落ちこぼれアスリートの逆襲

連載第2回・元Jリーガーの逆襲

1日を試合に見立て、営業の勝者になった

2015/2/9
薮崎真哉は高校時代に日本一を経験して、将来を期待されたMFだった。だが柏レイソルでは6年間で2試合しか出場できず、24歳のときに戦力外になってしまった。さらに初めて挑んだレストランの仕事もすぐに挫折。典型的な失敗パターンに陥ろうとしていた。だが、そこから営業の仕事に出会ったことで、逆襲のストーリーが始まる。
薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

コンビニで100円を使うのも躊躇

24歳で柏レイソルの戦力外通告を受け、最初の仕事もすぐに辞めてしまった――。

崖っぷちの薮崎真哉が選んだのは、飲食関連の出店コンサルティングをする営業の仕事だった。

薮崎は選手時代にボソボソとしゃべり、インタビューがわかりづらいと言われていた人間だ。それに仮にもプロであり、サインを求められる立場だったのだ。テレフォンアポイントの仕事がとても務まるとは思えなかった。

だが、薮崎にはひとつだけ人にはない武器があった。

「今に見てろ」という心のガソリンである。

始発で会社に行き、誰もいないうちに事務処理を終え、10時になったらひたすら電話をかけまくる。とにかく電話、電話、電話。そしてアポイントが取れたら、商談に出かける。外回りのちょっとした空き時間も、カフェで休まず、駅の公衆電話にかじりついた。1日のほぼすべてを仕事に費やした。

薮崎は少し真剣な表情になってこう振り返った。

「もう何があっても失敗できない。だから1日1日1分1秒もムダにしないでやってやろうと思いました。たとえば昼休みは他の会社に電話がつながらないし、昼食をたくさん食べると午後から眠くなるのでサンドイッチをパッと食べて、体力温存のために机で30分くらい昼寝をする。で、午後1時からフル回転するんです」

いい意味でも、悪い意味でも、とことんやるのが薮崎の流儀である。

貯金ゼロにもかかわらず、必要だと思ってパソコンをローンで購入。基本給20万円から、中目黒のアパート代8万円とパソコンのローンを差し引くと、手元には2、3万円しか残らなかった。

「あのときほど、コンビニで100円のものを買うのに悩んだことはなかったです。毎日、松屋で食べていました。もちろん女の子と遊ぶ金も時間もない。きれいな子が通ったら『いつか口説ける男になってやるからな』と思っていました。満員電車に乗るたびに、『絶対独立して満員電車に乗らない人間になってやる』って心の中でつぶやいていました」

月給が100万円を越えた

結果が出始めたのは、営業を初めて5カ月目のことだった。商談をまとめられるようになったのだ。

「5カ月目から会社に月1000万円くらいの粗利益を出して、僕の月給も100万円くらいになったんですよ。そのとき気がついたんです。サッカーもビジネスも同じじゃないかって。どちらも大事なのは集中力。仕事はおよそ8時間。サッカーは2時間。時間こそ違えど、その間にいかに集中するかなんだって」

薮崎は1日を試合に見立てた。

始発で出勤して会社が動き出すまではウォーミングアップ。午前10時にキックオフの笛が鳴ると、電話を片手にゴールを目指し続ける。昼休みというハーフタイムでしっかり休み、午後1時から再び集中力のスイッチをオン。結果が出ないわけがなかった。

「毎日ものすごく眠いし、本当にめちゃくちゃ辛かったですが、自分がどんどん変わって行くのがわかった。友人にもほとんど会わなかったのですが、1度だけ柏レイソル時代の先輩の結婚式に行ったんですね。まわりから『何やってるの?』と訊かれても、一番働いている自負があったので『今に見てろ』としか思わなかったです」

薮崎は苦笑いしながら続けた。

「正直、あのときはいつのサッカー時代よりも努力していました。あれだけ選手の時に頑張れたら、柏レイソルでもレギュラーになれたと思います。ひょっとしたら日本代表候補にも選ばれていたかな(笑)」

あとで考えれば、パソコンのローンを抱えたのもプラスだった。

「決算書も見なくてはいけないので、BS(貸借対照表)とかPL(損益計算書)とか財務諸表の勉強もいっぱいしました。苦でしたけど、ちくしょう、ちくしょう、ここで負けて実家に帰るわけにはいかない、と自分に言い聞かせた。結局、一人暮らしをして、パソコンを買って、やらざるをえない状況にしたのが良かったのだと思います。金銭的に余裕があったら、あそこまで頑張れなかった」

ルーツはぶっ飛んだ高校時代にある

計画を早め、薮崎は8カ月目に独立を決心する。

「会社にこの額の利益を出せるのであれば、自分でやってみようと思ったんです。『2年以内に独立する』という目標を前倒しして、当時住んでいたワンルームマンションに会社を作りました」

それにしても、なぜ薮崎は未経験の仕事にここまで打ち込むことができたのだろうか?

その積極的姿勢のルーツは、とことん部活と遊びに打ち込んだ高校時代にある。

「金曜日の放課後に六本木に遊びに行って、翌朝そのまま試合に行く。本当にヤンチャでした」

(次回に続く)

*本連載は毎週月曜日に掲載する予定です。