為末大の未来対談 第5回
ウェアラブル・センサが導く、人間の“新たな法則”
2015/2/5
元陸上プロ選手の為末大氏が、科学・技術の各分野をリードする第一人者に、今後5年から10年後の「未来像」を聞いている。
今回、為末氏が対話するのは、日立製作所中央研究所の矢野和男氏。矢野氏が2014年に上梓した著書『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』では、「ウェアラブル・センサ」のデータを人工知能に解析させることで、これまで決して知りえなかった人間の行動や組織の成否などをめぐる「法則」を明らかにした。人間・組織・社会の「新しい法則」を、為末氏が尋ねていく。
“辺境の地”の研究が、注目の分野に
為末:「ビッグデータ」という言葉は私も含め、多くの人に定着しました。でも、有効な使い方がどのようなものか、まだ漠然している感覚があると思います。矢野先生の『データの見えざる手』を読むと、ウェアラブル・センサから得られる人の行動データから「新たな法則」を導き出し、それを企業活動などに活用するという方法論が書かれてあります。「こういう使われ方があるんだ」と合点した人は多いと思います。
その事例の数々も、対談であらためて紹介してもらいますが、まずは矢野先生がビッグデータに関する研究を始めた経緯をお聞きかせください。
矢野:私はこの中央研究所に30年勤めてきました。最初の20年は半導体チップの研究をずっとしていたんです。でも、日立が半導体事業から撤退することになり、10年ほど前に新たな研究を仲間と始めることになりました。
当時は、「ビッグデータ」「ウェアラブル」「モノのインターネット(IoT)」といった言葉がなかった時代でした。そんな中、私どもは、半導体の電池を長持ちさせてコンピュータを長時間動かすような技術を築いていたので、今後は身に付けるようなコンピュータが使われていくに違いないと考えたのです。
そこで、今でいうウェアラブルコンピュータのようなものをデバイスとして売るようなビジネスも考えられましたが、そうしたデバイスから生まれるデータのほうにも価値があるのではないかという議論になりました。
日立では、保守本流の事業には、優秀な研究者たちがすでにいます。そこに割り込むことはできないなと思い、データに携わる研究分野に入っていったわけです。日立の中では“辺境の地”といってもよいかもしれませんね。
為末:前回お話しをした宮野悟先生も同じようなお話をされていました。
矢野:そうですか。“辺境の地”には新しい研究対象もありますので、いつかは成果が出てくる思いで研究を始めたのです。今ほど、ビッグデータがいろんなところに集まっている状況にはありませんでしたけれどね。
ウェアラブル・センサのデータを、人工知能に解析させる
為末:それで今、矢野先生が左腕に付けているのが「ウェアラブル・センサ」ですか? どんな作業をしていたかや、そのとき集中していたかどうかがつぶさに記録されていくそうですね。見た感じ、小さな腕時計と変わりませんね。
矢野:ええ。私どもには小さいコンピュータを作る技術があったので、腕に付けてみようとか、胸のところに付けてみようとか考えて、2006年にこうしたウェアラブル・センサを作りました。「誰を測るんだ」という話になり、「じゃあ、私がモルモットになります」と手を挙げました。
測り始めて9年近くが経ちましたが、左腕の動きがずっとコンピュータに記録されています。また、腕に付けてから半年後、胸にもウェアラブル・センサを付けました。こちらは人とのコミュニケーションの情報を記録することもできます。
蓄積されたデータから「週末には寝貯めしている」とか「朝5時に起きて、必ず15分間は音楽をかけている」とか、人の生活が見えてくるのが面白いんですよ。原子が集まって複雑な物質の性質を生み出すように、人が集まってさまざまな相互作用を生じさせる。そこから、社会全体の様子まで見えてきます。
為末:ウェアラブル・センサを付けた後も、研究手法に変化などはありましたか?
矢野:研究の途中から、人間が仮設を立ててデータを見るという手法に限界があると考えるようになりました。人が未加工のデータから仮説を立てて傾向や相関関係を導き出す手法を「データ・マイニング」といいますが、人がやるデータ・マイニングがうまくいっているようには見えませんでした。
それで「どうやってこの技術でもうけるか」を考えた末、データに含まれるいろいろな概念を自らで抽出するような人工知能を開発するしかないと考えるに至ったのです。開発した人工知能を「H」と呼んでいます。
人間の仮説から導けない「法則」を、ビッグデータと人工知能で導く
為末:ウェアラブル・センサと人工知能の組み合わせによる成果というと、どのようなことがありますか?
矢野:例えば、コールセンターで従業員がお客さんから注文を取るとき、成績がよい日とそうでない日で何が違うのかが見えてきました。それは、注文を取るという作業とはまったく異なる、休憩時間での従業員の行動の取り方でした。ほかの従業員と雑談が弾んだかどうかが、その日の従業員の受注成績がよいかどうかに大きく影響をあたえていたのです。
為末:隙間の時間のほうがより大きな影響をあたえていた、と。
矢野:そうです。より制約条件の小さいところで人の行動によい影響をあたえると、実は仕事の成績にもよい影響が起きるということが、データをコンピュータが解析することで見えてきました。
為末:人工知能が有益なことを発見する過程では、いろいろな角度からデータを切ってみて、特徴ある点を見出すようなことが行われるのですか?
