私大入試、記述式4割のみ 22年春入学、文科省調査
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記述式は採点に掛かるコストが莫大です。
中学や高校の学力テストならともかく、数千人、数万人単位の生徒が受験する大学入試の採点は容易ではありません。
人の手で採点するならミスも発生しますし、論文形式なら採点する人間によって正誤の基準や部分点の有無もブレが生じるでしょう。
国公立ならともかく私立なんて所詮「ビジネス」ですから、受験についてはある程度の水準でいいかと思います。
注目のコメント
記述式がないと学力がしっかりと見極められない、という先入観も、いかがなものかと思う。
コロナ禍で、大学の期末試験をオンラインでせざるを得なくなった際、オンラインでもいかにして学習達成度を見極められるか、私なりに深く考えた。選択式でも「この中から1つ選べ」と問うとまぐれ当たりがあってよくないが、「この中から正しいものを漏れなくすべて選べ(部分点なし)」とすると、過不足なく選べる学力がないと正解とならないから、学習達成度が結構うまく見極められる。記述式で、内容がざっくり当たって入れば得点、というよりもこの方がよほどよいきがする。「記述」か「選択」か、というのは「形式」についての議論であり、「内容」についての議論とは異なります。
形式をどうするかが論点ではなく、内容をどうするかということが順序として先にあるべきだと思います。>私立大の記述式を内容別(複数回答)で見ると、「短答式・穴埋め式」が34.9%で最多。「短文の回答」は17.8%、「長文・小論文」は8.3%だった。
この実態を見ると、記述させたところで、結局は思考力等を問うているわけではなく、知っているかどうかの知識を見ているということろが割合としては多く、記述式である意味があるのかどうか、という論点が立ちますね。
一方で、そもそもペーパーテストは今度どの程度必要なのかは、このAIの進歩の速さと同時に検討しても良いのではないかと思います。結局のところ、大学として、重要な3ポリシーをこのままで良いのか、という議論無しには、入試は語れません。入試は学生獲得のいち手段でしかないわけで、重要なのはそもそも大学の中身です。どのような知識・能力を持つ人材を獲得するのか、というアドミッションポリシー次第ですが、それは、どのような学びを提供するのかというカリキュラムポリシーに紐づくわけで、それはもはや今の世の中の変化の速さに対応する学びになっている大学がどれくらいあるのか、という疑問も湧きますし、そもそも全ての立脚点となる、大学としてどのような人材を輩出するのか、というディプロマポリシーがすでに社会の変化に適応できていない大学も多いかと思います。
記述云々の入試の枝葉に注目する以前に、大学は何の場所なのか、という大学の根源的な価値を改めて問わない限り、小手先の入試で何かを変えたところで、社会には微々たる変化も起こせないのではないかと個人的には考えています。