アップル共同創業者スティーブ・ウォズニアック「ネットが存在する前の時代に戻りたい」
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ウォズニアックさんと同じようなことを、80年代に小田嶋隆さんがすでに予見されていたのですよね。以下小田嶋さんの処女作「わが心はICにあらず」からの抜粋です。
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「パーソナルパブリッシング」を「テクノロジーの進歩によって、社内文書のようなものを印刷屋の手を煩わせることなく簡便に作れるようになること」ぐらいに限定すれば、話は簡単なのだが、これを直訳して「個人的な出版事業」というふうに考えると、これはちょっとヤバい。
(中略)そこいらへんの居酒屋で人生論を闘わせている若手社員とか、「ユリイカ」読んでる腐れインテリとかが、個人誌や同人誌をばんばん出版するようになると思うと、正直な話、私は憂鬱だ。
(中略)たぶんパーソナルパブリッシャーが提供する情報は、こっちが受け取りたい情報ではなくて、向こうが送り込みたい情報だ。この十年間を振り返って見ても、増えたのは押しつけがましい情報ばかりだ。電話ボックスの助平ビラ、レーザーカラオケ、二光お茶の間ショッピング、ストリートパフォーマンス、ものみの党、右翼の宣伝カー、行革キャンペーン、二十四時間テレビ、こんなものばかりが増えているのである。このうえド素人の個人までもが出版なんか始めるとどういうことになるかは見当がつきそうなものだ。
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パンドラの箱はもう開いてしまった訳ですが、小田嶋さんがご存命だったらなんて仰るか。(どこかの著作ですでに何か仰っていたかもしれない)
注目のコメント
私の尊敬する組織理論研究者で、ジェームス・マーチという人がいました。
彼は、インタビュー記事の中で、いろいろな経営のコンセプトはあるけれど、それが本当に有用なのか、実際のところはわかっていないものがほとんどだ。だけれど、どんな組織もトイレがなかったら機能しない、と述べていました。
それに近い読後感です。つまり、我々は色々とどうでもいいもの、どうでもいいことに沸き立ち、振り回されているけれど、大事なことを見失っていないか、それでいいのか、とウォズニアックは述べているのかなと。
「あなたのように特殊な立場だから言えるんだよ」と、途中までは卑屈に読んでいましたが、でも、考えてみれば、そういう立場だからこそ見えることを共有してもらうことにも意味があるよなと思いました。7年ほど前に会社を辞めて独立した私のような人間が色んな方からお声がけいただけるのはネット社会が発展したからだし、それはありがたいと思う。
でも、ほんの30年前には、手書きで資料をつくり、電話で話し、仕事中にも他愛のない会話がなされていた。時間の流れが緩やかでした。
今は少数のギラギラした人がいる反面、多くの人がストレスを抱えて生きている。
デジタル時代の前のテクノロジーは人を楽にしましたが、今は多くの方を不幸せにしているのかもしれません。まあ、もう元には戻れませんが…。自分の軸がしっかりとある発言ですね。十人十色と言われるように、それぞれ自分が貫きたい信念は違うもの。
大切なことは、自分の信念=自分の軸が何かを自分が理解し、その軸をしっかり握り続けることだと、この記事を読んでつくづく思います。つい握っているはずの手がゆるくなることは、様々な出来事に直面するとありがちです。最後まで手をゆるめずに持ち続ける自分の軸は、見えない自分だけの財産ですね。