、Jリーグへの注目度をあらためて感じましたね。直前の21日には、『インドネシアのベッカム』ことイルファン=バフディム選手が、コンサドーレ札幌への加入会見を行いました。札幌には2013年にベトナムの英雄レ・コン・ビン選手が在籍していました。

──ベトナムの英雄に続き、インドネシアの英雄が来たわけですね。レ・コン・ビン選手の日本挑戦はわずか1年で終わりましたが、先日会ったところ、札幌への感謝を口にしていました。

レ・コン・ビン選手がJリーグに来たことで、ベトナム人が札幌や北海道に興味を持ち、多くの旅行者が訪れました。試合を観に来るだけでなく、生まれて初めての『雪』を見たり、北海道の製品を買ってみたり。

クールジャパン系で漫画とかファッショとか打ち出しても、たとえば、日本のアニメを見たから札幌へ行こうとはならないと思うんですよ。サッカーだからこそできるんだと。

サッカーを絡めれば政財界のトップに会える

──経済誌でも「レ・コン・ビン効果」として取り上げられました。

昨年ベトナムで調査したんですけど、一番有名なJリーグのクラブはコンサドーレ札幌なんです。リーグ連覇したサンフレッチェ広島でも、最多優勝の鹿島アントラーズでもなく。

ちょうど中田英寿選手が当時セリエAだったペルージャに移籍した時の、日本人の反応に似ていますよね。中田選手がペルージャへ行くまで、ペルージャという地名をほとんどの日本人は知らなかったと思います。

現地の国営放送や新聞でも連日取り上げられ、『札幌』の知名度や好感度も上がっていきました。知名度はCMを打てば上がりますが、好感度はなかなか上がらないものなんです。驚いたのはコンサドーレ札幌のサポーターのホスピタリティ。ベトナム国旗を数千枚プリントして、スタジアムを埋め尽くしたんです。

また、サポーターの女性がYouTubeでベトナム国歌を勉強して、試合前にトランペットで独奏してくれました。国旗に国歌、レ・コン・ビン選手がそれを目の当たりにして、感動して泣きそうになりました。それがベトナムでも放送されて……。

──まさに「おもてなし」ですね。

今までのベトナムでは、そんなことがまったくなかったそうで、北海道の好感度が急上昇しました。そこで2013年11月17日、ホーチミンでジャパン・フェスティバルが開催されたので、そこでパブリックビューイングをやったんです。

FC岐阜対札幌でしたが、1000人以上の現地の方が殺到して。ハーフタイムに北海道の観光PRビデオを流しました。パンフレットも600部預かってたんですけど、あっという間になくなって。

翌日にホーチミン市内のホテルで、北海道の企業とベトナムの企業のビジネスマッチングが開かれました。北海道庁の方もいらしてましたが、過去にないくらいベトナム側の反応が良くて。話がものすごくスムースで進んでいくんです。レ・コン・ビン選手のおかげで、北海道や札幌の説明をする必要がない。

さらに好感度を持ってくれています。われらの英雄レ・コン・ビンを温かく迎えてくれた北海道の人たち、北海道の企業と何かビジネスをしたいという人が多く、話がどんどん進んでいきました。

ベトナムの勢いも感じました。「次は北海道に来てくださいよ」とか「次回は貴方の工場へ行きますよ」という会話が交わされ、もう過去に例を見ないくらい話が進んでいく。

面白いのは、東南アジアの人はみんなサッカーが大好きなので、サッカークラブのオーナーが政財界の大物である場合が多いんです。その人たちにもすぐに会えるので、ビジネスにつながりやすい。

──なるほど。東南アジアならではの事情ですね。

北海道は600万人のマーケットです。一方ベトナムは9000万人の、しかも昔と違って開かれたマーケット。そこに進出することは企業の成長にとっても重要です。

現在、日本の企業がどんどんアジアに出て行っていますが、サッカーだと人の心を近づける、人と人とをつなげる、ビジネスに役立つという展開になっているんです。

山下修作 / 1975年埼玉県生まれ。北海道大学卒業後、リクルートに入社。2004年にJリーグのプロモーションを行なう会社に転職し、2012年にJリーグアジア戦略室室長に就任した。(写真:福田俊介)

山下修作
1975年埼玉県生まれ。北海道大学卒業後、リクルートに入社。2004年にJリーグのプロモーションを行う会社に転職し、2012年にJリーグアジア戦略室室長に就任した(写真:福田俊介)

アジア進出のきっかけはリーマンショック

──ところで山下さんが、この取り組みに携わることになった経緯を教えてもらえますか。

もともとは2008年に起きたリーマンショックまでさかのぼります。サッカー界もスポンサーをとても見つけづらい環境になりました。不況になると、費用対効果が計れない広告は真っ先に切られます。