矢野:そうです。有益なことを発見しようとするとき難しいのは、マクロな結果が実はミクロな要素の組み合わせで決まっているという点です。例えば、ある小売店での一日の売上は、集計をした結果、出てくるのでマクロの量といえます。けれども、その一日の売上に影響をあたえうる要素は、お客さんの言動、従業員の対応、時間、場所、品物といったミクロなものになります。
為末:なるほど。
矢野:赤外線センサと人工知能を使うことで見えてきた他の事例もあります。ある小売店で、従業員と顧客が店内を移動する軌跡や方向を動線として計測し、データ解析しました。その結果、従業員は手の空いたとき、「好感度スポット」とでもいえる店舗内の特定の場所にいるとよいということが分かりました。実際にやっていただくと、そのスポットにいる時間が10秒増えるだけで、顧客の購買金額が145円も増えることが分かったのです。
為末:よくテレビ番組で「バミる(場見る)」といって、「そこに立ってください」という位置にテープが貼られるのですが、そういうポイントを店舗の中につくるだけで、客の購買額が上がるのですか…。
矢野:そうです。
マクロな量を決める要素が数個に限られていれば人間でも計算できるかもしれません。しかし、そこから少しでも要素が増えると組み合わせの計算量は爆発的に増えていくのです。それこそ宇宙に存在する原子の数より大きな量になる可能性も出てきます。
これまではそこで人が自分たちの経験をもとに仮説を立てた上で、コンピュータに解析させていたわけですが、私たちは人の仮説に頼らない方法を確立しようとしてきました。「この要素は捨ててもよい」と、読むデータ量を減らす「枝刈り」という手法を使うことで、現実的な時間の中でそこそこ網羅的な探索をできるようにしました。
わずか数分のコミュニケーションが、受注獲得の決定的な鍵だった
為末:『バースト! 人間行動を支配するパターン』(アルバート=ラズロ・バラバシ著、NHK出版)という本を読んだのですが、情報のやりとりを滞らせる“ボトルネック”の人がメールを送った直後、実際に周囲のいろいろな物事が一気に動きだすといった事例がありました。人の動きをビッグデータで見たとき、「この人がこっちに行くと、一気に流れが生まれる」といったことも見えますか?
矢野:見えます。法人営業をしている組織で、従業員の動きを測ってみました。半年以上にわたり記録したデータを見たところ、その職場にいる限られた何人かが、その周囲の人たちと1日平均何分のコミュニケーションをとるかどうかが、受注が取れるかどうかにほぼ100%影響してくるということが分かってきたのです。
もちろん職場のすべての人がまじめに仕事をしてはいるのですが、やはりキーパーソンとなる人がいて、その人たちのコミュニケーションが受注獲得に極めて重要だったわけです。しかも、長時間でなく、たかだか1日数分のコミュニケーションです。
為末:こういう情報を人事担当の人が握ったら、キーパーソンの争奪戦が起きたりして、すごいことになりそうですね(笑)。役職とは別の“隠れたリーダーシップ”のような存在もあるのでしょうか?
矢野:ありますね。「知り合いの知り合い」を「2ステップ」の関係と定義すると、とりわけ「2ステップ」までの知り合いが多いほど、仕事をする上で有益で助けになる情報をもたらしてくれる可能性が高くなります。通常の職場では、役職上のリーダーでは「2ステップ」までの人数が多くなるものです。でも、たまに、役職上は低い中間管理職のような従業員に「2ステップ」でつながっている人数がすごくいたりして、組織上の実質的なキーパーソンになっているという場合もあります。
人の直感とコンピュータの直感と
為末:さまざまなデータをとって分析してきた矢野先生は、“人の直感”をどう捉えますか?
矢野:人のいろいろな経験からくる直感は、かけがえのない素晴らしいものだと思っています。一方で、ここまで示してきた事例は、コンピュータが自分なりのもっている情報から導き出した、コンピュータの直感といえるかもしれません。
為末:そんな感じですね。人の直感とコンピュータの直感がずれていたという事例もあるのでしょうか?
矢野:ありますよ。先に紹介した店舗での従業員の「好感度スポット」の事例もその一つです。
面白いことに、人間はある結果が出ると「昔からそう思っていた」と言うところがわりとありますね。すぐに切り替えてしまう。
為末:そうですね。データから見えてくるようなことが、人間の“今”の視野に入っていないんですよね。
矢野:リーダーの言うことをなんでも聞くような組織であれば考える必要はありませんが、やはり他の人を説得するにはエビデンスがないと難しくなります。そのためにもデータの存在は大切なのだと思っています。
(構成:漆原次郎、撮影:大澤誠)