【動画取材】仕事、メンタル…これが、戦時下のリアルライフだ
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『ランボー』という映画の最初で、ベトナム戦争帰りのランボーは、自分たちが地獄のような戦地から帰ってみると、米国の人々が以前と何にも変わらない生活をしていることに衝撃を受けます。
ベトナムに行っていない米国人からすると、ベトナム戦争は、テレビニュースで見るもの、反戦デモなどで取り組む対象に過ぎませんでした。
ベトナム帰りということで「普通の」米国社会から冷遇されたランボーは、武器を取って一種のテロリストになり、戦争の続きを始めます。
これは、かなり緩和されたものの、イラク帰りやアフガニスタン帰りにも起きた事で、戦地と日常には、大きな隔絶がありました。これは、米国の強さでもあります。
戦時下でも、大多数の国民には、従来通りの生活ができるようにしておいた方がいいに決まっています。それが政府の義務でさえあります。
そうしないと保ちません。
日本人は、主に都市住民の記憶をもとに、「戦争体験」を語り継いできていますが、1937年に日中戦争を始めてから、1944年に都市部での空襲が本格化するまでは、戦争というのは映画ニュースで見るものか、提灯行列で勝った勝ったと祝うものでした。
国民全体の日常を戦争に巻き込むようになったら、もう負けたようなものです。
食料が無いからと小学校の校庭で小学生にサツマイモをつくらせたり、石油が無いからといって、中学生に松の根っこを掘らせるような日常になってしまっては、負けは見えています。
一方で、米軍の捕虜になったドイツ軍兵士などは、収容所の食事がステーキやアイスクリームで、何かからかわれているのではないかと思った、という話があります。
戦場と日常の意識の隔絶は、それはそれで深刻な問題であるし、戦争遂行のうえでも支障があります。
しかし、戦争がCGかゲームのようにしか思えない、というのは、結局幸せなことです。
スーパーに溢れる食料、従来と変わらない仕事と給料、普通に使える電気やネット、水道、などは、確保できるならした方がいいに決まっています。
そのうえで、そういう生活を維持するために前線での戦闘のためにできる限りの兵器を集め、死亡したり負傷した兵士、民間人、遺族にできる限りの保障をして復興を進める、というのが、政府の担う非常に困難な役割です。ウクライナ東部のバフムトは軍事的には要衝でありながら、決して巨大な都市ではありません。今、このバフムトに10万人以上の兵士が両軍から押し寄せて戦闘が行われています。この数字を聞いただけでも戦慄が走ってしまいます。一方の首都キーウ。街の様子は戦時中とは思えないほど、平穏そのものだといいます。
プーチンが戦っているのは、間違いなく20世紀、もしくは19世紀の古典的な戦争です。しかしウクライナの多くの人々は高度なテクノロジーを駆使して生活を維持し、戦後を見据えるスタートアップもたくさんあります。
今回、ウクライナにいる人達を20人以上、取材することができました。彼らの心は戦争とともにどう揺れ動いたのか。そしてどうやって、ビジネスを続けているのか。戦時下のリアルな「ウォー・ライフ・バランス」に迫る、総力取材動画をお届けします。戦下での日常生活やビジネスのリアルを知りたいと思い、今回、ウクライナの人たちをたくさん取材しました。
まず驚いたのは、「日本のメディアの取材依頼だし、どうせ返事をくれる会社は少ないだろう…」と思っていましたが、ほぼ全員が快く受けてくれたこと。それだけ、世界に伝わっていないこと、伝えたいことがあるんだろうなと感じました。
そして取材をしていく中で特に印象に残ったのは、ウクライナの人々全員が、ウクライナの未来に希望を持っていたことです。同世代の起業家の女の子が、「ウクライナの未来は明るい、ウクライナに税金を納めたい、ウクライナのために働きたい」と繰り返し言っていました。(もし日本も同じ状況になった時、若者は希望を抱けるでしょうか…)
今は、多くの人が避難を余儀なくされ、スタートアップの拠点も他国に移っています。
でも、この侵攻を乗り越えた後のウクライナは本当に強いと思います。各国から帰還したインターナショナルな人材が、希望を持って政治やビジネスを動かしていく、、、彼らの表情から、明るい未来は絶対来るんだろうなと確信しました。