ユニフォーム・スポンサーなどがまさにそれ。ユニフォームにロゴが出たことによって、どのくらいのものが売れたのかは計れないじゃないですか。それはサッカーだけでなく、野球でも、バレーでもそうです。

そんなとき、いろんな情報を調べると、東南アジア各国の経済がいち早く回復して伸びていました。自分も旅行で行く度に勢いを感じていました。そして2009年の頃、タイでサッカーが盛り上がり始めたという情報を見聞きしたんです。成長しているアジアと一緒にビジネスをつくっていく、そうしないと日本も日本のサッカー界も、ドンドン下がっていくんじゃないかと…。

そんな頃、ふと思ったんです。Jリーグには過去20年に類を見ない急成長を遂げたノウハウがある。これを使ってアジアに対してコンサルできるんじゃないかと。

そこで、当時所属していたJリーグメディアプロモーションの新規事業提案として提出したのです。けれど、その頃の私はタイのリーグ戦すら一度も見たことがなく、まったく説得力がありませんでした。

──Jリーグの運営ノウハウを東南アジアに売り込むとは斬新ですね。確かに彼らにとってすごく参考になるかもしれません。

そのときは提案だけで終わりました。ただ、どう考えても「アジアは可能性があるんじゃないか」という、自分の中で煮えたぎるというか、沸々とする感情がありました。

そのときに、カンボジアに全国のサポーターの方からユニフォームを送ってもらい、経済的に恵まれない村の子どもたちに届ける企画に携わることができました。帰国時にタイの国内リーグの試合を観戦しました。

──どうでしたか?

「ものすごい盛り上がりで…それこそJリーグ初期の頃のような。多くの若者がユニフォームを着て街を歩いて、日本のスポンサーもたくさん看板を出していて。勢いを感じましたし、同時に至らない点もいっぱい感じました。これってJリーグがたどってきた道だし、お手伝いできることがあると思いました。

その時の写真や動画を社内で出したところ、それなら考えてみるか、となったんです。そこで2011年の4月、メディアプロモーションの中の新規事業開発プロジェクトという名前で、アジアのことをリサーチするという仕事が始まりました。

さらに調査ながされて、可能性があると社内でも理解され、2012年に社内でアジア戦略室が誕生しました。

カズも協力するアジアとの交流

──タイから帰国したばかりだそうですが、なぜタイへ行かれていたのですか。

横浜FCのキャンプに帯同していました。タイ側からキャンプをしないか、というお誘いがあったんです。タイのクラブのオーナーが、ホテルなどを経営している現地の実力者。ホテル代などもサポートしていただけるということもあり、横浜FC側としても、環境もいいし、強化にも役立ちそうだと。

また、現地でプーケットFCというクラブと試合をする際、試合用のスポンサーも付いていて、収入も増えるというのもありました。あとは、向こうのオーナーと、横浜FC側のスポンサー1社を、横浜FCがビジネスマッチングして、スポンサー企業のタイ進出をサポートしました。まだ話が決まったわけではないですが、オーナーには興味を持ってもらっています。

今年1月、プーケットFCのオーナーの招待を受け、横浜FCはタイでキャンプを行なった。(写真:Jリーグ提供)

今年1月、プーケットFCのオーナーの招待を受け、横浜FCはタイでキャンプを行った(写真:Jリーグ提供)

──キャンプもビジネスマッチングの場になるんですね。横浜FC側も、もろもろのメリットを感じてタイを選んだのでしょうね。

それともうひとつ。今後JFAとJリーグは、国際交流基金(日本の外務省が所管する独立行政法人)と組んで、アジアでサッカー教室を展開していく予定です。国際交流基金から金銭的なサポートもいただきます。

今回のキャンプは、その第一弾として、横浜FCにご協力をいただいてサッカー教室を2回やったんです。1回目が80人、2回目が120人と大盛況でした。その時にうれしかったのが、横浜FCの監督からぜひそういうことには全面的に協力すると言っていただいて、選手とコーチが全員参加してくれました。それこそ、カズさん(三浦知良選手・横浜FC)も。

──えっ、カズさんが!?

ホントにありがたかったです。カズさんはタイでもレジェンド選手ですから。子どもたちにとって、外国のプロサッカー選手を目の前で見て、一緒に練習するなんて、一生の思い出でしょう。横浜FCという名前も忘れません。いろんな要素がある中で、横浜FCはタイへキャンプに行ったのです。

(後編に続く)

*本連載は毎週水曜日に掲載する予定です。