「子どもの声は“騒音”ではない」法律で定めることも視野に政府検討 社会の意識は変えられるのか
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ロサンゼルス市条例53.04.010条「騒音による迷惑行為」では「騒音」を下記のように定義しています。
「騒音」とは、他人の快適さ、安らぎ、健康、平和もしくは安全を害し、または合法的な目的での財産の利用を妨害する音を意味します。
今は大人でも、誰もが皆、子供であった事を考えると、一般的には子供が出す音は騒音にはなりえないのではないでしょうか?
このような事が国会で議論されなければならない事は、対外的にとても残念なことではないかと懸念をする声も多いのではないでしょうか。
注目のコメント
記事内に触れられていますが、ドイツは法制度として騒音の定義から子供を除外する立法措置を取りました。ここ10年くらいの出来事です。理由は、日本以上に子供の「声」に対する騒音の訴訟があったため。
この法律が定められてから、明らかにドイツ世論は変わっていったと別の報道で知りました。
日本も公園や保育施設の近隣住民から、騒音に対する損害賠償請求や差止請求がなされており、中には自治体の自主的な判断で施設を閉鎖したりするところも出ています。
子供を共同体がどう包摂していくかを考えなければ、子を持つことへの安心感も醸成されません。泣き、大きな声で遊ぶことが仕事の子どもたちがすくすくと育てる環境を自分たちで作っていきましょう。法律にする必要あるのか、という気もしますがこういう「公式見解」が出ることは大事かもですね
子供が通う創立90年の公立の小学校でも、近所に住むハードクレーマーのおばあさんがいて、校庭でマイク使うことや、土日に校庭でイベントがあるたびにクレームをつけてくるので、話しても理屈は通じないので学校側がめんどくなり、実施にいろんな制限がついてしまうことになります
あなたが住む前から学校はありましたよ、と思うものの結局クレームしたもん勝ちみたいな状態になってます
法律できてこういう人が少しでも減り、学校側も胸をはって抗弁できるようになると良いと感じます子どもが大人たちに気を遣って自分を押さえつける社会を望んでいるでしょうか。その社会の末に希望はあるのか。
今必要なのは法整備だけではなくどんな社会にしたいのかという願いをもとにした対話。
大人たちの余裕のなさが声なき子どもたちの生活にまで影響を与えてはならないと思っています。
きっと本質は騒音の話ではない。許せなくなってしまっている理由である背景に目を向けましょう。
国や自治体、幼稚園などが解決すべき問題だ!ではありません。子どもたちの未来に一人ひとりが当事者として責任をもつことが大切だと思っています。