原発が発電量当たりの死者数で「火力より100倍安全」といえる理由、統計が示す真実
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石炭火力発電所が原因で亡くなった人というのは、その原因が気になります。大気汚染による疾病による死亡、とかでしょうか。
そもそも、死者数という指標が正しいのかは気になるところです。原発事故では死亡せずとも、病気に苦しんだり、住む土地を追われた人もいるわけで、生きてはいるが生活に大きく支障をきたしている人(調査が難しいのは理会します)も考慮しないとあまり意味のない比較なのでは?
注目のコメント
石炭火力の死者の殆どは、炭鉱事故と煤煙の健康被害で、日本ではほぼ発生していない。日本が石炭を輸入することで間接的に影響があるといえなくもないが、通常の場合意識されることはないだろう。
こうした統計は昔からあるが、電源選択の際の決定打にならないのは、間接的な死者数が重要視されることはないからだ。
日本政府は原子力政策の方針を大きく変えたが、再稼働を進めるには事実上"独立性の高い"規制委員会の設置許可と地元合意、自治体の長のゴーサインが必要で、中央政府ができることは形式的には限られている。一方で、政府方針が重要だと一般に信じられている。
この、「政府が判断すれば動くというわけでもない」という建前と、「政府が動けば動かせる」という信念のギャップの大きさ、曖昧さが、今の日本の原子力政策の難しさなのではないか。この手の議論は今でも出ることがあるが、工学倫理では20年以上前の段階でさえ、既に「この記事のような論調」の問題点が指摘されている。仮に原発の方が単位あたりの死者数が少ない場合でも、容認出来ないと判断することがあるのは何故か、というものである。それは、「そのリスクは自発的に許容したものか」という点である。ざっくりと言えば、車も乗るし煙草も吸う人でも何故(飛行機には乗らず、)原発を拒否する人が出るのか、という論争である。
数値的な妥当性はともかく、工学倫理では大学の一般教養レベルの段階で「自発的に許容した」リスクはそうでないリスクの1000倍の許容度を持つと説明される。
つまり、車や煙草が死ぬリスクは高くとも、自発的に選んだものなので許容しやすく、(飛行機や)原発は自発的に選んでいない「押し付けられた」リスクだから許容度が低くなる、という話である。
もちろん、記事内の数値について異論を申す気は今の所無い。反論するだけの裏付けも持っていないし。しかし、こうした議論があることも理解しないといけない。
こうした観点を入れることで、出すべき結論が変わる事案は結構ある。死者数という、大雑把な数字では表せないないほどの「被害額」なのですよ。
東日本大震災で福島原子力発電所の事故が起こったあとに、日本はどうなりましたか?
野菜、魚、肉、ありとあらゆるものを検査して、100ベクレル以下だから安心、とか、それ以上だったから出荷停止とか。
そのための「検査コスト」「風評被害」「実害」、生産者の方たちの苦労、除染の費用、、、
天文学的損害です。
あの時のことを簡単に忘れないようにすることが、私たちの使命だと思っています。