2023/3/24

素材イノベーション最前線。研究をビジネスに昇華させるには

NewsPicks Brand Design editor
 あらゆるモノや製品の材料となり、私たちの生活の根幹を支える“素材”。
 新たな素材が発見されたり、構造が解明されたりした際は、ニュースとして大々的に報じられることも多い。
 その一方で、発見された素材がどのように製品に組み込まれ、私たちの生活を支えているのかについては、一般の人たちの目に触れる機会は少ない。
 だが人々の暮らしがより便利で豊かなものへと発展してきたのは、「素材を実用化する」というプロセスに挑む企業の存在があってこそだ。
 1950年代に日本初の合成ゴム量産化を成し遂げたのを皮切りに、素材分野でイノベーションを起こし続けてきた日本ゼオンは、その難しいチャレンジを続けてきた企業だ。
 近年では「夢の素材」と称された単層カーボンナノチューブ(CNT)の量産化に世界で初めて成功し、現在は様々な製品への商用利用を研究している。
単層CNTのイメージ。出典:日本ゼオン
 果たして素材はどのようなプロセスを辿って、私たちの生活に溶け込むのか。
 日本ゼオンのCNT研究所で応用技術の開発に取り組む武山慶久氏と戸田嗣章氏のインタビューから、素材が世に出るまでの知られざる道のりを明らかにする。

研究をビジネスに育てる鍵は「量産化」

 2015年11月、日本に前例のない画期的な工場が稼働を始めたのをご存じだろうか。
 化学メーカーの日本ゼオンが立ち上げた、世界初となる単層カーボンナノチューブ(CNT)の量産工場だ。
日本ゼオンの単層CNTの量産工場の外観。出典:日本ゼオン
 単層CNTとは、1993年に構造が解明された新素材で、軽量かつ強度と柔軟性に優れ、電気や熱の伝導性が極めて高い。
 その性能の高さから“夢の素材”と称され、電池やメモリ、自動車材料、医療用材料等様々な用途への応用が期待されている。
 しかし、生産コストの高さがネックとなってなかなか実用化が進まなかった。
 日本ゼオンはそのハードルを乗り越え、世界で初めて単層CNTの量産化に成功し、商業生産への第一歩を踏み出したのだ。
 現在、単層CNTの研究に取り組む武山氏は、量産化の経緯をこう語る。
「2004年、産業技術総合研究所(産総研)の畠賢治博士らにより、高品質な単層CNTを効率的に合成できるスーパーグロース法(SG法)が発見されました。
 この技術によって、少量の単層CNTを効率的に合成する技術は確立されました。
 ですが実際に製品に組み込むためには、その量とは比べ物にならないほど大量に単層CNTを製造する必要があったのです」(武山氏)
 そこで、単層CNT量産化の共同研究のパートナーとして白羽の矢が立ったのが、素材分野で数々の実績を持つ日本ゼオンだった。
 CNT研究所の戸田嗣章氏は、産学連携で研究開発を進める意義をこう解説する。
「研究機関や大学は新しい理論や法則を発見し、学術論文として発表して世に広く周知することを一つの目的としています。
 一方、企業はビジネスを目的とした組織であり、社内で行う研究開発もすべて商用化を前提として行われる。
 つまり“産”と“学”では研究の目的が異なるのです。
『顧客のニーズに合った高品質な商品を、いかに低コストでたくさん作るか』という視点で研究に取り組めるのは、企業だからこそ。
 大量に生産できるようになった後の、応用の方法を考えられるのも、企業のネットワークが役に立ちます。
 基礎研究の段階ではうまくいった技術も、生産する量や条件が変われば、想定外の問題が発生したり、製造工程で新たな技術が必要になったりします。
 これらの課題を解決するには、生産現場を熟知し、実際の製造工程で使われる多様な技術やノウハウを持つ人材が求められる。それを担うのが企業に属する私たち研究員の役目です」(戸田氏)

