「好き嫌い」と「差別」は別物です!
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総理秘書官の不見識ということで本件が幕引きになりそうなので、「好き嫌い」と「差別」の違いを簡単に書きました。
本件が起こる寸前まで、サイバー大学の優秀な学生諸氏と「任意ディベート」をやっていました。
あまりにもタイムリーでした。
講義での発言にとどめておこうとも思ったのですが、同意してくれる学生諸氏もいたので公に問うことにしました。
「好き嫌い」は個々人の内心の自由であり、嫌いなものを好きと言わされるのは憲法で保障された内心の自由の侵害です。
嫌いなものまで無理して好きと言わなければ「差別」だと糾弾されるのは、とても恐ろしいことです。
そのあたりの交通整理がなされると期待していたのですが、「差別発言」で終わってしまいそうだったので、改めて皆さんに問いかけることにした次第です。
注目のコメント
「好き」「嫌い」という内心の自由と「差別」は、区別されるべきで、混同して扱われることは、問題だと思います。しかし、「好きか嫌いか?」ということに対する自分の内心を口にする場合、その場や機会のシチュエーションと自分の立場や時勢など、言うべきか、言わざるべきか、また、言うならばどのような表現で語るべきか(荘司さんが提起されたように)大人なら、考えて然るべきと思います。
ましてや、内閣において、政策の方向を司る方が、オフレコとはいえ、私は不用意な発言だと思いました。心で思うこととそれを表明することは、別だと思うのですよね。
「◯◯◯が気持ち悪い」と表明すると、それを目にした◯◯◯の属性をもつ方がどのような気持ちになるか、それを想像できないだろうか、それだけのことなんですね。