なぜ「中高は公立で十分」と言いづらくなったのか子育てが複雑で難しくなってしまった根本原因 - 「正しい子育て」は虐待のはじまり
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ラグビーやってる子を持つと、偏差値とは異なる尺度で志望校を選ぶことになる。中学受験でも、ラグビー部あるとこ、強いとこ(というよりまともな人数で活動できるとこ)を選びがち。
公立だと、ラグビー部あるとこも限られ、そこに越境でいくか、地元の中学に行きラグビースクールの中学部で続けるかだ。まあ、公立はグランド土とか砂でラグビー向きではなく、子どもたちには不評だ。
偏差値的な価値観とは別になるのは面白いとこだが、進路選択もラグビー関係者以外の人には通じないだろうな。
注目のコメント
「地域で子供を育てる」
聞こえは良いが、必ずしも良いとも限らない。結局、地域の大人の考えや価値観、そして「常識」によって教育がなされる事によって弊害も生まれる。
子育てには正解は特段ないからこそ、「子どもの中に正解」がある事を前提に、保護者含めた周囲の大人はInquiry(問い)し続ける事が大事かと。
子ども達の中に本当の正解があるかどうかはわからないが、少なくとも子供自身で意思決定する事で責任が芽生え、失敗してもそこから学ぼうとする意思も芽生えます。エジソンの『首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。』の言葉が代表するように、いい学校に行かせて質の高い勉強させないと将来格差が生じてしまうと心配する親が増えてきていると思います。ある程度成功している親はそれを実感しているため、子供に高等教育を受けさせたいという想いが強いのかもしれません。一方で、「X to earn 」のように色々なことで稼げる時代がやってきているので、勉強ができ、偏差値の高い大学へ行き、大企業に定年まで勤めるという価値観が多少崩れつつあります。「X to earn 」のような多様な稼ぎ方が現実として増えると、もっと子供の個性を活かす教育の重要性が高まってくるように思います。
SNSなどで「統計的に生涯賃金を上げる育て方や学校選択がある」との共通認識が広がりつつあるので、その「正解」以外を是としない風潮は確かにありますね。正解に進めなければ親として失格という。
しかし正解があってもその通りに上手く行かないから大変なのであって、そこを無視して子育ての不備はすべて親の能力不足というのは如何なものかと思います。