落ちこぼれアスリートの逆襲

連載第4回・元Jリーガーの逆襲

優勝目前で練習に遅刻。痛恨のミスで飛躍を逃した

2015/2/23
薮崎真哉は高校時代に日本一を経験して、将来を期待されたMFだった。だが柏レイソルでは6年間で2試合しか出場できず、24歳のときに戦力外になってしまう。人生のどん底だ。しかし営業の仕事に出会ったことで、そこから逆襲のストーリーが始まる。今では従業員40人を抱える経営者だ。連載第4回となる今回は、Jリーガー時代を振り返る。
第1回:戦力外通告から社長にのし上がった男
第2回:1日を試合に見立て、営業の勝者になった
第3回:試合前日に六本木でナンパ。遊びにも熱中した高校時代の教訓
薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

アルゼンチン留学も無駄に

1997年、薮崎真哉は柏レイソルに入団したが、18歳のMFはチームの戦力にはなれず、同期の北嶋秀朗が活躍するのを横目にプロの壁にぶつかっていた。ベンチにすら入れず、練習に打ち込むことができない。

だが、夜の世界であれば、現役Jリーガーという肩書きだけでプレミア感が出る。それが若者の優先順位を狂わせた。薮崎は“いい車に乗って、きれいな女性と遊ぶ”という楽しさに身を委ねていった。

薮崎は苦い表情で過去と向き合った。

「遊びたかったんでしょうね。はっきり言って、プロ失格でした」

日立製作所を親会社に持つレイソルは、若手育成のために投資を惜しまないクラブだ。薮崎はプロ2年目に、アルゼンチンのヒムナシアに1年間留学するチャンスが与えられた。

しかし、遊びたい盛りの若者にとって、武者修行は苦痛でしかなかった。

「アルゼンチンに1年間行きましたが、頑張らない自分、悪い自分、寂しい自分…まったくいい思い出がない。努力もしていなかった」

4年目についにデビュー

もちろんプロでの成功を完全に諦めていたわけではない。

サッカー選手の薮崎にとって、秋は最も憂鬱(ゆううつ)な季節だった。来季の契約をどうするか、クラブと話し合いを行う時期だからだ。

その危機感が、わずかに残っていた心の火にガソリンを注いだ。

4年目の夏、薮崎は初心を取り戻す。

「今年こそ絶対にクビになると思ったんです。もうこうなったら開き直って、ラスト半年間のプロ生活を死ぬ気でサッカーに打ち込んで、1日1日一生懸命やろうと。そうしたらどんどんプレーが良くなって、初めて試合に出ることができました」

クビ確定と言われていたヤツが、いきなり全力でサッカーと向かい始めた――。その執念はすぐに西野朗監督(現名古屋グランパス監督)に届いた。優勝争いが佳境を迎えた大切な時期にベンチ入りが許され、プロデビューを果たした。ついにチームの戦力のひとりになったのだ。

遅刻で監督から干された

ところが、薮崎はここであまりにも幼いミスを犯してしまう。

練習時間を間違えて、遅刻してしまったのだ。

薮崎はうなるように振り返った。

「当時レイソルは強くて、セカンドステージの優勝争いの真っただ中にいました。最終節は鹿島アントラーズとの試合だったんですが、勝った方が優勝するという大一番になりました。僕はその2試合前くらいにデビューしていたので、自分も何かやってやろうと意気込んでいた。なのに、僕は鹿島戦の3日前の練習で遅刻してしまったんです」

いったいなぜキャリアの大一番で、初歩的なミスを犯してしまったのか?

「寝坊ではないんです。練習時間はホワイトボードに書いてあるのですが、純粋にそれを見間違えました。緊張感もあったのに、自分自身でも理由がわかりません…」

ミスの代償はあまりにも大きかった。薮崎は鹿島戦でベンチ外になった。

「優勝目前でみんなピリピリしているのに、遅刻はないじゃないですか。翌シーズンも3、4カ月、干されました。自分のプロ人生にとって、あれが悪い意味でターニングポイントになってしまったと思います」

プロ4年目でデビューは果たしたものの、続く5年目はただチームにいるだけだった。そして6年目、24歳のときについに戦力外通告を突きつけられた。

「お金がなくて良かった」

もしあのとき遅刻していなければ――。薮崎は現役時代に何度も自問自答した。後悔してもし切れない、人生を狂わせる大失態だ。

だが、社長になった今では、もうひとつの見方をできるようになっている。

「あの失敗があったから今がある。あそこで試合にちょっと出て、中途半端なJリーガーになっていたら、引退したときに、1000万円でも貯金があったら、もしかしたらそのプライドと貯金に頼って、隠れるように生活をしていたかも知れません。だから思うんです。あの遅刻には意味があった、引退したときにお金がなくて良かった、と」

持たざる者の逆襲は、こうして始まった。

(次回に続く)

※本連載は毎週月曜日に掲載する予定です。