【基礎から解説】なぜ今、スーダンで「紛争」が起きているのか
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なぜスーダンで内戦が起きているか、は、単純に説明するのはむずかしいですね。
実際に単純ではないので。
確実にいえるのは、このスーダンと呼ばれる土地で、紛争が途絶えたことはない、ということです。
1956年の独立以降も内戦が途絶えたことはないし、その前の英国統治時代(1899~1856)も、それ以前も、紛争が途絶えた時期はありません。
スーダンの紛争の歴史の1つの基調は、7世紀にエジプト征服したイスラーム勢力がスーダンへと南下し、それに抵抗する先住のキリスト教徒が南方へ追いやられていった、ということです。
イスラーム勢力の南下とそれに抵抗するキリスト教勢力、という構図は、エチオピアでも見られますが、スーダンの場合、キリスト教徒が多数の最南部は、2011年に「南スーダン」として独立しました。
2003年以降のダルフール紛争というのも、北方の「アラブ人」が南部の「黒人」を迫害して、入植などを進めてきた、という歴史的運動の延長上にあります。
外から見ると奇妙なことですが、北の方のスーダン人は自分たちは「アラブ人」だと思っていて、南部の「黒人」の「文明化」(実質的には植民地化や土地の略奪)を進めるのは当然のことだと考えていて、疑いもしません。
今回の内戦の当事者である、スーダン国軍 vs. 緊急支援隊(RSF)は、何が違うのかという、どちらも民主主義者などではないし、略奪や拉致みたいなことを生業にしている連中ではあります。
ただ、スーダン国軍の方は、自分たちを「アラブ人」と信じている北の方で強く、したがってエジプトに親近感を持っています。
緊急支援隊は、南部、特に南西部のダルフール地方で盤石の地盤を持っています。別に「黒人」呼ばわりされてきた南部の人々の味方、ということはなく、土地を略奪して北の方から入植してきたスーダン人たちが支持者の中心、という方がより正確でしょうが。
スーダンでは紛争が続く条件はいくつもそろっていますが、今回規模が大きくなったのは、経済的な困窮が最大の要因でしょう。年間150~350%くらいのインフレが続き、外貨はもうありません。
石油資源の80%があった南スーダンは分離独立しました。
スーダンの軍閥というのは、一族郎党の子分を食わしてやるのが第一の責務なので、限られたリソースを2大軍閥が潰し合ってどちらかが奪うしかありません。昨日の夜は、ポートスーダンに向かう自衛隊のC-2輸送機の位置情報が一瞬「Flight Radar」に表示されたので、食い入るように見ていました。紛争地帯に自衛隊機を着陸させ、そこから邦人を連れ帰るというのは、すさまじいリスクのある歴史的なミッションです。襲撃だけはされないでほしい…。
この記事では、日本のみならず、各国の退避作戦がどうなっているか。また、そもそもこの紛争は何のために始まったのかや今後どうなっていくかをわかりやすい形式で解説しています。ご一読いただけましたら幸いです。
(ところで、今回紛争を起こしているスーダンの「RSF」はかつて独裁者バシールが軍にクーデターを起こさせないために、いわば軍の対立軸として重宝した組織の一面も持つそうです。この構造そのものはイランのイスラム革命防衛隊とイラン共和国軍の関係に似てると感じました)日本人にはあまり馴染みのないスーダンの紛争の背景や今回の危機に際しての各国の対応について分かりやすくまとめられており感謝です。
「邦人がハルツームを出てポートスーダンに陸路で向かっている」という報道や、「ポートスーダンへの途中で攻撃を受けた外国の車列がある」といった報道が出るたびに、邦人の方々は大丈夫か?と過去数日間気が気ではありませんでした。
危険の伴うポートスーダンに自衛隊機を飛ばすということは、ダナさんご指摘の通り「歴史的なミッション」だったと思いますし、その決断を政府が迅速に下したことも、「よくやった!」と密かに拍手を送っています。(ただ個人的にはもう少し早くお願いしたかったところですが)。
今回の退避作戦の経験は、外務省にとっても自衛隊にとっても非常に貴重なものですので、今回の作戦の教訓を組織的な経験値として残して次に活かして欲しいと思います。