日本テニスレボリューション (1)

最高のパフォーマンスを発揮するために必要なこと

私と錦織圭をつないだ不思議な縁

2015/2/21
プロテニスプレイヤーの錦織圭は昨年、日本人として史上初の4大大会決勝に進出し、年間最終ランキングを5位とする快挙を成し遂げた。本連載では、錦織圭の留学時代の元トレーナーで、現マリア・シャラポワのトレーナーである中村豊氏にプロテニス界の現状、スポーツ教育、トレーナーの視点を生かした食生活や健康管理などについて聞く。1回目はテニスのトレーナーという仕事について取り上げる。錦織圭が最高のパフォーマンスを発揮するために、中村氏が日々している健康管理とは?

土台をしっかりさせないと、パフォーマンスの向上は望めない

——プロテニスのトレーナーという職業について聞かせてください。

中村:主に選手の日々の体調管理と、コート上でのパフォーマンス向上のサポートをしています。そのために基本となることは、日々の健康を保つことです。

自身の最高のパフォーマンスをピラミッドの頂点とすれば、その真ん中にあたるのは普段のパフォーマンスで、その土台には健康維持や私生活の過ごし方があります。土台をしっかりさせないと、パフォーマンスの向上は望めません。

だから、日々の生活習慣や食生活、ルーティンの作り方が大事になります。そのような基礎的な点も選手にたくさん指導しています。

——では、トレーナーとして、大会や試合の時には何をしているのですか?

中村:テニスは大会によって、会場の雰囲気や宿泊施設、ジムもそれぞれ違います。だからトレーナーは、選手が大会に集中しやすい環境を整えます。

テニスというのは、試合の日程や時間が日によってバラバラです。前日午前中に試合をしたとしても、翌日の試合が夜になるかもしれません。スケジュールが日々変わり、流動的なので他のコーチと連絡を取りながらストレッチやトレーニングのメニューを決めています。

中村豊(なかむら・ゆたか)アスリート形成をモットーに、主要3項目(トレーニング、栄養、リカバリー)から成るフィジカルプロジェクトを提唱している。米国フロリダ州をベースに活動し、海外で幅広いネットワークを持つフィジカルトレーナー。米チャップマン大学卒業、(スポーツサイエンス専攻)。2001年、米沢徹の推薦でIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて盛田正明テニスファウンド(MMTF)へトレーナーとして参加、錦織圭を担当する。2005年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーのトレーニングディレクターに就任。フィジカルトレーニングの総括、300名のフルタイムの生徒、IMG ELITE(IMG契約選手)、マリア・シャラポワ、マリー・ピエルス、トミー・ハース、錦織圭等を担当する。現在はシャラポワのフィジカルトレーナーとして活動。そして今季から女子ゴルファーのジェシカコルダのフィジカルプロジェクトをスタートさせている。アスリートとしてのフィジカル/身体能力向上を主にプログラムを作成し遂行。公式サイト:yutakanakamura.com

中村豊(なかむら・ゆたか)
アスリート形成をモットーに、主要3項目(トレーニング、栄養、リカバリー)から成るフィジカルプロジェクトを提唱している。米国フロリダ州をベースに活動し、海外で幅広いネットワークを持つフィジカルトレーナー。米チャップマン大学卒業、(スポーツサイエンス専攻)。2001年、米沢徹の推薦でIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて盛田正明テニスファウンド(MMTF)へトレーナーとして参加、錦織圭を担当する。2005年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーのトレーニングディレクターに就任。フィジカルトレーニングの総括、300名のフルタイムの生徒、IMG ELITE(IMG契約選手)、マリア・シャラポワ、マリー・ピエルス、トミー・ハース、錦織圭等を担当する。現在はシャラポワのフィジカルトレーナーとして活動。そして今季から女子ゴルファーのジェシカコルダのフィジカルプロジェクトをスタートさせている。アスリートとしてのフィジカル/身体能力向上を主にプログラムを作成し遂行。
公式サイト:yutakanakamura.com

プロテニスに関わる仕事がしたい

——まさに選手の裏方的役割なのですね。そもそもなぜ中村さんはプロテニスのトレーナーを目指そうと思ったのですか?

