落ちこぼれアスリートの逆襲

連載第3回・元Jリーガーの逆襲

試合前日に六本木でナンパ。遊びにも熱中した高校時代の教訓

2015/2/16
薮崎真哉は高校時代に日本一を経験して、将来を期待されたMFだった。だが柏レイソルでは6年間で2試合しか出場できず、24歳のときに戦力外になってしまう。人生のどん底だ。しかし営業の仕事に出会ったことで、そこから逆襲のストーリーが始まる。今では従業員40人を抱える経営者だ。連載第3回となる今回は、サッカーと遊びにとことん打ち込んだ高校時代を振り返る。
第1回:戦力外通告から社長にのし上がった男
第2回:1日を試合に見立て、営業の勝者になった
薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

高2のときに日本一に

すでに中学生のときに、薮崎真哉はプロサッカー選手になることを強く意識していた。千葉市選抜に選ばれ、さらに名門・習志野高校へ合格したからだ。

ただし、習志野高校には「県選抜」や「関東選抜」というワンランク上のエリートが集まってくる。「市選抜」という肩書きは、ヒエラルキーの中流にすぎない。

だから入学までの半年間、薮崎はサッカーに打ち込むことにした。ひとりで自主練を繰り返し、テクニックを磨いたのだ。

「ゲームセンターにも行かず、生まれて初めてというくらい練習に明け暮れました。すると高校に入ったら、新入部員60人中、僕が一番うまくて。『あ、努力ってすごい』と思った。その財産で2年生の途中からレギュラーになって、3年生が強かったこともあって、インターハイで優勝することができました」

放課後にセンター街に繰り出してナンパ

日本一になった高校生が、モテないわけがない。

ピッチ外の誘惑が増え始めると、元々熱中しやすい性格もあって、遊びにも全力を尽くすようになった。

「その頃から僕、遊び始めてしまって。習志野高校のサッカー部は、厳しくて月曜日の放課後しか休みがないんですね。だから月曜日は私服を持って登校して、放課後にみんなで着替えて約1時間かけて渋谷に行く。で、センター街でナンパして、次の日の朝に帰る。今考えれば無茶苦茶でしたね」

ときには金曜日の夜に六本木のクラブに繰り出し、徹夜で試合会場に向かったこともあった。

「もちろん朝帰りをすることはまれですよ。ただ、ひとつ覚えているのは、習志野高校とジェフ市原(当時ジェフ千葉)の2軍との試合のとき、朝帰りしてしまったんです。仮にも自分はプロサッカー選手になることが目標ですよ、罪悪感の塊じゃないですか。この試合だけは持てる力をすべて出さなきゃと思って死ぬ気で臨みました。寝不足で地面がぐらぐらして見えるんですが、不思議なものでそういうときっていいプレーができて。そんなのはたまたまで何回も続かないでしょうけど、自分でも驚くほどのプレーができました」

先生へのアピールではなく、プロになるための練習をした

日焼けサロンに通い、女子たちと食事にも行く。監督に怒られて、坊主にさせられたこともあった。千葉県の国体選抜は習志野高校と市立船橋高校で占められていたが、薮崎は「生意気だから」という理由で選ばれなかった。

だが、それがさらにプロを目指すエクストラの原動力になった。

「死ぬ気で遊んだ分、死ぬ気で練習するというのが僕の考えでした。サッカー部の中には夜遅くまで練習して、プロを目指すと言っている同級生もいたけど、彼らは先生へのアピールをしているだけで、努力している自分に酔っているように見えた。僕はプロになるためだけに努力をしようと思っていました。逆に言えばプロになれなかったら、この努力の意味はなくなるって思っていました」

勝者になったのは薮崎だった。

習志野高校の同級生の中で、J1のクラブに入団できたのは薮崎のみ。他にはJ2に1人入っただけだった。

しかし、プロという目標を果たしたことで、練習と遊びという薮崎を支えていた両輪のバランスが突然崩れてしまう。

「プロになれたんですけど、なった瞬間からそれがゴールという感じになってしまった。今振り返ると、プロに6年間いれたことが不思議でしょうがないくらいです」

薮崎はプロの世界でどん底を味わう。

(次回に続く)

※本連載は毎週月曜日に掲載する予定です。