「何にどう応用するか」を模索する日々

 こうして産総研と日本ゼオンの共同研究がスタートし、単層CNTの量産化技術の開発が進み、ついに冒頭で紹介した量産工場の稼働へと漕ぎ着ける。
 だが大量生産が可能になっただけでは、まだビジネスにはならない。どんなに優れた特性を持つ素材も、そのままでは世の中に価値を提供できないからだ。
 そこで今度は「量産化した単層CNTをどのような用途や製品に応用できるか」を検討し、商品として世に出すための研究が必要となる。
 武山氏と戸田氏が取り組んでいるのも、まさに量産化の次のフェーズ、すなわち応用技術の開発だ。
 具体的には、電池材料やメモリへの応用、半導体の周辺材料、水素製造の過程で必要となるシール材など、多岐にわたる分野での応用が期待され、日本ゼオンでも研究が進められている。
 期待の大きい分野の一つであるメモリへの応用技術を研究するのは、戸田氏だ。現在は、単層CNTを「不揮発性メモリ」にどう応用できるかを日々模索していると話す。
「不揮発性メモリとは、外部からの給電がなくてもデータを保持できるメモリのこと。身近な例でわかりやすいのがUSBメモリで、パソコンから抜いた後もデータは消えずに記憶されますよね。
 一方、サーバーやネットワーク機器を運用するデータセンターと呼ばれる施設では、給電中のみデータを記憶できる揮発性メモリが使われています。
 しかしデータを保持するにはずっと電気を供給し続けなければならず、増大する消費電力が課題となっていました。
 これを不揮発性メモリに置き換えることができれば、消費電力の大幅な削減が見込めます。
 ただし現在の不揮発性メモリは動作速度が遅く、耐久性も低いため、膨大な通信量を扱うデータセンターで使うのは難しい。
 この課題を解決できるポテンシャルを持つのが、単層CNTです。
 すでに研究レベルでは、単層CNTを使った不揮発性メモリは高い耐久性や動作速度を示すことが報告されているので、これを実用レベルで使えるようにするのが私のミッションです」(戸田氏)
 実用化するには、実際の製造工程で生じる課題やテーマを一つ一つ掘り下げて分析・解明する必要がある。
 戸田氏が主に取り組んでいるのは、「単層CNTをメモリに応用した際に、いかに不純物が少ないクリーンな材料にするか」というテーマだ。
 不純物が混ざってしまうとメモリとして動作しなくなり、耐久性を損なってしまうため、不揮発性メモリに応用する上で重要なポイントとなる。
「メモリに応用する場合、まずは単層CNTの粉を水や溶剤に分散させた液体を作り、金属を重ね合わせた積層構造の表面に分散液を塗布して、メモリに組み込みます。
 私が行っているのは、様々な条件の下で単層CNTの分散液を作り、ナノサイズの物質を測定できる顕微鏡などを使って、それぞれのデータを分析すること。
 この分析を積み重ねることで、メモリのスペックを向上させるには、どのような条件下で作った分散液を使うべきかを調べています」(戸田氏)
 メモリへの応用技術を開発するチームには、戸田氏を含めて7人の研究者が在籍する。
 分散液を塗布するプロセスを研究する人、分散液を塗布する積層構造に使う金属の組み合わせを研究する人など、実際の製造工程の流れに沿ったテーマにそれぞれ取り組んでいる。
 こうした日常の仕事風景を見ても、「商品として世に出すこと」を前提に、研究が進められているのだ。
実験には様々な機械が用いられる。写真の原子間力顕微鏡は、ナノサイズの単層CNTの直径や長さ等の形状、物性などを測定するのに使われるという。

「知らなかったことを知る」面白さ

 CNTのような新素材を扱う研究者は、常に先頭を走っているため、前例もなく参考にできる情報も少ない中で試行錯誤を続けることになる。
 研究のスパンも長いこの領域で、化学メーカーの研究員は、どんなやりがいを見出し、研究に励んでいるのか。
 戸田氏は、「全くわからないことに関われるのが今の仕事の面白さ」と話す。
「未知の分野に足を踏み入れてみて、『全く知らなかったことを知る』というプロセスはこんなに面白いのかと感じています。
 先ほど、単層CNTを使った不揮発性メモリは高い耐久性や動作速度を示す、とお話ししました。
 ですが、なぜその現象が起きるのかは、実はわかっていないんです。現象としては確認されていますが、単層CNTのどのような特性が作用しているのかは、まだ解明されていない。
 この現象を生み出す原理原則を見出せれば、単層CNTの応用研究において、大きなブレイクスルーになります。そんな社会的インパクトの大きい研究に携われていることは、大きなやりがいになっています」(戸田氏)

研究機関とユーザーの中間で果たす役割

 応用技術の開発においても、産総研との連携は続いている。実用化へ向けて前進するには、研究機関と企業がそれぞれの強みを活かすことが重要だと武山氏は話す。
「産総研の強みは基礎研究で、特定の理論や現象を非常に深いところまで突き詰めていく。一方、私たち企業は、生産プロセスを想定した技術開発を強みとしています。
 実際に商品として生産するには、製造工程の設計や、生産に使用するCNT以外の材料や部材の開発、性能を数値で測定する評価技術の開発などが必要となる。
 基礎研究の成果を商業ベースに乗せるためのプロセスは、日本ゼオンがリードして進めています」(武山氏)
 また未来の顧客となるユーザー企業と連携する場面もある。
 例えばメモリの場合なら、日本ゼオンが量産した単層CNTを使って実際に製品を作るのはデバイスメーカーだ。よって、ユーザー企業も交えてニーズのヒアリングや意見交換を行う機会も多いという。
「ユーザーの視点が入ることで、新たな気づきを得られることもよくあります。
 研究者がそれほど重視していなかったデータでも、デバイスメーカーから『これは使えそうですね』といった意見を頂くことも少なくありません。
 私は産総研で行われている基礎研究にも触れられるし、ユーザー企業の声も聞ける立場にいるので、両者のつなぎ役になれる面白さもある。
 基礎研究のデータを扱う時も、『これは企業が製品を作る際に本当に役立つのか』を常に意識しています」(戸田氏)
 応用開発の研究が実り、医療用のウェアラブル端末など一部の製品において、日本ゼオンの単層CNTが実用化されるケースも出始めている。
 今後さらに開発が進めば、「単層CNTの用途は大きく広がるはず」と武山氏は言葉に力を込める。
「日本ゼオンは単層CNTを“合成のフェーズ”から手がける国内でも数少ない企業です。単層CNTを扱う会社は他にもありますが、実は完成したものを仕入れて使っているケースも多い。
 しかし単層CNTの用途を拡大するには、応用する製品に合わせて特性を細かく調整する技術が必要となります。
 そのチューニングができるのは、素材を一から合成するノウハウを持った当社の大きな強み。
 日本ゼオンがさらに応用技術を発展させ、ユーザー企業のニーズに合わせた多彩な用途を提案できるようになれば、単層CNTが活用される場面も一気に広がるはずです」(武山氏)
 単層CNTの実用化に向けて挑み続ける日本ゼオン。“夢の素材”から“身近な素材”へ。単層CNTが私たちの生活に溶け込む日はそう遠くないはずだ。