中村:私がテニスを始めたのは中学1年のときです。姉がテニスをやっていたので、その影響です。部活に入ってやっていましたが、同時に民間のテニスクラブにも通っていました。実はテニスを始める前は野球をやっていたのですが、テニスの方が国際的なスポーツだなと思い、そんなところからどんどんのめり込んでいきました。

高校は神奈川県の桐光学園に進学し、同県の有名なテニススクールである湘南スポーツセンターにも同時に通いました。湘南スポーツセンターではテニスを徹底的に教えてもらいました。コーチ陣に「アメリカに行きたい」と話したところ、松岡修造さんが以前トレーニングをされていたサドルブルグ(当時ハリー・ホップマン)というテニスアカデミーがフロリダにあると紹介してくれました。

高校卒業後、そのサドルブルグにテニス留学をしました。1年間の留学が終わる頃、自分の今後の進路について真剣に考えました。

自分はプロテニスの選手を目指せるようなレベルではない。でも、プロテニスに関わる仕事がしたい。テニスコーチという選択肢もありますが、それ以外に何があるかなと探していて、アカデミーで出会ったフィジカルトレーナーが思い浮かびました。トレーナーはリーダーシップがあって選手に対して影響力が強い。自分もそのような人になりたいと考えるようになりました。

そんな理想像があったので、大学はカリフォルニアにあるチャップマンという大学に進学し、運動生理学やスポーツ医学を学んで、トレーナーの資格を取りました。卒業してからはずっとアメリカで生活しています。

カプリアティとの出会いと盛田ファンドとの縁

——卒業後は、どのようなキャリアを歩まれたのですか?

中村:かつて所属していたテニスアカデミーのサドルブルグに戻ってカプリアティなど一流選手のトレーナーを務めました。当時のカプリアティと、トレーナーとして大会を回れたのは運が良かったです。

3年半いて、そこから一回独立をしたのですが、その後盛田ファンドの支援のもと、IMGニック・ボロテリー・テニス・アカデミー(以下、IMGアカデミー)で錦織圭など日本の有望なジュニアを何人か育成しようとしているというプロジェクトを耳にしました。トレーナーを探しているとのことで、「もし興味があればどうでしょう?」と声が掛かり、参加することにしました。

(編集部注:盛田ファンドとはソニー創業者盛田昭夫氏の実弟であり、要職も歴任した盛田正明氏が、世界のトップレベルのテニス選手をつくるチャレンジをしたいという発想から私財を投じてつくったファンド。10代前半の選手を発掘し、これまで19名を米国フロリダ州のIMGアカデミーに送り出してきた。同アカデミーはアンドレ・アガシやマリア・シャラポワを輩出してきた超名門)

——カプリアティはかつて「天才少女」と呼ばれたものの、私生活でトラブルが重なり、ランキングを大きく落として「もう終わった選手」と見られていました。中村さんと回っていたのはその時期ですか?

中村:そうですね。「フィジカル的に必要なものをヘルプしてほしい」と言われ、カプリアティが24、25歳の時に一緒に回っていました。ちょうど彼女がカムバックをし、全豪オープン、全仏オープンに優勝した時です。

——多くのテニスファンが驚きました。アドバイスによってカプリアティは大きく変わったのでしょうか?

中村:それはもう激変しましたね。全仏オープンはクレーコートで運動量が求められるのですが、その大会で優勝できた。そのくらい動きがよくなったし、何よりテニスに打ち込む意識が高くなりました。今から15年ほど前のことですが、ちょうどそのころからテニス界にも「運動生理学」の考え方が取り入れられるようになってきたと思います。私のアドバイスによって、カプリアティはそれをいち早く実践したひとりでした。

(編集部注:クレーコートとは土でできたコート。4大大会では全仏オープンがこのクレーコートを使用している。球足が遅いためラリーが続きやすく、ロングラリーが得意な運動量のある選手に有利なコートと言われる)

——その後、錦織圭と出会ってIMGでのキャリアがスタートするわけですね。

中村:私がサドルブルグにいた当時、櫻井隼人さんというテニスコーチもいらっしゃいました。櫻井さんは海外遠征に来るジュニアの受け入れを担当していたのですが、その中に当時11歳くらいの錦織圭がいました。そこで初めて錦織圭を櫻井さんに紹介してもらったのですが、「将来、彼と一緒に仕事ができるといいね」と話していました。

それから2、3年後に櫻井さんと、盛田ファンドのコーチ兼監督である米沢徹さんから正式にお話をもらいました。米沢さんとは湘南スポーツセンター時代から面識があったのです。こう考えるとちょっと不思議な気がしますが、本当に人の縁ですよね。そこからどんどんと話が進んでいきました。(次回に続く)

※本連載は毎週土曜日に掲載します。次回は、錦織圭のトレーナーとなった中村氏の活動と、現在の錦織圭をどう見ているかを聞きます。

(聞き手:上田裕、写真提供:中村豊)